2005年の東京都現代美術館のハウルの大サーカスの。
ちなみにハウルはこんな感じです。独特の雰囲気はあるのですが、似てるかというと・・?
でも、汐留のイベントのときは、ただ単にチャチな人形だったハウルですが、幻想的な美しさを持つに至った点は、良くなったといえるでしょう。
でも、ジブリ美術館と比較した場合、やはりチープさが目立つので、宮崎監督はハウルの大サーカスには全くタッチしていないのではないかと思いました。
ホームページの日誌を見ても、確かに、宮崎監督自身が何かやったり、そもそも、見に来たようす自体ありません。
もし、本人が多少なりとも関わっていたら、ジブリ美術館や愛知万博のサツキとメイの家の製作から考えて、はるかにこだわりが感じられるものになったのではないでしょうか?価格もあがったかもしれませんが・・
価格について言うと、今回の1000円という価格は、映画「ハウルの動く城」の半額以上であり、かつ、数倍出せばディズニーランド行けてしまう金額でもあります。しかも、何かのついでに行く場所ではありませんし・・(東京現代美術館のルオー展見に来たヒトなら別).
とはいっても、私は、ノリは汐留でわかっていたため、上記のような点は、実はそれほど不満ではありませんでした。
では、何が不満だったのか・・
そもそも、展示数自体が少ない気がしました。
あれなら、汐留のハウルの城も、そのまま持ってきて隣に置いておくぐらいしたら良かったのではないでしょうか?
人気コーナーの、ドア開けると景色変わるやつもあったし・・
→実は、またやりたかった・・
なぜ「ハウルの動く城」で「サーカス」なのか?
汐留は、ハウルの城に入れるというのがウリでしたが、今回、サーカスをやらせる意図は?
もっとも、サーカスとの結びつき自体を批判する気は全くなく、アイデア的には好きです。
ただ、展示の1フロアを丸ごとサーカス映画の紹介に使い、しかも紹介されている映画は、
「天井桟敷の人々」
「道」
「チャップリンのサーカス」
名画には違いないし、私も大好きな映画ですが、どれも白黒映画ばかりです。
日によっては上映会もやるようですが・・
このテーマでやる以上は、もうひとつ深く、サーカス(もしくはサーカス映画)とハウルとの関連を掘り下げて欲しかった気がします。
ただ単に並べて展示するだけであれば、いっそ、ハウルの動く城のモデルになったアルザス・ロレーヌ地方(でしたっけ?)の風景ビデオでも流してくれた方が、一般には楽しめたでしょう。
画集がなかった。
実は、私は、宣伝で使われているシャガール風のハウルの一連の絵が結構好きで、ちょっと欲しかったのです。
おみやげにはなく、がっかりしました。
さて、良かった点も書きましょう。
大道芸人が面白かった。とくに、最初に出てきた巨大なヒトは、見たことない種類の大道芸でした。
いきなり走ったり、壁にしがみついたり、奇声を発して驚かせてくれました。
汐留にはいなかった、若いソフィーもいた。
もっとも、似てる度では老婆バージョンの方がかなりまさっていた。
最後のサーカスシーンで、皆動いた。あれで動かなかったら、暴動が起きたかもしれないが、動いてくれて、お互い良かった。
さて、最後に、何故ハウルで何故サーカスなのか、再度考えます。
おそらく、企画者がサーカスという連想に行ったのは、
・ハウルの城の音楽に哀愁がある。
・キャラが個性派ぞろい。
・古いヨーロッパが舞台
という3点からきていると思われます。
そして、その連想から、
「天井桟敷の人々」、「道」、「ライムライト」のような、古い(白黒の)哀愁ある大道芸人系の映画を放映するとともに、フランスの本物の大道芸人を呼んだのだと思います。
では、なぜ、映画の大道芸人に哀愁があるのか?
それは、大道芸が、いつまでもできるものではなく、どこかで年齢の限界がきたり、失敗したり、人気がなくなったりという瞬間を、いつも想像させるからではないでしょうか?
たとえば「道」のザンパノが、鎖を切れなくなってくる描写や、ライムライトなどが、この路線だと思います。
もうひとつ、大道芸人に哀愁があるのは、それが、世間一般とは異なるマイノリティな人々を、見世物として、象徴しているからではないでしょうか?
その意味だと、併置すべき映画は、昔のフランス名画ではなく、むしろ「エレファント・マン」だったかもしれません。
もしくは「サンタ・サングレ」とか・・
そして、この路線の方が、「ハウルの動く城」という奇妙な集団の哀愁に近いことは間違いないでしょう。
あの集団は、たしかに映画においては、「ハッピーエンド」だけど、いつまでもあのままではいられない感じも濃厚にします。
国家権力から迫害されているマイノリティの集団として・・
それは、とくにハウルの化け物性によく出ていると思います。
彼らは、日常生活を営むことはできない集団なのです。いつまでもハッピーエンドが続くものではないことは、全ての登場人物もわかっている(観客もわかっている)ような気がします。
となると、ハウルの動く城の大サーカスは以下のようなプログラムにするべきでした。
冒頭の、入場前の巨大な大道芸人はそのまま残す。彼の化け物性は、テーマに沿っている。
映画は、昔の名画を放映するのではなく、「エレファント・マン」や「サンタ・サングレ」にする。
1フロアーを戦争の間にする。映画にあったように、真っ暗闇にして、燃える家だけ映像表現し、爆音を大音声で再現する。空中には、化け物のハウルが飛び交う。
人形は現在のままで良いが、ハウルに関しては、リアルな化け物ハウルと、リアルな美青年ハウルを追加し、入り口と出口に配置する。
ラストは、現在同様、人形の気楽なサーカスを配置。こうすることで、いかに今の平和が暫定的なものか感じられ、哀愁ただようとともに、明るさに救われる面もある。
ウーム。これは結構奥が深い展示になるのではないでしょうか?是非行ってみたいものです。
カルトな展示会になってしまうかもしれませんが、何か学べる場になる気がします(私だけか?)
逆に、ここまでやる気がないのなら、サーカスというテーマ設定自体をやめ、
汐留の城をもっと本格的に作り直すとか、映画をやめて、アルザス・ロレーヌ地方の映像を映すとか、あるいは、ジブリのスタッフのセル画とか並べるとかして、純粋に映画の世界を追体験できるものにした方が良かったと思います。
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