Vガンダムは何故失敗したのか

Vガンダムは失敗作でした。

どう失敗したのか、本当はどうなるはずだったのか、実は、凄い話になる可能性があったのではないか・・という見解は、別途作成中のVガンダムページにVガンダム論としてまとめています。
また、ガンダムシリーズ全体の中での位置づけについては、ガンダムの真実を参照ください。

ここでは、TV放映終了直前のインタビューと、それから10年たってからのインタビューを抜粋します。長くなってしまいましたが、とくに、後者は興味深い内容が多く書かれていると思います。

なお、自分の簡単な感想はブログに書いておきました。




1.Vガンダム大辞典(平成6年2月22日)インタビューより抜粋
難しいストーリーを作ったつもりはないのですが、すごく込み入った話になってしまったのは間違いありません。今になって反省しています。何でこうなったのか、僕自身も良くわからないんです。

どうやらVガンダムで僕は、なんか別のことをやろうとしたというのは事実らしいんですよね。結局、2クールの頃からだろうと思うのですが、いろんなことに気がつきはじめて、軌道修正をしていって、テレビパターン?そうテレビとしての作り方に戻していく努力をすごくしたという意識があります。
つまり、1クール目で余分なことを一杯やってるんだよねっ、ていうのが一番の印象ですね。それというのは、僕の仕切りじゃなくて、なるべく、若い人の脚本にのっとってやってあげたいなっていう気持ちがあったんです。今にして思うのだけど、そういう善悪の部分が作品をコントロールできていなかったんだとは思えます。

もう一つ大きなミスがあるとすれば、テレビのバージョンの仕事を始める前に、僕が考える時間がひどくあったために、内容が多くなってしまった。そうして頭の中にあった物を、みんなに振り分けていって、みんなに書かせたいと思ったんですよ。だけど、結局それがまるで化けなかったので、2クール目の中頃から、言っちゃえば腹立てて全部の仕切りを僕がしちゃった。そういうことです。

1クール目に僕が強引に仕切らなかったのが一番の原因だということは間違いないですよ。そういう意味でいう作品は、しょせん一人の人間の意志でしかできないものなんです。それを、スタッフ、特に脚本の人達が個々に持っている部分をひどく善意に取り上げようと思い過ぎたのが一番の裏目に出たのかなって。

実は当初の構想として、なるべくなら、僕は途中で抜けるつもりでいたんだよね。とくに1クールのころ。各担当シナリオライター、担当演出で転がしていけるようにしたかったんですよ。だけれども、初めの6本くらいで打ちのめされたモンで、続けちゃいました。

結局今ご指摘の通り、こちらの初期プランもかなり分厚いものがあったんでしょうね。それに途中いろんなものを入れちゃったから、どうしようもなくなっちゃって、グチャグチャにしちゃった。

とにかく視聴者に伝わっていないし、伝わるような作り方がとにかく完全にできなかったっていうのがあります。という意味では、典型的に失敗したシリーズだと思っています。

こうなってしまったっていう原因というのは、大雑把に言えばその辺の僕の指揮権の問題なんです。僕が暫く離れているうちに、テレビシリーズのお作法を忘れていたという部分での問題点がかなりあるんですよね。だから今回、漸く終わってくれるんで、本当にホッとしています。それで全部ですね。今回の話は。

僕の中に、とても怖い話にする予定がどっかにあったらしいというのを、今になってちょっと感じますね。それが結局、Vガンでは、それもできなくなってしまうくらいに混乱してしまった。
実は1クールの時の情報過多という部分の、整理学に追われてしまって、後ろの2クール、3クールはそれに引かれてしまったという部分があったんです。そうかVガンってやっぱり物語の構造ラインになっていないんじゃないのかな、ってのも、終わってみてつくづく感じますね。

そういう意味ではとんでもないとんでもない失敗を一番初めにしてしまったっていう以外、なんとも言い様がございません。

一面では自信はあったんです。他の人のものを利用して、テレビシリーズとしてもう少し優しいフィルム作りをしたかった。
それは、結果的に多少ゴツゴツしているかもしれないけれど、先に言ったとおり、結果論でいえば一つの意志で全部統一した方が作品としてはよかったのかなあという思いがちょっとありますね。だから、これはもう、総監督の監督ミスにつきるね。

