作品(富野監督) | 概要 | エゴの乗り越え | キーとなるセリフ(要旨) | 注目すべきポイント | 歌・ナレーション | 富野監督の精神 | 社会背景 |
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機動戦士ガンダム (1979年) |
宇宙世紀0079年。 人類が宇宙に進出し、地球の住人を中心とした地球連邦と宇宙の住人(スペースコロニー)の一部で戦争が始まる。 偶然ガンダムに乗り込んだ主人公アムロは、戦いに巻き込まれていく。 一方、宇宙の住人の権利を唱えていたジオンの息子(シャア)は、父の思想をねじまげて権力を奪ったザビ家への復讐のため、マスクで顔を隠し、ザビ家の打倒を図るのであった。 |
人類は宇宙という広大な空間に居住空間を移したことで、直観力が拡大し、お互いが通じ合えるニュータイプに進化 | ポイント@ ニュータイプは、戦争の道具ではない! ポイントA ララァ「あなたには守るものが何もないのに」 アムロ「守るものがなきゃいけないのか?」 ララァ「それは不自然なのよ」 ・言うまでもなくララァはシャアを守って死ぬ。 ⇒この時点では、ニュータイプこそが、エゴを乗り越えると考えられていた。 しかし、ニュータイプ同志の戦い(アムロvsララァ)の中で、守るものを持つ自然さこそが重要ではないかという問いが早くも出され、後々こちらが重要になってくる。 守るものをもつこと、そのためには自分の死を受け入れられることなど、後の数十年のガンダムシリーズのエゴ超えの論点は、全てアムロVSララァの戦いに含まれていることがわかる。 |
ガンダムの世界観の確立 (地球の住人と宇宙の住人、モビルスーツ、ミノフスキー粒子、スペースコロニーなど) シャアとアムロという、ライバル関係の登場 ニュータイプという概念が登場 「大脳皮質がフルに働き出したために、広大な宇宙でスムーズに人を誤解なく理解できるようになった人、それが「ニュータイプ」なのです」(富野監督談) なお、この当時の楽天的なニュータイプ論については、富野語録名作選「どうしたらニュータイプになれるか」参照 一方、ガンダムの企画案「ガンボーイ」では、既に「ラスト赤ちゃん」構想があった。この赤ん坊及び妊娠女性最強思想は、次作のイデオンで本格展開するが、その後ガンダム作品でも次第に猛威を振るう。 |
「振り向くなアムロ 男は涙を見せぬもの、見せぬもの。 ただ明日へと明日へと永遠に。」 と、徹底した未来志向。 ⇒ターンエーガンダムの歌と比較すること。 |
宇宙戦艦ヤマト打倒! 詳細は、富野語録名作選「なぜホワイトベースは宇宙戦艦ヤマトより強いと言い切れるのか」参照 富野監督自身、赤ん坊も生まれ、素直にその生命力を信じることができた。 |
スペースコロニー計画など、進歩がリアルに信じられていた時代 |
Zガンダム (1985年) |
宇宙世紀0087年。 1年戦争終結からから7年後の世界。 地球連邦の勝利の後、自らの権力の拡張を図る一部軍人組織(ティターンズ)と、それに対抗する人々(エゥーゴ)、ザビ家の残党などが争う。 |
さまざまな組織によるニュータイプ同士の戦いの中、ニュータイプは分かり合えないことが明確になる。 なお、この時点でのZガンダムの狙いについては、Zガンダム論(TV版)参照 |
シャアはニュータイプによる人類の革新を信じている。 「私が手を下さずとも、ニュータイプへの覚醒で人類は変わっていく。私は、その時を待つ!」シャア しかし、シロッコはその限界を見抜く。 「私は予言者にすぎない。 次は、癒しの時代が必要だ。 それは、女の時代だ。」シロッコ ニュータイプ同士の戦いが激化するなか、予言者シロッコは、早くも、ニュータイプでは理解しあえず世界も救えず、重要なのは「癒し」と女であることに気づいていた。 この発言が、逆襲のシャアにおける母子関係の重視や、Vガンダムのマリア主義と母系主義、ターンエーガンダムの女王統治を予告している。 |
ニュータイプ思想の曲がり角。 カミーユも、シャアやアムロ同様、人がわかりあえることを信じている。 カミーユ「(ハマーンに対し)やめろ!僕たちはわかりあえるかもしれないだろ!」 しかし、最後はニュータイプ同士の凄惨な殺し合いの末、カミーユは精神が崩壊する。 |
− | 続編は作らないつもりだったが、その後ヒットせず、会社の意向により続編を作成。 | − |
ZZガンダム (1986年) |
宇宙世紀0088年。 ザビ家残党のハマーンカーンと、エゥーゴの戦いを描く。 テーマの深化や変化はないため省略。 |
− | − | シャアもアムロも登場せず。 理由は、シャアが登場して本気だせば、5話で終わる話のため(富野監督談) もっとも、Zを見ている限り、シャアがハマーンカーンに勝てる見込みはない。 なぜなら、シャアはザビ家打倒後、本気だせない事情があるからである。 詳細は、シャア・アズナブル論第二論文「シャア・アズナブルの真実」参照 |
