宮崎駿監督発言集 ルパンへ三世への愛と決別




ここでは、宮崎駿監督のルパン三世についてのスタンスを示す発言をまとめます。

大まかに言って、宮崎駿監督のルパン三世へのスタンスの変化は以下のような変遷をたどります。

1.ルパン三世の「ハングリー」さに自らをダブらせ、旧ルパン制作に打ち込んでいた時期
2.新ルパン制作を断り、新ルパンの悪口を言っていた時期
3.カリオストロの城の制作を受諾し、ルパンの位置づけについて再考した時期
4.「宮崎駿」という名前を隠して新ルパン最終回等を制作した時期
5.その後(ルパンの新作映画の拒否、復活への思い入れなど様々)


1の時期のリアルタイムの発言は、残っていないと思います。

他の時期の発言から、内容が伺えるだけです。

2の時期の発言として、宮崎駿監督のルパン観を総括した、「ルパンへの鎮魂歌(レクイエム)」をのせました。(執筆時期そのものは、4なのですが。内容的に。)


3については、代表的な「ルパン・ファンへのラブレター」をのせました。
これは、もともとルパン三世ファンクラブ会報に掲載され、後に映画パンフにも掲載されたものです。

4については、「宮崎駿」という名前を出すことを拒否した点が有名です。
ここでは、なぜ、「照樹務」というペンネームを出さざるをえないのか、その苦しい胸の内を伝えた「ルパンは時代に取り残された」と、 最終話制作の意図を照樹務名義で発表した文章をのせました。


5については、いろいろあるが、とくにルパン新作案の数々と、ルパンシリーズを終息させるための数々の施策については、この発言集からは省き、ルパン三世ページの方にリンクしたので、興味ある方はそちらも見ていただけると、宮崎駿監督のルパン観の全貌がわかると思います。

結局のところ、自分が年をとってしまったために、もうルパンと同一化できなくなってしまったというのが、ひとつのポイントだと思います。


一言でいえば、宮崎駿監督は、ルパン三世にあまりに感情移入し、自己同一化したために、後にルパンを作れなくなったり、他人が作ったルパン批判を行ったり、ペンネームで制作したりという事態になったと思われます。

ここに掲載している文章を読んでもらえれば、宮崎駿監督が、どれほど熱くルパンを語っているか、誰でもわかるでしょう。

結局のところ、宮崎駿監督は、本当にルパン三世を愛していたのだと思います。おそらく、誰よりも・・



*なお、発言は、回想も多いため、発言時期としては時系列ではありません。
あくまでも内容的な点で時系列に並べました。

また、とりわけ重要な以下の3つについては、全文抜粋しました。
「ルパンの鎮魂歌(レクイエム)」
「ルパン・ファンへのラブレター」
「ルパンは時代に取り残された」




1.ルパン三世に同一化し、旧ルパン作成に打ち込んでいた時期

この時期、ハングリーで、青二才だった宮崎監督は、自分と同じハングリーなルパンに共感し、好き放題に制作しました。そして、シラケ世代の遊び人であるルパン三世というキャラクターを番組途中で変更し、熱血で貧乏人の若者(宮崎駿監督の分身)に作り変えたのです。



「はじめてルパンの漫画を読んだときに、おもしろいと思ったんです。その頃、自分も30になる前で・・あの、”やけくそな”ハングリーな気分だったと思うんですよ。ルパンが青二才から必死になって売り出そうとしているっていう感じだったんですね。それは、まさに山田康雄もそうだったし。」




「大塚さんの行ったAプロに、ぼくと、パクさん(高畑勲)、小田部さんの3人が入ったんです。そのとき大塚さんがやっていたのが「ルパン三世」だったんです。まだ放映される前でね、これは視聴率30%を絶対とれる番組だ、とかなんとかいってたんです。従来の子どもよりももう少し年齢層を上げたところに対象を置くという新しいアニメーションの試みでもあり、また受注額も業界最高ということもあって意気軒昂だったんですよ。