それ(スタッフの意識)に関しては言いたくありません。というのは、これは全部スタッフの悪口になりますから、そこまでは書いていいんですけれども、それ以上の具体的な話になると、独断と偏見でこちらが話しをするわけだから、全部僕個人の問題として話していったほうが、今日まで手伝ってくれたスタッフに対して失礼にならないで済む。一番大きな立場に立っている僕。そのポジションの僕が采配ミス
をしたということをきちんと受け入れてあげるということのほうが彼らにとって、いいことだと思う。それは、今回手伝ってくれたスタッフに対して、おためごかしをするんじゃなくて、個々の部分じゃみんなが頑張ってくれた。

実は今回のVガンに参加するまで、スタッフの若い世代が知らなかったっていうことが、山積みなんです。そのくらいみなさん基礎学力がなかった。
総合的にはこういう言い方です。各論にするとね、ちょっと個人攻撃になっちゃうから、というスタッフが大半だったと思ってください。
僕はその事実を見落としていて、個々の才能をとにかく取り上げようと思ったんで、それでひどい目にあったんです。

この1年間、テレビの仕事以外に何もできなくなっちゃって、ノベルスは書けないわ、年収は下がるわ、僕自身の意識が物理的にプッツンするわでもう・・。

極端な話ね、頑張らないで手抜きでやってくれた方がもっとよかったっていう事例が今回ものすごくあるんです。

結局、今回Vガンに加わってくれたスタッフは、ここに来るまでに他の仕事でなんとなく一人前になった人達がほとんどだったんです。基本的にはフィルムを作るハウツーを何も知らなかったという一言につきます。それは正直驚くべきくらい、すごかった。だから、何故彼らがそういう仕事をして5年か10年か知りませんけども、長い人では10年くらいかな、なんでこれで食ってたのか僕には分からない。そ
れが許されてきたのかという部分が理解できないんです。本当に無駄をやってきた。それで制作費がかかるの、かからないのって言ったり、そこそこの作品ができてきたり、できなかったり、という状況があったなどというのは、お笑いに近いんです。僕にいわせると、そういうスタッフが集まって作っていた作品なんだから、良い悪いもないじゃないかって思う。うまくできたのはたまたまできたんじゃないのっ
て・・。

あからさまに言えば、特にこの半年のスタッフの練度ってすごいです。だから、今Vガンに関与してくれたスタッフは、まだ馬鹿やる奴も一人か二人はいるけど、成長してくれました。みんながスタジオに来たときより練度が上がっているからこれが言えます。認めてなければ馬鹿なんて正面切っていえません。だから、今回、嫌がらないで最後まで手伝ってくれたスタッフに関しては、僕は本当にお世辞でもなん
でもなく、よく我慢して今日までやってきてくれた。本当に嬉しいと言えます。

同時に先輩達が悪い。後輩になにも教えないで、仕事をさせるな。これは先輩もそうだし、製作者もそうだけれども、一蓮托生で本来みんなに責任がある。ノーコントロール過ぎる。それで自分たちで作品を作っているつもりになっているけれど、どれだけ無駄をしてたかを考えて欲しいと思います。
だって、練度が上がらないで、お金を使ってフィルムを作っていては・・業界全体で言うと問題なので、サンライズに限った言い方にしますが、ちょっと現場を放任し過ぎたんじゃないかなって思いますね。スタッフを甘やかし過ぎた。それも素人のスタッフを。本来のフィルムを作る、映像を作るって仕事がノーコンだった。凄まじい現場ばかりだったから、ここにいた人達にそれぞれの個性を出させるように思
った総監督が馬鹿だった。終わり。(苦笑)




2.「それがVガンダムだ」インタビュー(2003年11月26日)より抜粋
「分裂症寸前を自覚して生きようとしたら、カラッポの理が走る。カラッポの知が走る。それがVガンだ。」
もし「Vガンダム」というものを見る機会があったら、そういうことを思い出してほしいのです。「Vガンダム」が、なぜこんなにメチャメチャだったのかというと、要するに全部が、考えが足りなかっただけの話なのです。