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逆襲のシャア (1988年) |
宇宙世紀0093年。 シャアが、重力に魂を奪われた人々(地球にいる人)に鉄槌をくだすため、地球に隕石を落とし、強制的に人類の宇宙への移住を進めようとする。 アムロはそれを知り、最後の戦いに挑む。 |
右に見られるように、エゴはニュータイプでは乗り越えられず、親子関係が勝ることが明らかになる。 この、親と子の関係の重視を政治的に実現しようとすると、、Vガンダムのマリア主義に移行する。 |
「人類全体をニュータイプにするためには、誰かが人類の業を背負わなければならない」 「地球圏の戦争の源である、地球に居続ける人々を粛清する!」シャア つまり、シャアのニュータイプ思想の最後の挑戦。 しかし、シャアの本音は・・ シャア「ララァは、私の母になってくれるかもしれない存在だったのだ!」 つまり、ララァの最大の価値は、ニュータイプではなく、母としての役割であったのだ! この瞬間、ニュータイプの夢は、母性に敗れることが決定的となる。 また、アムロもこう言う。 アムロ「僕にはベルトーチカという女性がいて、おなかには赤ちゃんもいる。これは、シャアにはない強みだ!」(小説版ベルトーチカ・チルドレン) 守るべきものを見出したアムロ。 さらに、小説版では、ラストは、地球中の母と赤ん坊の思いのエネルギーにより、地球は救われる。 モビルスーツも、ニュータイプも、母と赤ん坊(あるいは妊娠している女性)の思いには勝てないことが明確になる。 ⇒なお、アムロの発言等は映画会社の苦情により削除 しかし、これは、ガンダム以来のアムロとシャアの対決のカギであり、母と子の関係や、妊娠女性は、どんな兵器やニュータイプよりも強いという思想はVガンダムへ。 |
人類は宇宙に移住すれば進化し、理解しあえるというニュータイプ思想の最後の作品。 アムロVSシャアという構図の最後の作品でもある。 なお、シャア・アズナブル第一論文「なぜ、ララァはシャアの母なのか」も参照。 |
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F91 (1991年) |
宇宙世紀0123年。 登場人物など、舞台を一新した作品。 本来は、シリーズ化予定だったが、映画がそれほどヒットせず。導入部の映画一本で終了。 テーマを描くまで進まず、ここでは省略。 |
− | − | 小説版では輪廻思想が登場している。 これは、イデオンなど、富野監督の別テーマとリンクしている。 |
− | シリーズ化できず、また、初めてサイボーグものに取り組みたい気持ちも会社の許可がおりず、失意。 | |
Vガンダム (1993年) |
宇宙世紀0153年。 さらに舞台を一新。 マリアという女王を崇拝させるマリア主義をいだくザンスカール帝国と、それに対するレジスタンスの戦いを描く。 ただし、説明不足等、作品として壊れている面がある。 |
マリア主義と、母系主義、エンジェル・ハイロウによる人類の幼児化、つまり、母と子の癒しの関係を全人類に強制することでエゴの乗り越えがはかられる。 人工物に取り囲まれる宇宙生活より、自然環境の方が人を鍛えるとされる。 ⇒ターンエーガンダムの地球回帰・自然回帰へとつながる 詳細は、Vガンダム論「失敗作としてのVガンダム」参照。 |
カガチ「私は穏やかな人類を地球に再生したいのだ。」 ⇒ザンスカール(天に最も近い国)、マリア(キリストの母)、エンジェル・ハイロゥ(天使の輪)といったキリスト教モチーフにより、人類全体を、いったん赤ん坊に戻し、エゴのない動物に生まれ返させようという作品である。 ⇒エヴァンゲリオンの人類補完計画まであと一歩である。 なお、富野監督作品のエヴァンゲリオンへの影響については、イデオンとの関係及び、富野監督のエヴァ批判も参照。 エヴァンゲリオンとイデオン 富野語録名作選「エヴァンゲリオンは何故作品とはよべないか」 |
機動戦士ガンダム以来の、宇宙世紀という世界観の最後の作品。(富野作品以外では、後にガンダムUCなどは出るが) ・主役メンバーは、やけに老人が多い。実は、彼らは、ホワイトベースの乗組員達と同世代であり、その意味でも機動戦士ガンダム以来のシリーズの終焉であることがわかる。 環境問題を踏まえ、クリーンなエネルギーがひとつのキーワード 人類の進化をとめるため、サイキッカーにより人類を幼児化させるエンジェル・ハイロウ(天使の輪)が登場。 Vガンダムは、天使のような羽を生やすことがある。 ⇒この2点のモチーフは、エヴァンゲリオンへとつながる。 また、人類幼児化計画は、技術的にはナノテクノロジーによる技術破壊として、政治的には女王支配と冬眠する人々として、ターンエーガンダムにつながる。 |