で、新しく入った3人は、「ルパン」とは別の番組をやってましたから「まぁ、がんばってくださいっ」などと、まぁ人ごととして見ていたんです。

で、いよいよ「ルパン」の放映が始まった。たしか10月だったと思います。そのときにですね。少々不遜なことなんですが、最初の視聴率どのくらいいくか、みんなで賭けたんです。

賭け率の表などを作ってですね。視聴率の下に自分の名前を書き込むわけです。見ると30%のところに”大塚康雄”という名前が書かれてある(笑)。ぼくは、9%の視聴率と書きました。随分低いところにつけたんですが、まぁ、賭け金をカンパするつもりで、そこにしたんです。

ところが、ぼくのが当たっちゃったんです(笑)。トトカルチョで当たるのはうれしいが、会社としてみれば、とんでもない話でして、東京ムービーはじめ放送局も9%という視聴率に大きなショックを受けたんです。

すさまじい視聴率を誇っていた「巨人の星」の後番組として、期待されていましたから。9%は波紋を呼びまして、路線が間違っているとか、ダンダカンダと、テレビ局とも大騒ぎの形で議論するようになり、結局、演出家がテレビ局と衝突して「ルパン」をやめちゃったんです。放映中のことですよ。

そのおはちが、僕とパクさんにまわってきたというのが、そもそもの「ルパン」とぼくとの結びつきの最初だったんです。

で、幸か不幸か、そのとき準備を進めていた「長靴下のピッピ」が原作者の了承がとれなくてボツになって「そいじゃ『ルパン』をやるかぁ」という話になったんです。

その話が決まったとたん、テレビ局の会議室に引っ張り出されましてね、行くとテーブルの向こう側にスポンサーや放送局などの人間がズラリ、こちら側は東京ムービーの社長はじめ、ぼくたちが並んだわけです。

その会議が、またすさまじくてね。「どうしてくれるんだ、コラッ!!」「こんなもの作って子どもたちはわかるのか!!」といった罵詈雑言のオンパレード。こちらは、ひたすら頭を下げるんですが、東京ムービーの社長など「ハハッ!」って、平伏しっぱなし(笑)。こりゃ
大変なところに足を踏み込んじゃったなぁ、とその時つくづく思ったものでした。

視聴率を上げる、これが第一目標ですよ。もともと「ルパン」は視聴率がよくないだろうとなぁと、本当のこといえば感じていたんですよ。トトカルチョの9%もまんざらデタラメの気分だったわけじゃないんです。なぜなら当時は、まだまだテレビアニメーションは小学生を主対象にしていましたから、原作が大人向けの漫画雑誌に掲載されているようなものが子どもたちから支持されるとは、とうて思えなかったからです。

とはいうものの、すでに番組がスタートし、何本かは作画中でしたから、まず現在進めている絵コンテを全部止めることから始めました。

それで集まったものの中から、これはこのままいこう、これは半分変えよう、これは全部変えようと、話ごとに方向を決めていったんです

えらい騒ぎですよ。僕とパクさんが、それこそ時間が足りなくて、最後は睡眠時間を日一日と削っていくような悪戦苦闘をくり返して仕事をしました。

そのうち、キャラクターが最初の頃とちがってきたんですが、みんなわかるかなぁ。最初のころは、ルパンと次元がグダーと寝っころがって、やることがなにもないような顔しているのが、後半になると、ヤル気満々で一生懸命、ガタガタなにかやっているように変わっていったんですけどね。そのほかでは、最初ベンツSSKに乗ってバーッと迫力満点で登場してきたのが、いつのまにかフィアット500になっちゃったのは、ぼくらの趣味の表れです(笑)。

そういったことをひとことでいえば、最初のルパンは、金持ちの3代目が、ヒマをもてあまし、倦怠感を漂わせていたのが、ぼくらが描くようになって、ルパンはイタリア系の貧乏人で、次元といつもスカンピンの状態で、なにかオモシロイことないかなと目をギョロつかせている・・ということになるんです。

で、とにかく2クール23話のゴールにたどり着くまで、なんとかやっていきました。あとさき考えずにやりましたね。
だから、五右エ門の刀も金庫の厚い扉も平気でくぐりぬけてしまうことまでやってしまった(笑)。
僕もパクさんも、やりたい放題やろうと考えていたからです。