分裂症になるかもしれない寸前のところで人間が生きようとすると、結局体力だけが勝負になってきます。体力を維持するために、僕の場合には『Vガンダム』を作ってみせたのです。そうすることで、体力を維持する訓練をしていたんだな、というふうに思います。
さっき言ったとおり僕は政治家じゃないから、どんなに気が狂ってみせてもそれがせいぜい「失敗作」ということで終わるのです。
そういう意味で、終わってみて政治家ほどには指弾されないで済んだから、生き延びられたということでしかありません。強力な体力を使って作ったからではないんです。最低の体力で作れるもんなんです。しょせん、この程度のものだったら。
これがそんなふうにひどい作品であるということは、この際はっきりとさせておくべきじゃないかと、僕は思います。

ここで改めて、俯瞰的に作品を思い起こせば、やはりこうまで作家性がない人間に、それこそ分裂症気味になっている人間にやらせたら、それはこんなふうにしかならないし、もはや作品の評価論にさえなりません。
だから、本来こんなものはDVDにしてはいけない。そういうところに話を落としておくのが、一番正しいのではないかと思います。
そして、その上で、こんなものをDVDにしてしまえるというのは、どういうことなのかを考えてほしいし、「DVDを作っているおれたちが、今やっていることは、間違っているんだよね。これが商売になるっていうのはおかしいんだよね」と考えてほしいのです。つまり、「買う奴もおかしいし、売ってる奴もおかしい。だから、これはもう少しなんとかしようよ、お互いに」ということです。ならば、一体どうしたらいいんだと考える時に、問題点というのは、この『Vガンダム』の中に全部載っているはずなんです。

これは93年でしたよね。ということは、今ちょうど10年たちましたので、本当はまだかもしれませんが、もうそろそろ時効にしていいんでしょう。・・・いや、時効なんかとは関係なく、『Vガンダム』というテレビシリーズのことが、アニメというよりも、あの時代のサンライズのドキュメンタリーだったんじゃないかという感触を持った視聴者に対しては、「全くそうだったんだよ」と言うことができます。

このシリーズで、僕自身がこういう立ち居様になった結果というのは、作品論的なものではありませんでした。もちろん、そこには僕自身の問題もありはしますが、経営論が優先した作品だったのです。

その証拠が、『Vガンダム』の製作が終わった瞬間に、サンライズという町場のプロダクションが、バンダイという大手の会社にそっくり譲渡されていたのですから。

そもそも、「またガンダムをやってくれ。そうでなくちゃ困るんだ」と僕が言われて、企画が始まった時には、すでにプロダクションの買収話が、前提としてあったようでした。
『Vガンダム』のオンエアの1年くらい前のことのようですが、町場のプロダクションの経営者たちは、会社の経営を譲渡するためバンダイとの下話を始めており、その交渉の条件を満たしていく中で、サンライズは『ガンダム』を作るしかなかった、ということだったのです。

僕は、その話をオンエアが終わるまで知らされませんでした。

実際、「何だろう、この体制は?」と疑問に思うことはいろいろありました。それでも、自分ももう『ガンダム』しか作らせてもらえない情けないロボットアニメ専門の監督なんだよね、というところで、ほぞを噛みながら、人生たそがれが見えてきた気分の中で、でもやっぱりこんなものでもやってみせなきゃいけないのかなと思って、企画書を書き始めたのだと思います。

しかし全体的に見るなら、新しく『ガンダム』を作るぞ、という意気込みの感じられる体制ではありませんでした。
『ZZ』を作る時のサンライズの状況もひどかったと言えば、ひどかったんですが、その時よりも、もっとずっとバックグラウンドがなくなっていました。
会社を譲渡することが決まっていたので、その余波がそういうところにも反映していました。でもその時の僕には、なぜそんなに体制が希薄になったのかの理由がわからなかったのです。

実は今朝、ちょっと確認の意味で『Vガンダム』のスタッフ編成を見てみたんですが、その時に初めて、ぞっとしました。このスタッフ編成というのは、日本サンライズの時代から一緒にやってきた経営者たちの影響力が完全になくなっている編成だったんだ、ということです。

