Vガンダム企画時点(ニュータイプ1992年10月号)のインタビュー
ニュータイプ誌92年10月号より
NT
特に今回は、富野さんご自身が現在考えておられること、それはアニメについてでも、もっと広く一般的なことでもかまわないわけですが、それについて伺いたいと思いまして・・。
そこで、まずいわゆる全体的な状況についての感想なんですが、ことしの夏の劇場アニメは何かご覧になられましたか?
富野 いや、実はまだ見ていないんですよね。「紅の豚」は機会があったら見ようと思ってるんですけど。でも忙しくて、なかなか思うように時間が取れなくて・・。
ただ、絵なんか見ていて感じるのは、たとえば角川の3作品などは、もう僕らの感覚ではわからないというか。それがいいのか悪いのか、どこに魅力があるのか、理解できなくなってきているんです。
そんな中でも、「紅の豚」は見てみたいと思うのは、その絵とか映画の内容に興味があるというのではないんですよね。要するに、もう我々のイメージの中に確固たる宮崎アニメのクオリティーというのがあるでしょ。だから、少なくとも見て損はないだろうなぁ、と。
現に日航で機内上映していて、サラリーマンたちもけっこう喜んで見ているということですが、あれなんかもそのクオリティーに対する評価であって、必ずしも「紅の豚」に対する評価ではないわけですよね。
NT
そうですね。過去培ってきたものも含めて、みたいな。
富野
だから「紅の豚」が入る入らないというのは、僕らから見ると、あくまで実績論なんです。でも角川3作品の入りの方は、今の客−これは、本来我々がターゲットにしなければならない相手という意味での−がどういう方向に動いているかを示すものであって、僕なんかにとって本来基本的に考えなくてはならないのはこちらのほうですし、それだけに重要なんです。
NT
あれは、いわゆるアニメ・マニアがどういうエネルギーをもっているかですものね。
富野 だから、無理にでもそれを次の仕事につなげる、ということですよ。
しかし、そのようなことがもう根底からわからなくなってきている。それと、僕自身、もし次の作品をTVでやるなら、もう一度TV戻りするような作品をやってみたい、というのがあるんです。
それも、次回作がたとえ”ガンダム”という名のつく作品であったとしても、今度は、過去「F91」まででやってきたような”ガンダム世界”をそのままステップ・アップしていくようなつくり方ではないものを、というのが。
それは、今仮にTVということばを使いましたが、これから、たとえば衛星放送も含めたかなり広いスタンスで将来的にどういうソフトを提供していくかといったことを考えたときに、”ガンダム”という名前を据える限り、そうしたステップ・アップしていくやり方ではもう何も新しいことはできないだろうなって、単純に思うからなんです。
つまりどういうことかというと、ファンのつきすぎた作品というのは、認知のされ方が宮崎アニメなんかとは根本的に違うわけなんですよね。もうこれは、作品のクオリティーとか何よりも、まず第一に、それぞれのファンの中に犯し難い”ガンダムの虚像”というのができ上がってしまっているんですよね。
NT
それは言ってしまえれば、作品世界がひとり歩きしてしまうという。
富野
ええ。だから、もし次の仕事をTVならTVでやらせてもらえるなら、僕の頭の中にあるのは、そうした垣根を取り払ったようなものをという。
それはきっと、ある面、自分自身の首を絞めることにもなるだろう、とも思いますが、やはりそういったつくり方をやっていかなければならない。口はばたい言い方をすれば、その、マーケット・リサーチをするような気持ちでいきたいと。
そして、何よりもアニメの原点に立ち戻っていかないと、いくらメカものだ、ロボットものだと言っても、結局はジリ貧になってしまうと思うんです。そういうストーリー・ラインをつくっていきたいなあ、と。
そこで、今僕がいちばんわからないのは、リサーチする相手の求めているものは何なのか、なんです。角川の3作品も含めて、何がいいのか、悪いのか、全くわからない。でも逆に、そのあたりがわからないからこそ、もうちょっと違うスタンスで何かやってみたいという。
まぁ、よく言えば冒険心みたいなものはあります。ただ冒険とは言っても、少なくともこれまでサンライズというテリトリーの中でロボットものをつくりつづけてきた実績はありますし、サンライズ自身も俗に言う幼児戻りしているような作品をきちんとやってきているわけですから、それはそれで、そういう形で商売になるかな、というのは見えてはいます。