全部終わってクタクタになり、あと1本でも作るなら「もう死んでしまうよ」といいながあ、みんなで露天風呂の温泉に行き、そこで最終話のテレビを見たんです。

そこで、僕らにとっての「ルパン」は終わったんです。時間的にはムチャクチャ忙しかったかれど、やりたい放題やったなぁという気分で「ルパン」を終えたわけです。

そのときは、まさか第二、第三の「ルパン」を自分がやり、その最終話には必ずつきあうという不思議なめぐりあわせがあるとは、想像だにしませんでした。

(講演 ルパン三世との関わりより)




ルパン三世の原作が作られたのは、60年代の末で、日本はまだまだハングリーだったんです。

だから、ルパン三世って作品にはハングリーさがあるし、それがルパンを支えていたんですね。

ハングリーっていうのは、食えないってことではなく、「オレはいくぜっ!」っていうような、自分の存在を主張するような売込みですね


これがルパンの中にあったし、モンキー・パンチにもあったし、山田康雄にもあったし、アニメのスタッフにもあった。



スタート時のルパンは、しらけの世代。
おじいちゃんの財宝をゴチャマンと受け継ぎ、大邸宅に住み、もはや物や金でアクセクせず、倦怠(アンニュイと呼べといわれた)をまぎらわすために、ときたま泥棒をやってみせる男として基本設計された。

60年代の末、反戦歌が広く口ずさまれ、日米安保条約の自動延長に反対する若者たちが新宿に広場をつくり、大学にバリケードが築かれた。高揚した空気は、70年を境にしてチリヂリになり、シラケだシラケだと叫ぶ人々があらわれていた。シラケも時代の先端だった。シラケははっきり演出意図に組み込まれ、ダダーッと寝ころんで会話するルパンと次元の特有のポーズが生み出される。
まなじりを吊り上げ、歯をクイしばるヒーローとは正反対の、しかも豊富な消費生活はちゃっかり享受しているヒーロー・ルパン三世は、たしかに時の子どもだった。

けれども、ぼくらはシラケてなんかいなかった。ベトナムで解放戦線がまだガンバッているのだから、希望がなくなったわけじゃなかった。それにしてもぼくらの職業はひどかった。テレビマンガは、おざなり手抜き、稚拙、出来損ないの借り物の陳列。

まるで破れつづける傷口を作っているようだと仲間内で語り合った。ぼくらはまぎれもなくハングリーだった。スカッとしたおもしろい仕事をやりたい願望と気力は、いくらでもあったのだ。
旧ルパンの路線の変更は、スタッフのあずかり知らぬところから強要されたものだったが、演出を入れかわるハメになったぼくら(高畑勲と私)は、まず何より”シラケ”を払拭したかった。
命ぜられたのではない。シラケが時代の先端だとしても、ミニカーレースのあの活力はぼくらのものだったのだ。快活で陽気、まぎれもなく貧乏人のせがれ・ルパン。祖父の財産など、先代が全部使っちまって、何も残っちゃいない。
ルパンはクルクル走り回り逃げ回り、カナブンのようなゼニ形が追う。何百万丁も生産された軍用拳銃(ワルサーP38)をもってイキがったりしない。知恵と体術だけで、あくことなく目的を追うルパン。次元は気のイイ朗らかな男になり、五右エ門はアナクロこっけい男になり、不二子は安っぽい色気を売物にしない。
その好悪は別にして、ベンツSSKに乗るルパンと、イタリアの貧乏人の車・フィアット500に乗るふたりのルパンが、あのシリーズのなかで対立し、せめぎあい、影響しあって、結果として活力を作品にもたらすことになった。

(ルパンへのレクイエムより一部抜粋)




モンキー・パンチの昔の原作には、強いハングリーがあった。山田康雄もハングリー、ぼくたちもハングリー。
「もう10年以上昔だ。オレはひとりで売り出そうとヤッキになってる青二才だった」(カリオストロの城のルパンのセリフ)







