Vガンダム論

 

(序論)失敗作としてのVガンダムが見えなくしているもの

Vガンダムは失敗作であった。

多くの興味深いモチーフは、作中に意味不明に用いられ、そのまま消えていった。
(エンジェル・ハイロゥ、ギロチン、鈴の音など)

登場人物の行動の多くは動機が不明であった。(停戦協定が結ばれても無視して戦う人々は(ドゥカー・イクの動機はバイク乗りの楽園を作るためであり、マチス・ワーカーの動機は娘に安住の地を与えるためである)なぜせっかくの停戦協定を破ろうとするのか理解に苦しむ。)

一方、無駄死にや特攻も数多く、やはり動機が見えない。

マーベットが自分の子を妊娠したことを知りながらも特攻をかけるオリファー、命がけのリスクをおかす必要が見えないコニーやジュンコ 、なによりも、毎回言うことが変わるカテジナ。

さらには、化け物のような敵やバイク戦艦の登場などにより、従来のガンダムが持っていた”本物らしさ”もなくなった。



そして、Vガンダムという作品の失敗により、富野監督は、ガンダムから離れることとなり、宇宙世紀を舞台としたガンダムシリーズの歴
史も終焉をむかえた。

しかし、決して誤解してはならない点は、Vガンダムの失敗によって、昔ながらのガンダム的な世界観がなくなったのではない。

富野監督は、15年にも及ぶ長い苦闘の結果として、もともとVガンダムによって、それまでのガンダムの世界観を意図的に崩壊させよう
としていたのである。



富野監督「僕が今回、「Vガンダム」をはじめるにあたって、一番に意識したのは、実のところ、これまでの世界観も何もかもひっくるめて一切を
断ち切る!!ということから始める、という考え方なんです。」

「キャラクターにしても何にしても、あらゆる意味でこれまでの「ガンダム」を断ち切ります。」(アニメミニアルバム 機動戦士Vガン ダムのインタビューより)




ところが、作品としてのVガンダムが失敗したことが重なったため、Vガンダムが意図的に宇宙世紀を終わらそうとしていたのか、それと もVガンダムの失敗によりガンダムの世界観が崩壊し、バンダイが名前のみ継承させて異なる世界観で続編を作り始めることになったのか 、違いが見えにくくなってしまった。



つまり、
・作家(富野監督)の問題として、ガンダムの世界観を棄却せざるをえなくなったのか?
・作品の失敗の結果として、ガンダムの世界観が変わることになったのか?

もちろん、この2点は完全に分離できるものではなく、実際は両面ともに存在する。
この論文では、第一章では、できるだけ作家性の問題に焦点をあて、ガンダム世界の自立的な崩壊を秩序だてたい。

次に、作品制作上の失敗とその顛末については第二章で見ていく。


いずれにしろ、強調したい点は、Vガンダムは、本来であれば、失敗作としてではなく、作品論的に問題作として話題になるべき要素を多
々持っていたのだが、作品そのものが破綻していたために、その点は話題になることはなかったということである。(それ以前に話題にす べきことが目に入りすぎた・・)

Vガンダム以降、宇宙世紀シリーズが製作されていないように、Vガンダムこそが、良くも悪くも、人類の宇宙進出、モビルスーツの誕生 、ニュータイプへの進化といった「機動戦士ガンダム」の世界観の限界をロジカルに示した作品だったのである点は、重要であろう。

(これ以降のガンダムシリーズは、基本的に、初めから異なる世界観の中で作られることになる)


この論文の主旨を一言でいえばこうなる。
「あれほど人々を熱狂させたガンダム的世界観が、15年がかりの苦闘の探求の後に、崩壊せざるをえなかったことについて、人々は多少 なりとも意識するべきではないだろうか?」

ここでは、これらの失敗により、よく見えなくなっている部分、すなわち、Vガンダムがいかに正当に宇宙世紀のガンダムの歴史を継承し 、破壊し、そして終焉をもたらせたのかということに注目したい。

第一部では、富野監督が、Vガンダムという作品によって、いかにしてガンダム世界を終焉に導こうとしていたのかをおおまかに探る(詳 細は、また別論する)。

第二部では、富野監督が、Vガンダムという作品作りにおいて、いかにして失敗していったかを検証する。

そして、この2つの流れの合流点として、第三部でとして、カテジナ・ルースというキャラを考える。


 


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