もちろん、それだけでガンダムがある部分模索してきたマーケットをカバーするのは、やっぱり無理だと思います。じゃあ、その部分をカバーするのが角川3作のテリトリーなのかとなったときに、長年アニメをやってきた人間の立場で言わせてもらうと、ちょっとマニアの方向に走りすぎているのではないかと。
むしろ、対極に宮崎アニメとかディズニーのラインがあるとするなら、そのあたりを取り込んでみたい。そんなロボットものをやってみたいというのがあるんです。
NT
その、TV戻りというのは、やはり年齢も含めて・・・。
富野
そうですね。実は、宮崎アニメとかディズニー・アニメは、ロボット・アニメで使う年齢を使っていないんですよね、今は。僕自身、実は「F91」で大失敗したなと思っているのは、主人公の年齢設定なんですよね。
つまり、17歳とか18歳とかいう年齢のもっているうっとうしさや、それがいちばん怪しい年代なんだっていう問題に気がつかずに、そこに手をつけてしまった。
そのために、作品としてはどうしても弾まなかったという感触を、これはつくり終って抱いたんです。だいたい、あの年齢を扱って気が済むというのは、こんなこと言ったら、メカマニアの人に怒られるかもしれませんが、あれはメカマニアのレベルで好かれるということでしかないんです。
それだって、メカマニアが本当に喜んでいるのかというと、必ずしもそうとは思えない。それよりも、12〜13歳という、人間の感性がいちばん鋭敏な時期の、しかも皆が最低限の共有体験をもっている年代を描いたほうが、よほど生き生きとしますし、見る人の共感も得られるんですよ。
だから、できるなら次はそこでやってみたい。
NT
ところで、つくり手として、現在の状況自体については?
富野
今僕がやりたいこと、やろうとしていることは、ある意味でアニメに最も勢いがあった時期、具体的には15年ぐらい前に向いているわけですが、それは、たとえば最近特に増えている過去に向かった作品づくりというのとは根本的に違うんですよね。
それは、ただ懐古だけで物をつくっていくか、いつの時代も同じ混乱した状況の中で、それでも自分は正統を歩んでいるかということを意識してつくっていくかの差なんです。
この差は決定的で、きちんとした意識をもっている人間は、2〜3年したらきちんと作品をつくってくれる。
それと、こうしたグチャグチャしているときに、むしろいろんなことを積極的にやっていって、作品づくりとか企画の立て方なんかを覚えたヤツが結局は勝つんですよ。
たとえば宮崎さんだって、何もスルスルと今みたいな立場に立てたわけでなくて、東映やめてから一般に認められるまで、それこそどれだけの量の仕事をどういうふうにやっていったかということを、知っておいてほしいんですよね。
NT
それこそ、設定の量やレイアウトの量にしても尋常じゃないですからね。
富野
僕もはたで見てましたけど。その果てしない労働をやりながらも、宮崎さんはどんどん吸収していくんですよ。だから、若い人たちがやっている量のやり方はすごく問題があると思うんですよ。それこそ、本当にクソにもならない仕事を一生続けることになるか、10年後にスタジオを建てられるまでになっているか。それは本当にちょっとした意識のもち方の違いなんです。
じゃあその違いは何なのかというと、これは残念ながら教えられない。それはやっぱり現場で、体を使って覚えてもらうしかない。
そういうことで言えば、宮崎さんだって勉強家だし、高畑さんだって勉強家なんですよね。今、僕がいちばんつらいのは、そうした才能が10年おいたら出てくるのか、というと、ちょっとそれが見えなさすぎるということなんです。だけど、僕自身としては、そうした状況はありがたいと言えばありがたいところもあって。何せ、こうやって次のチャンスが与えられそうな気配があるんですから。
あと、僕自身、もし60歳ぐらいまで仕事をさせてもらえるなら、やはり仕事をしていたいということはあります。まみれるっていうのか、宮崎さんもそうだと思うけど。単に、自分の好きな作品をつくっていきたいというようなバカなことではない。最近やたらとフリーになる人が多いですが、もっとそのあたりを考えてほしい。
あと、やっぱり現場の風に当たらないと。現場の風は情報を運んできますから。その中で自覚をもって自分を磨く。松本清張だって、デビューは40歳を過ぎてからなんですよ。僕は今、そのことを次の世代のつくり手たちに伝えたいんです!
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