どうしたら、ガンダムのニュータイプのような力を身につけることができるのか



ガンダムブームの頃であれば、誰もが憧れたであろう、ニュータイプ

どうすれば、人は、ニュータイプになれるのであろうか?

やはり、重力に魂をひかれ、地球で生活している現代人はニュータイプにはなれないのだろうか?


実は、富野監督自ら、「誰でもニュータイプにはなれる」と力強く言ってくれている。

しかし、まずは、そもそもニュータイプは何なのか、確認してみよう。(以下、全ニュータイプ図鑑より抜粋)


−「ニュータイプ」という概念が、わかったようで、いまいちわからないのですが、「ニュータイプ」とは、どのような人間なのですか?

富野監督「人を誤解なく理解できる人」それが「ニュータイプ」です。
「ガンダムワールド」では、それが、多少「エスパー」的な描かれ方をしていますが、「ニュータイプ」は、超能力者ではありません。

でも、「ニュータイプ」は、「予知能力」を持った人で、この「予知能力」というのは、本当に人を誤解なく理解するためには、必要なのです。
この能力は、潜在的に人間がだれでも持っているもので、昔は、人間はもっと「予知能力」を持っていたとボクは考えています。

例えば、親族のだれかが死んだとき、「あっ、今、ダレダレさんがなくなったよ」ってわかる人が、たまにいますが、そういう人間同士のつながりを理解できる能力ってのは、どうもありそうだ。

もう一つ例をあげると、ある人が書いた3行の記事を読んだとき、あっ、こいつのいっていることはよくわかるっていう場合、実際にその記事を書いた人に会ったとき、まだ目線も合わさないうちに、瞬間的にパッとああ、あいつかもしれないなという気がして、言葉を交わしてみたら、やっぱりそうだった、なんていう、人を瞬間的に認識してしまう能力ってのは、ボクの経験からでも、人間に潜在的に備わっていることがわかる。

こういう能力をスムーズに発揮できる人が、「ニュータイプ」なのです。
「ガンダムワールド」の場合、どうしても「予知能力」「勘がいい」「ちょい先読み」っていう部分でしか表現できないから、困るんだけど。

それと、「大脳生理学」的な見地からとらえた、もうひとつの「ニュータイプ」論があります。

現在の人間が実際に使いこなしている大脳細胞(大脳皮質)は、全体の約30%〜40%くらいにすぎないといわれています。

それでは、残りの約60〜70%の大脳皮質は、一体何のためにあるのだろう ?

「ガンダムワールド」では、この考えを応用しました。残りの脳細胞は、きっと人間が宇宙に出たときに使うのに違いないと。
そして、この眠れる脳細胞がフルに活動するようになれば、宇宙的視野で物事を理解できるようになれるのだと。

たとえ自分がひっくり返っているときでも、瞬間的に宇宙空間での座標上では、自分が現在いる位置は、どこそこであると、パッとセンサーが働き、空間論が生理的にわかるようになる。

それともう一つ重要なことは、広大な宇宙空間で通信するのに必要なコミュニケーション能力が、オーラ力のテレパシーとして開花するのではないか。
つまり、大脳皮質がフルに働き出したために、広大な宇宙でスムーズに人を誤解なく理解できるようになった人、それが「ニュータイプ」なのです。」




−ニュータイプの資質に関しては、どのようにお考えですか?

富野「確かに「ニュータイプ」の資質うんぬんってことは、劇中ではいいますし、いわざるをえないんですけれど、一人の主人公を中心にドラマを展開させていくうえでは・・・。

でも、基本的には、ボクの中には「ニュータイプ」の資質論は、あんまりありませんね。
あってはいけないと思っています。それと、一能力者に話を決めたくないっていう願望が強いものですから、そういう意味でも、資質論は、あまりいいたくはないですね。

むしろ、重要なのは、生まれてから以後の、つまり親子の関係とか、その子の意識の持ち方で「ニュータイプ」にめざめる部分が大きい。

で、そのためには、「ニュータイプ」を生むためのノウハウは何だっていったときに、はっきりいえることは、「良い家庭、向学心、向上心」ということにつきます。

人間は、どんな環境でも、ある程度は順応できますから、そういう意味でいえば、必ずしも宇宙という場所も必須というわけではない。

極端なことを言えば、皆が「ニュータイプ」になろうと意識さえ持てば、地球にいても「ニュータイプ」になれるんじゃないかとも思っています

そうはいっても、今の地球という状況は、あまりにも地球と人が密着しすぎているから、宇宙的視野で物事をとらえることも、眠れる残りの脳細胞を活性化させることも、かなり難しいことだろうとは思いますが、できない相談ではないなと思っています。」


