ゲンドウの思想の真実

 

ゲンドウの思想について理解するには、ゼーレとの対比が必要です。もし、まだお読みでなければ、「ゼーレ思想の真実」を先に読んでください。

 

<ゲンドウの言葉>

一応、ゲンドウ達の言葉を確認すると、

冬月「俺は、罪にまみれていても人が生きてる世界を望むよ。」

25話冬月「人は、エヴァを生み出すためにその存在があったのです。」

 ゲンドウ「人は新たな世界へと進むべきなのです。そのためのエヴァシリーズです。」

21話ゲンドウ「冬月、俺と一緒に人類の新たな歴史を作らないか」

 ゲンドウ「かつて誰もがなしえなかった神への道だ」(A)

26話ユイ「人はこの星でしか生きられません。でも、エヴァは無限に生きられます。その中に宿る人の心とともに」

    ユイ「たとえ、50億年たって、この地球も、月も、太陽さえなくしても残りますわ。たった一人でも生きていけたら。とても寂しいけど、生きていけるなら」

     冬月「人の生きた証は永遠に残るか」

 

さらに、ゼーレ側のゲンドウ批判をあげると、

25話より「我らは人の形を捨ててまで、エヴァという名の箱船に乗ることはない」

26話より「等しき死と祈りをもって、人々を真の姿に」

     「それは魂のやすらぎでもある。」

     「始まりと終わりは同じところにある。よい。全てはこれでよい。」

21話より「我々は、新たな神を作るつもりはないのだ」(A)

     「我々に具象化された神は不要なのだよ」(A)

     「神を造ってはいかん。」(A)

 

なお、ゲンドウ案におけるエヴァが、新しい「神」そのものであることは、上記の4つの(A)のほか、

26話冬月「使徒の持つ生命の実とヒトの持つ知恵の実。その両方を手に入れたエヴァ初号機は神に等しき存在となった。」

でもはっきりしています。

 

<ゼーレとゲンドウの思想の違い>

以上より、ゼーレ思想との対比で考えるとはっきりします。

ゼーレ「人は、贖罪し、始源に還り、新生するべきである」

ゲンドウ「人は、エヴァ(神)となり、無限の命のもとに新たな世界(歴史)に進むべきである」

 

つまり、簡単に言うと、ゼーレは贖罪し、新生しようとしたのに対し、ゲンドウは、人がさらに進み神になることを望んだわけです。

 

以上が概要ですが、さらにゲンドウの発言をより広く考えると、ゲンドウ独特の力点が浮かび上がります。

 

<ゲンドウの力点=欠けた心の補完>

26話より「かけた心の補完。不要な身体を捨て、全ての魂を今一つに。そして、ユイの元へ行こう」

TV26話多数のセリフ「私たちは、皆同じなのよ。」「心がどこか欠けているの」「それが怖いの」「不安なの」「だから、今一つになろうとしている」「お互いに埋め合おうとしている」「それが補完計画」「人は群れてなければ、生きられない」「人は一人では生きてはいけない」「自分は一人しかいないのに」「だから、つらいんだな」「だから寂しいんだな」「だから、心を、身体を、重ねたいの」「一つになりたいのね」「人はもろくて弱いものでできている」「心も、身体も、もろくて弱いものでできている」「だから、お互いに補完しあわなければならない」「そうしなければ、生きていけないからだ」

 

ゲンドウの一つの目的がユイに会うことであったのは、上記のセリフの他に、

26話「この時を、ただひたすら待ち続けていた。ようやく会えたな。ユイ」

などからもあきらかでしょう。しかし、それだけが目的ではないのは、やはり上記の「不要な身体を捨て、全ての魂を今一つに」というセリフから、はっきりしています。ユイと二人だけの世界を願っているわけではなく、「全ての魂」の統合を目指しているわけです。これは、ミサトの得た情報「できそこないの群体としてすでに行き詰まった人類を、完全な単体としての生物へと人工進化させる補完計画」のことでもあります。

 

心の補完という論点については、ゼーレも

26話より「それは魂のやすらぎでもある。」

と言っています。ゼーレにとっても重要な問題であることは、確かでしょう。ただし、ゼーレがこの問題をメインに語ったことはなく、あくまでも「贖罪による始源への回帰」からもたらされるメリットのひとつとして語られています。

 

また、

21話「疎まれるのはなれています」

26話ゲンドウ「自分が人から愛されるとは信じられない。私にそんな資格はない。」

   カヲル「ただ、逃げてるだけなんだ。自分が傷つく前に、世界を拒絶している。」

   ユイ「人の間にある形もなく、目にも見えないものが。」

   レイ「怖くて、心を閉じるしかなかったのね。」

からも見て取れるように、ゲンドウ個人の内面においては、他の人以上に、「欠けた心」という問題に敏感だったことがわかります。21話において、ユイがエヴァに取り込まれた時、

ナオコ「りっちゃん、この日を境に碇所長は変わったわ。」

冬月「碇。この一週間どこに行っていた。傷心もいい。だが、もうお前一人の身体じゃないことを自覚してくれ。」

ゲンドウ「わかっている、冬月。今日から新たな計画を推奨する。」

ユイがいなくなった直後に人類補完計画を推進したことは、彼の内面にとって、人類に神への道を歩ませる最大の動機は、欠けた心の補完にあったのではないか(もちろん、ユイと会うためでもある)、と思わせます。

 

<ユイの力点=生きること>

一方、ユイは

20話より「あら、生きていこうと思えば、どこだって天国になるわよ。」

    「だって、生きているんですもの。幸せになるチャンスはどこにでもあるわ。」

26話より

  冬月「人は生きていこうとする処にその存在がある。それが、自らエヴァに残った彼女の願いだからな。」

  ユイ「人はこの星でしか生きられません。でも、エヴァは無限に生きられます。その中に宿る人の心とともに」

  ユイ「たとえ、50億年たって、この地球も、月も、太陽さえなくしても残りますわ。たった一人でも生きていけたら。とても寂しいけど、生きていけるなら」

 

などの発言から感じられるように、人類に神への道を歩ませる最大の動機は、無限に生きること(生命への共感?)にあったのではないかと思わせます。

 

<まとめ>

以上より、

ゼーレは、贖罪により、始源に還ることで新生するのが目的だったのに対し、

ゲンドウとユイは、人が神となることを目的にしており、

その中でも、ゲンドウは心の補完に力点があり、ユイは永遠に生きることに力点があったのではないかと思います。

 

 


エヴァンゲリオンの考察・謎解き・解釈のページに戻る