48話ナレーション「ウッソは、ファラ・グリフォンの抵抗を突破することができた。しかしそれは、マーベットが妊娠していたからだ。 そのことがこの戦場を大きく支配していることを、男たちは知らなかった。」 妊娠女性の存在が、戦場を支配している。 |
サンライズ、バンダイに買収される。 富野監督、バンダイ幹部と激突し、敗れる。 これが、精神の病への発端となり、この後のガンダム作品の多くは、他のスタッフが、まったく異なる世界観とテーマで作品を作ることになる。 (宇宙世紀ではない。例:Gガンダム、ガンダムSEEDなど) DVDBOXの帯には、「買ってはいけない」と書く。 詳細は、富野語録名作選「Vガンダムはなぜ失敗したか」参照 |
・環境問題 ・スペースシャトル打ち上げ失敗など 技術進歩の限界が見えてくる。 「(最初のガンダムから)15年たち、実際の社会で「環境問題」が一般化してきた今、ガンダムでは初めて”地球”から始まる物語を作ろうと思ったんです。」(富野監督談) 一方、オウムの地下鉄サリン事件が発生したことが、宗教の意義や役割など、心の問題が重要に。 |
ターンエーガンダム (1999年) |
全てのガンダムシリーズの総括として、ALLのAをひっくり返し、∀(ターンエー)と読む。 はるか未来。地球は、度重なる戦争の結果、ターンエーガンダムのナノマシンにより技術は破壊され、退化している。 かつてのガンダムシリーズの戦いは伝説となり、黒歴史として封印されている。 一方、月では、技術はさらに進み、人口冬眠により人は数百年生きられる。その女王、ディアナは、地球に戻ることを決意するが・・。 |
自然のままに、自分で自分の死を受容することが、エゴの乗り越えとされる。 「人よりも長く生きたいなんてエゴでしかないんじゃないかという気がするんです」(富野監督談) 詳細は、ターンエーガンダム論「全てのガンダムおよびニュータイプ論の結論としての、ディアナの死」参照。 |
「皆を不安にさせる事態が続いたことを心から申し訳なく思います。 全ての責任はこのディアナにあります。 ですが、あの悲惨な太古の歴史からよみがえった人類が、われわれムーンレイスだということを、皆々様に知ってほしかったのです。 自覚すべきは、人類は再び黒歴史をなぞるかもしれまないとうことです。 たしかにそれは、人類のさだめかもしません。 それでもわたくしは、あなた方と共に、そのさだめに打ち勝ち、新たな歴史を築いていくつもりです。 それを地球の人に知らしめることが、私たちの使命ではないでしょうか? ふつうに生き死にする、まことの生き方を手にすべき時代が来たのです。」 地球の民と宇宙の民の融和、ふつうに死を受容することによるエゴの乗り越えなど、ガンダムの歴史とテーマを総括した、ディアナの演説です。 |
ターンエーのナノマシンにより、全ての技術は封印されており、技術は19世紀レベルへ下がっている。(飛行機はプロペラ機) 過去は「黒歴史」と呼ばれ、忘れられ、モビルスーツは地中から発掘される。 |
主題歌では、「ときが前に進むと誰が決めたのだ?」と、未来志向を否定。 なお、後期に使われる「月の繭(MOON)」は名作。 これが、かつて「もえあがーれーガンダム 」という歌を作っていた人とは思えない。 富野監督の努力と成長がよくわかる。 詳細は、「moonの各バージョンについて」参照。 ・「人間は進化しない。そのことがこの20年でハッキリわかった。人間の進化は百年や二百年じゃムリ。」 「生体がニュータイプになる。それは、死を受容できる人でしかない」(富野監督) |
自分の病と回復を語った「ターンエーの癒し」を発売。 詳細は、富野語録名作選(「なぜサンライズ経営陣を抹殺しようとしたのか」参照 孫がいないため、かつてのように赤ん坊の生命力を素直に賛歌するわけにはいかなくなり、老いと死の問題が切実になる。 |
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(参考) 映画Zガンダム (2005〜6年) |
アーケードゲームの盛り上がりを受け(?)、Zガンダムが映画化 | TV版のカミーユ同様、あちこち激突した結果、精神が壊れた富野監督自身の心の病と回復の経験に基づく。 周囲をプレッシャーと考えず、立ち位置を変え、よく見て学ぶことと、親しい人と共に過ごすことにより、人は精神の崩壊を避けることができるというメッセージ的な作品。囲をプレッシャーと |
− | TV版でのラストは、一人ひとりの生命の重みを感じられるカミーユと感じられないシロッコの対決という意味あいであったものが、映画版では、心を開いて他人の力を自分のものにできるカミーユと、心を閉ざしているシロッコという位置づけに変更。 | − | 「リアリストでは中年以降は突破できない」 自分の心の病と回復の経験を、映画を使って皆に伝えたい。 参照:映画Zガンダム論「ラストは何が衝撃なのか」 |