だから、当時のサンライズのプロデューサーも、彼らがダミーでよこしたものでした。彼自身もどうやらそれを知ってたようです。だから、こうまで薄い現場のスタッフ編成で作らされたんだな、ということを今朝初めて実感したんです。
作品というものは、恐ろしいものです。経営者などというものは、一見作品なんかに直接関係ないように見えますが、ちがうのです。やはり、「この会社をつぶさねえぞ!」という強い意志を持った経営者がいる時と、いない時では、結果の化け方っていうのは、全然ちがってくるのです。

今にして思うと、こういうスタッフ編成で、−あからさまな言い方をすると、集まってくれたスタッフたちには誠に申し訳ないんですが、ここまで無能な奴を集めて『ガンダム』を作れって言ったんだよな、あいつらは。という声が、今朝、改めて僕には聞こえました。それでやらされる方は、たまったもんじゃありません。

しかし、何度も言いますが、作っている時には僕はプロダクションの身売り話を知らなかったのです。それでも、分裂症にかかるわけにはいかないと感じながら、まがりなりにも最後まで作りおおせてみた時に、経営者たちから初めて、実はサンライズを売却し、自分たちは会社を去るという話を聞かされました。

僕はサンライズの中でずっと仕事をしていましたから、自分の立場からすると、まるで人身売買されたような気持ちになりました。そのような事態が進行する2年の中で、作らされていたのが『Vガンダム』だったのです。

フィルムで作品を作るというのは、煎じ詰めれば作品論じゃないんです。しょせん経営論なのです。だから、作品論だけで作品を評価するというのは基本的に不可能だし、それはありえません。
プロダクションという底支えしてくれる経営基盤がなくなっていく状況で『Vガンダム』を立ち上げいくという過酷な作業を実際にやってみた時に、自分でも片足がずぶずぶと沈んでいくのがわかりながら、理由もわからずに、なぜこんなに沈むんだろう?おれはここまで非力なのか?と思いながら、状況に身を委ねるしかない中で仕事をしていた。そんな実感が思い出されます。

なんとかそれを、踏みとどまるための自助努力はしたはずでしたが、こんなものしかできなければ、それは作品として筋が通せたものとはいえないでしょう。

それでもなんとか続けていられたのは体力があったからとも言えますが、やはり、それはスタッフのおかげです。当時のムック本(注:上に載せたVガンダム大辞典のインタビューのこと)にはスタッフの悪口も書いてありますけれども、そうは言っても、その底なし沼に集まってきてくれて、いっしょに作ってくれたスタッフ達がいたから、なんとか最終回までは持ち込めたのです。そういう意味では、スタッフたちは本当にがんばってくれました。

『Vガンダム』の打ち上げの時のことで、ひとつすごくよく覚えていることがあります。何人かのスタッフに、謝られたんです。僕の方が謝られたんですよ。思い至らなくてすみませんでしたとか、こんなふうにしか撮影できなくて申し訳ありませんでした、と。

僕は、後にも先にも、あんなふうな打ち上げはあの時だけです。

末端のスタッフというのは本当に、自分たちの持っているものを出しきって、最終的にはカットを支えてくれたんですよ。

でも、そんなこんなを全部見過ごしてくれた出資者なり、経営者を、僕は今でも許すことができません。大人の倫理感として、それは許せないのです。
せめて「申し訳ないけど、これでおれたちは手打ちして、下がる。下がるから、やってくれ」と言ってほしかったのです。そんなものが何ひとつなくて、なおかつまた10年という時間を過ごしているという人たちは謝ってくれません。これは、大人としていまだに許せません 。

結果は正直です。だからこそ、なんです。経営者が製作現場をきちんと支えきらずに、引き下がってしまうのは、それはないだろう!ということです。

だから、それが作品の表情に表れてしまったのです。そういうものは、表しちゃいけないんですよ、本来作品というものは、それは理念としてそうあるべきです。そういう意味では、見てくれたファンには本当に申し訳ないと思います。

本当にそういう部分(カトキ氏のメカ、逢坂氏のキャラ)だけが救いとして残った部分で、作品論的な面で評価できることというのは基本的にはあるとは思えないのが、『Vガンダム』という作品です。

そして、そういうことを誘導してしまった、もう一人の陰のプロデューサーがいるわけです。それは当時のバンダイの人物なんですけれども、その彼が強権を発動してきたために、バイク戦艦みたいなバカなものまでださなければならないことになったわけです。