以上、富野発言を見てきた。


つまり、シャアの奮闘もむなしく、どうも人類は地球にいても、ニュータイプ化は可能なようである。

しかし、「良い家庭、向学心、向上心」というのは、ガンダムのニュータイプ達を見ても、あまりあてはまってない気がするが・・


しかも、「良い家庭、向学心、向上心」では、とても宇宙空間を突き抜けるようなひらめきは得られそうにない。



もっと、空間をつきぬけるような感覚を手に入れる方法はないのかと、他のインタビューを探してみたところ、次のようなものがあった。(「教えてください。富野です」より抜粋)


富野 「実は、僕、中学生の頃に遠当ての練習をずーっとしてたんですよ。」
斉藤 「ほぉー。」
富野 「小田原には酒匂川というかなり大きな川があって、対岸まで3、4百メートルあるんですけど、その向こう岸を歩いている人を遠当てで倒すという練習をしてたんですよ。
1年くらい。「やぁ!」って。そういうバカな子だったんです。」



つまり、富野監督は、1年間、気合だけで人を倒す練習をしていたわけである。

これがニュータイプの力の源泉だろうか?

ただ、川の対岸の人にしか届かない気の力というのは、ガンダムの世界のニュータイプに比べると、どうもスケールが小さい。

そう思って他の富野発言を探してみると、ついに、地球の裏側まで見るような力の源泉についての説明が見つかった!

富野 今、もし日本のアニメがつまらないとしたら、それは作り手がそういう「うわっ!」という気分を持っていないからでしょう。そういうものを体感として、生活感覚の中に持っていないからです。

それは、男女間の交際のことについても言えると思います。

「うわっ!」て言うような男女間の恋愛でなければ、やはりそれも「フェスティバル」にならないわけです。
もっといっちゃえば、セックスだって「うわっ!」というセックスと、「うぇ?」というのとでは違うでしょ(笑)。

そういうことを、お前ら少しは本気で考えろよ!ということです。

−うわっとか、うぇ?とか、これ活字にしたら、わけがわからないですね(笑)

富野 僕は、体感の話をしています!

−はい。

富野 健やかに体の感覚が「うん!」って思えるセックスに比べて、うんとも言えなくて、しょうがなくてとりあえずやったとか、泣く泣くやったとか、銭だけの援交でおじさんにやらせてやったとか、そういうのはあんまり気持ちよくないでしょう。

本当に「うわっ!」といった時というのは、地球の裏側まで見えるかもしれないというくらい、本当に「うわっ!」となりますからね。

−それはすごいですね。

富野 いや、本当。おそれ多くも、そういう経験、一度や二度はありますから!

−恐れ入りました。

富野 言っておきますけれども!この経験に関しては、愛人とではありません!(笑)

−それはしっかり書いておかないとまずいですね。

富野 愛人とのセックスというのはね、なんか「うにゃ?」という感じで、「うわっ!」じゃないんです。

−愛人とのセックスは否定しないわけですね(笑)。

富野 ははは(笑)。

(以上、「それがVガンダムだ」より抜粋。)


つまり、地球の裏側まで見るような経験をするには、お金(愛人)ではなく、真の「」が必要なのである!

ここに至り、私は、数十年間疑問だったガンダムの謎が、ついに解けた気がし
た。

映画 機動戦士ガンダムU 「哀(あい)戦士」
映画 機動戦士ガンダムV 「めぐり 宇宙」
映画 機動戦士ZガンダムU「恋人たち」
映画 機動戦士ZガンダムV「星の鼓動は

何故、ガンダムの映画は、やたらと「愛(あい)」にこだわるのか?

それは、「愛(あい)」こそが、地球の裏側まで見えるような、「ニュータイプ」の力の源泉であるという、富野監督の実体験に即した思いから来ているのではなかろうか?



そう思って、ガンダムシリーズの最終作である、機動戦士ZガンダムV「星の鼓動は愛」のラストを思い起こせば、そこでは、「一生、彼にとって精一杯生きていくべき日常」(by富野監督)としての、ファ・ユイリィとの愛が描かれていた。

もう一度、先ほどあげた、富野監督の言葉を確認しよう。

「眠れる残りの脳細胞を活性化させることも、かなり難しいことだろうとは思いますが、できない相談ではないなと思っています。」

脳細胞を活性化させるニュータイプの力とは、実は、宇宙空間ではなく、愛の力だったようである。



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