これを読むまえに、必ず「旧約聖書の設定がエヴァの世界で生きていることの確認」をお読みください。
ゼーレの思想が何であったのか、真面目に論じられることはないようです。大体において、奇妙な集団として語られています。
ここでは、彼らゼーレが何を問題とし、何を目指していたのか、彼らのセリフを分析することで考えたいと思います。
<ゼーレの言葉>
ゼーレの思想を表している代表的な言葉をざっと取り上げると、
DEATHより「ヒトは愚かさを忘れ、同じ過ちを繰り返す」(A)
「自ら贖罪を行わねば、ヒトは変わらぬ」(A)
「アダムや使徒の力は借りぬ」(A)
「我々の手で未来へと変わるしかない」(A)
25話より「我らは人の形を捨ててまで、エヴァという名の箱船に乗ることはない」(B)
「これは通過儀式なのだ。閉塞した人類が再生するための。」(B)
「滅びの宿命は新生の喜びでもある。」(B)
「神もヒトも全ての生命は死をもって、やがて一つになるために。」(B)
26話より「等しき死と祈りをもって、人々を真の姿に」(B)
「それは魂のやすらぎでもある。」(B)
「悠久の時を示す赤き土の禊ぎをもって、まずはジオフロントを真の姿に(A)
「始まりと終わりは同じところにある。よい。全てはこれでよい。」(B)
21話より「我々は、新たな神を作るつもりはないのだ」(C)
「我々に具象化された神は不要なのだよ」(C)
「神を造ってはいかん。」(C)
「ましてあの男に神を手渡すわけにはいかんよ。」(C)
などです。
一方、ゼーレの思想を理解したうえでそれに批判的な人たちの言葉を取り上げると、
12話冬月「俺は、罪にまみれていても人が生きてる世界を望むよ。」(反A)
ゲンドウ「人は新たな世界へと進むべきなのです。そのためのエヴァシリーズです。」(反B)
ゲンドウ「かつて誰もがなしえなかった神への道だ」(反C)
などです。
<ゼーレの目的>
ゼーレの発言は、他にもいろいろありますが、基本姿勢を捉える上ではこれで十分だと思います。
ひとまず、3点ほどポイントがあります。
A)原罪にまみれた愚かな人類は、自らの手で贖罪を行い、変わらなくてはならない。
B)死をもって一つになる必要があり、それは魂のやすらぎであり真の姿でもある。そして、それは始まりに戻ることであり、そこから新生の喜びへ至る通過儀礼でもある。
C)具象化された神を新たに作りたいわけではない。
まとめると、だいたいこんな感じでしょうか。
さらにまとめると、「人類は自ら贖罪し、始源へと回帰し、新生へ至る」となります。
これが、ゼーレの理念です。
一言でいうと、ポイントは「原罪」です。ゼーレは要するに、人間の罪を清め、新たに新生したかったわけです。
ネルフのマークが、原罪の象徴であるイチジクの葉の片割れであること、ゼーレの「赤き土の禊ぎ」などの発言も全て同じところに集約されると思います(ちなみに、人間が赤き土から作られたということは、レイの言葉にも出てきます)。
このゼーレの発言に加え、ゲンドウのいくつかの発言
17話ゲンドウ「かつて楽園を追い出され、死と隣合わせの地上という世界に逃げるしかなかった人類。その最も弱い生物が、弱さゆえに手にいれた知恵で作り出した、人類の楽園だよ」
25話ゲンドウ「虚無へ還るわけではない。全てを始まりへと戻すにすぎない」
「この世界に失われている、母へと還るだけだ」
「全ての心がひとつとなり、永遠の安らぎを得る、ただそれだけのことにすぎない」
を考慮してみると、「楽園から追い出された人類」が、自ら贖罪し、楽園に戻るのがゼーレの目的です。ここでいう、楽園が26話にでてきたリリスの卵のことであることは、説明不要でしょう。また、これらの発言が、旧約聖書創世記をふまえてのものであることは、説明するまでもないでしょう。
<では、なぜ彼らは楽園に戻り、新生したかったのか?>
ひとつには、彼らメンバーが全員欧米系であることから考えて、宗教的な意味あいが考えられます。長い年月におよぶ、人間の罪の運命から、ようやく解放されるという意味です。
「悠久の時を示す赤き土の禊ぎ」という言葉に代表されるように、これが一番重要な点と思われます。
もうひとつは、「アダムや使徒の力は借りん」という言葉が示すように、アダムや使徒による人類の贖罪の可能性があったことです。
エヴァの世界設定についての確認は別の議論で行いましたが、使徒は、人間が科学の力で生命の神秘の領域にのりだしたとき、おそってきます。この場合、そのままにしておけば、人類にもたらされる変化とはどのようなものなのか。これは、エヴァが使徒を倒してしまったために、作品中では明示されていません。ただし、いくつかのヒントと思われるものはあります。
ひとつは、セカンドインパクト後の南極やジオフロント内に見られる塩の柱です(柱が、単なる氷ではなくて、塩の柱のイメージであることは、脚本に明記されてます)。旧約聖書の伝承では、神が、ソドムやゴモラなどの罪深い町を滅ぼす時に人間(ロトの妻)が塩の柱となったとあります。
セカンドインパクト後の塩の柱だらけの南極を見て、ゲンドウは言います
12話「原罪の汚れなき、浄化された世界だ」
これに、「自ら贖罪を行わねば人は変わらぬ」というセリフを加えて考えると、アダムや使徒による贖罪の場合、セカンドインパクト後の南極と同じ状況に人類はおかれることになります。
これらを総合して考えると、人間が贖罪しないでいると、神の使い(使徒)が現れ、ソドムやゴモラのように人類を滅ぼすか、人類は絶滅しないまでも、科学の力で禁断の生命の木に近づけないように大きく文明レベルを落とされるような可能性があります。聖書における、このことについての予言が、「黙示録」でしょう。ミサトの得た情報「15年前のセカンド・インパクトは人間に仕組まれたものだったわ。けどそれは、他の使徒が覚醒する前にアダムを卵に還元することによって、被害を最小限に食い止めるためだったの」のうちの「被害を最小限に食い止めるため」という意味は、この場合においてのみ真実性をもつでしょう(宗教的意味あいを優先すれば、人類が半減してでも、死海文書のプロットを実行したかったと思われます。)。
結局、ゼーレが直面していたのは、人類の歴史は罪の歴史であるという認識と、人類がこのまま進化を続けることは、使徒による贖罪を呼び込むだけであるという現状であり、これが「閉塞した人類」発言にも現れています。そこで、彼らの選択した方法が、自ら贖罪し、始源へと還り、新生するという道だったのでしょう。
これが正しい選択かどうかは別として、一言で彼らを狂人扱いすることは間違っています。
人類には、そのままでは、
1.絶滅する
2.大きく文明レベルを落とし罪にまみれて生きていく
の二者択一が迫られていたのです。
彼らはどちらも拒否して贖罪、新生することが人類のためになると考えたのです。