人類補完計画史

 



ここでは、人類補完計画に焦点をあて、変遷を追ってみます。

1.そもそも企画段階において、人類補完計画とは何だったのか?


企画書13P
「人類を絶望から救うという『人類補完計画』とは?

人類はすでに、神に拮抗できうる力を手にいれようとしていた。これが、本編ストーリーの主軸となる、国際的一大プロジェクト『人類補完計画』である。

半世紀前、核融合に成功し「太陽」を自らの手中に収めた人類が、次は「完全な人間」を自らの手で造ろうという補完計画。

目的は、神が擁する禁断の「生命の樹の実」を科学的に造りだし、人間から「死」を取り除き、さらに人の抱える原罪・全ての呪縛からも、全人類を解放しようというのである。

この計画を提唱し推進するのは主人公の父、碇ゲンドウ。
彼は『人工進化研究所』にて、究極の進化をとげた人の姿をひたすら追い求めていた・・・。」


企画書22P碇ゲンドウの紹介
「〜この計画の有り先には、全ての人々に真の平等をもたらす理想郷がある、と信じている。」


以上の資料により、企画段階における人類補完計画は大体わかります。

この文のポイントをみますと、前半は
科学により人類は神に拮抗する力を手にいれようとした→そのため生命の樹の実を造りだそうとした。
これは、知恵の実を手に入れた人間が、さらに生命の実を手にいれれば不死となり、神と対等になるという、旧約聖書の記述からきております。

それ以外のところに目を向けますと、基本的に「完全な人間」を造ろうとしており、そのため
1.生命の実により、人間を不死にする。
2.人の抱える原罪・全ての呪縛からの全人類の解放。
以上2点です。

これを、究極の進化という方法で実現すると、結果として、全ての人々に真の平等をもたらすというわけです。
さて、1の「不死」はわかりやすいのですが、2の「原罪」と「全ての呪縛」はニュアンスが違いますので、それぞれ分けて考えますと
1.生命の実により、人間を不死にする。
2.人の抱える原罪からの全人類の解放。
3.人の抱える全ての呪縛からの解放。
となります。

さて、このうちの1と2に出てくる「生命の実」「原罪」などはユダヤ教・キリスト教などの概念です。

生命の樹と知恵の樹は近くにあります。
有名な、エヴァ(イブ)がアダムとともに、神から禁じられた知恵の実を食べてしまい、楽園から追放される話があり、これが原罪です。これにより、人は死すべき存在になります。
「人の抱える原罪からの全人類の解放」とは、この罪からの解放を言っているのです。

17話ゲンドウ「かつて楽園を追い出され、死ととなり合わせの地上という世界に逃げるしかなかった人類」
という台詞はこのことをさしています。

もし、楽園から追われた原罪から人類を解放するならば、方法は二つしかありません。神に許してもらうか、神と対等になるか。どちらにしても、「死」から解放される結果をもたらすでしょう。

しかし、もし近くにあった生命の実もたべるとどうなるか?人は不死となり、神と対等になるといわれております。
これが「生命の実により、人間を不死にする」という言葉の意味です。ただし、これは神が許しません。そのために神の使いが人間を邪魔する役目を担っています。これが、エヴァの「使徒」です。


もし人が、生命の実を手に入れようとするならば、全ての使徒を倒す必要があります。

 


では、3の「人の抱える全ての呪縛」とはなんでしょうか。
死の問題でもなく、原罪の問題でもないとすると、補完計画の目標として語られているものはひとつしかありません。

26話ゲンドウ「欠けた心の補完、全ての魂を今ひとつに」

つまり、人間の心の問題です。
たとえ、不死になったからといっても、不幸はなくならず、ヒトは傷つけ合うでしょう。これがヒトのもつ問題点であり、ATフィールドの核心であり、ゲンドウが言う、「欠けた心の補完」です。

以上より、
1.生命の実により、人間を不死にする。
2.人の抱える原罪からの全人類の解放。
3.人の抱える全ての呪縛からの解放。



企画段階において碇ゲンドウの目指したこの3点の意義がわかると思います。
1は、人間を不死にすること。
2は、人が不死になって神と対等になるか、もしくは神の許しを得て楽園に帰るかすること。
3は、心の補完を果たすことです。

ゲンドウにとってみれば、この3つを同時にしようとしていたわけですから、結局、人は生命の実を食べて不死になり、神と対等な存在となるとともに、全ての魂を融合させ、真に平等な状態の「完全な人間」を創り出そうとしていたわけです。

 



 


2.脚本段階〜映画まで


企画段階では、ゲンドウがひとりで3つの目標を追っていました。
1.不死になること
2.原罪からの解放
3.欠けた心の補完

しかし、脚本段階になり、謎の組織ゼーレが現れます。
ゼーレは脚本・絵コンテでは「エッセネ」とも呼ばれております。エッセネとは、ユダヤ教の一派であり、強い終末思想を持ち、クムラン洞窟で集団生活を営んでおりました。彼らの所持していたのが、死海文書です。


この、宗教的な雰囲気を強く持ったゼーレが現れたことにより、「原罪からの解放」という目標はゲンドウではなく、ゼーレの思想としての位置づけになります。

DEATH「ヒトは愚かさを忘れ、同じ過ちを繰り返す」


    「自ら贖罪を行わねば、ヒトは変わらぬ」

なお、ゼーレの発言の詳細および思想は「ゼーレ思想の真実」を参照ください。

一方、様々な関連から、テレビ版25、26話は「欠けた心の補完」がテーマになります。
これについては、ゲンドウが進めていた計画の一部として語られています。

26話ゲンドウ「自分がヒトから愛されるとは信じられない。私にそんな資格はない。」

    ゲンドウ「欠けた心の補完。不要な体を捨て、全ての魂を今ひとつに。」




また、テレビ版および映画版の台詞から、人は生き続けるべきであること、人類の生きた証が必要だということはユイの思想であることが判明します。


20話ユイ「あら、生きていこうと思えば、どこだって天国になるわよ。」

25話冬月「ヒトは生きていこうとするところにその存在がある。それが、みずからエヴァに残った彼女の願いだからな」

26話ユイ「たとえ、50億年たって、この地球も、月も、太陽さえなくしても残りますわ。たった一人でも生きていけたら。とても寂しいけど、生きていけるなら」

なお、ゲンドウおよびユイの発言の詳細および思想は「ゲンドウの思想の真実」を参照ください。

まとめると


1.不死になること →ユイが最も重視した。
2.原罪からの解放→ゼーレが最も重視した。
3.心の補完→ゲンドウが最も重視した。


つまり、企画段階にあっては碇ゲンドウによる完全な人間の作成である人類補完計画が、最終的にはユイ・ゲンドウ・ゼーレそれぞれにより強調されながら分担されて目指されていったのです。これが、人類補完計画が立場により様々であり、わかりにくかったことの原因です。

なお、実行までのプロセスも含めた人類補完計画の詳細については補完論文「人類補完計画」を参照してください(現在作成中)。




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