製作が始まった頃になて、僕は生まれて初めてバンダイ本社に呼びつけられて、その役員から直に「戦艦を出せ」と言われました。「本当に戦艦を地上でも浮かせて飛ばすというのなら、バイクだって空飛んでいいんでしょう?」と言ったら、「飛ばしてよ」と言われ、「本当ですね」という話になりました。

そんなふうに、『Vガンダム』にはもう一人の、絶対権力を発揮できるプロデューサーともいうべき人物がいたのです。だから、そういう形で作られたものが、あらゆるデザイン論の中に現れてきたというのは、あれは基本的にバンダイの仕事です。それは強権発動であって、「それをやってくれなければ、あんたには降りてもらう」と言われました。本当にバイク戦艦でいいのかと言ったら、「かっこいいじゃな
いですか」
という返事でした。

経営ということを考えている自分を、クリエーターだと思い込んでいる大人というのはすごいものだな、と思いました。自分が狂っているとは、今日現在までも絶対に思っていない方ですから、そのことのすごさというのは、企業を滅ぼすし、国家も滅ぼすと思いますね。

しかし、「ああ、この人にそういう話をしても通じないな」と思いました。それをやってくれなければ富野を外すよ、というふうに言われた時に、・・今ようやく思い出しましたが、僕、その時に降りなかった一番の理由というのは、もちろん生活の理由ということもありますが、「こういう状況なのであれば、このガンダムはおれがやっておかないと、全部瓦解するな」と思ったんです。全部潰されるなと思いました。だからその後、ガンダムはさらに3シリーズありますが、(「Gガンダム」から)「ガンダムX」までの経緯というのは、わかるでしょう?基本的に彼の仕事なんです。それは、おもちゃ屋さんが手を出したら、全部こうなるんだよっていう、現実のサンプルなんです。

『Vガンダム』の時に、そういう外部からの夾雑物が入ってくるのを阻止できなかったのは、僕の立場がフリーランスで弱いからということもありますが、それだけではないということです。もし本当に監督として、原作者として力があったら、その人物程度でも企画書見た時に「あ、これは入れられないな」と思わされるはずなんです。そういう力を持てなかったというのは、しょせんこちらも愚民の一員でしか
なかったということであって、「バカ同士なら、そりゃ札束持った奴の方が強いよね」ということでしかありません。

だから、そういう中で作られている作品というものを、一生懸命見たりするのはやめた方がいいのです。それは作品として考える必要なんか全くないんだから、見る必要なんかはありません。『Vガンダム』に関しては、大人の汚濁に満ちた結果の作品なんです。

だから、今度発売されるDVDに関しても「こんなDVDは買ってはいけませんよ。こっちは一応商売で売り出しますけどもね」というエクスキューズくらいしておくべきです。きれにして売るようでは、もっとひどい愚民に堕ちるということです。

神戸の小学校で子供たちを殺傷した宅間という男がいましたが、あの錯乱や狂気というのは、昔で言うところのキチガイなんだろうかと言うと僕は昔のキチガイってもうひとつどこかが曲がっていたような気がします。それに比べるとあの男は「お前この程度でキレちゃだめだぞ」という感じがするんです。やはり、10人近くも人を殺せるというのは、そこにもう少し折れ曲がったものがなくちゃいけないんじゃないか、ということです。だから、人の心性というものを我々はもう少しきちんと考えていく必要があるだろうと思います。

言ってしまえば、『Vガンダム』程度の敗北のしかたをしているなんていうのは、やっぱり僕も宅間レベルでしかなくって、もうちょっと深いところに、ちゃんと深入りできていかなければならないのだろうと思います。そういう意味では、僕程度の屈折なんて現代病かもしれません。だから、バンダイの方程度が悪人だなんて事を言っちゃいけないんですね。

それでも、負けちゃったということ自体は情けないとは思いますけど。

「Vガンを見て、何かを一直線にわかろうなんて絶対思っちゃいけません。基本的に失敗作で面白くない作品なんだから、見る必要はありません」というところに、全部帰結します。






(参考)最初のインタビューは、「富野語録」にも掲載されています。2つ目のインタビューは、「それがVガンダムだ」に掲載されているものです。インタビューの全文を読みたい場合は、それぞれにのっています。




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