2.新ルパンへの批判

新ルパン制作に参加しなかった宮崎駿監督は、放映された新ルパンを見て、多くの批判をい行います。それは、宮崎駿監督の考えるルパン三世ではなかったからでした。



「新ルパン」が始まるというときも「やらないか」という話があったんです。そのときの大塚さんから「新ルパン」をするかどうかの相談
を受けたりもしたんですが、ぼくは「もうルパンでもないよ」などと返事をしていたんです。

ルパンというキャラクターの時代は終ったと考えていたんですね。キャラクターというのは、その時代とともに生きているものなんです。
」(82年 講演「ルパン三世とのかかわり」より抜粋)




「どんなドタバタでも、何か思い入れのタネがどこかにかくされた核としてないと、やっちゃいけないことも平気でやりだしてしまう。銃で何でも始末をつけようとする男でも、こういうときには絶対撃たないんだということが、作る側にはっきりわかってないとただの機械みたいになってしまうんですね。

「ルパン三世」というTVシリーズがあるんですが、あれをみていると実に頭にくるんですね(笑)。

何の本音もたてまえもない、本当はもう何も欲しいものがない人間どもも、慣れあいで右往左往しているだけですよ。裸を出せば色気だと思い、助平じゃない人間は偽善者だと信じこんでいる。まるでキャバレーロンドンのCMだって、みんなに悪口をいっているんです(笑)


偉そうなことを言わせてもらえば、こんな人達がなんでアニメーションなんか作ってるんだろう、この人達は本当に面白いんだろうかと疑わざるを得ない。そんな作品が多すぎると思います。」(84年 山根貞夫さんとの対談より抜粋)




「(インタビューアーへ逆質問)ルパンは面白いですか」

おもしろいです。

「その辺で、僕と意見がわかれるんです。」

きらいなんですか?

「あまり好きじゃないですね。・・ルパンっていうのは何者なんですかね。”泥棒”っておもしろい話がいっぱいありますよね。「俺は泥棒じゃない」って顔して、世の中、泥棒がいっぱいいる訳だから、それより、おなずね者になって歩き回っている人間の方がマシだと思うんですよ。ただ、不用意に人を傷つけるために、しなければね。
・・逃げ出すために簡単にピストルを撃ったり。そういう事はどうですか?」

抵抗ありますね。

「僕は、それはね、マンガだから、騙されているんだと思うんです。「どうせ、あたらないや」と思ってね。警官隊の撃ち合いを、時々やっていたでしょう。あれは、あたらないように撃っていたんですか?」

騙されているんでしょうけど、ルパンならよけられる・・プロフェッショナル同士だったならば・・っていう所もあります。

「ウーン、本当に警官隊がルパンを捕まえようとしたら、あの程度のルパンは簡単につかまると思うんです。」

はい、思います。

「でしょ?いかにも見えすいた方法で忍び込んだりね。実際にあれ見て、銀行強盗やろうと思ったって勉強にはならないでしょ。それに、完全犯罪を見せるために作る番組でもないと思うんですよね。だから、なるべく気持ちのいい嘘をついてくれたらいいと思うんです。

だけど、泥棒をやっていても、自分達の主人公になってくれる展開はどこなのかっていうことなんですよ。ルパンのやっていることが、気持ちいいか、気持ちよくないかって言う限界ですよ。そこいらへんの事が、ひどく曖昧になっていたなぁって思う回があるんですよね。

「これはどうなんだろうな」って思うことが何度もあったものだから、ルパンは好きじゃなくなったんです。

”アニメージュ”って雑誌に、”ルパンの鎮魂歌(レクイエム)”っていうのを書いたんですけど、もし読むことができたら読んで頂きたいんですよね。そこにもう、全部言い尽くしてあるんですよ。」


ルパンへの鎮魂歌(レクイエム)


キャラクターは、”時の子”だとだれかが言ったが、本当にそうだと思う。
スタッフが意識しなくても、キャラクターの性格に物語の展開に、時代は敏感に顔を出してくる。良くも悪くもである。

ルパンがイキイキした時代、共感と存在感を持って生きたのは、まぎれもなく一昔前なのだ。1960年代から70年代へ移っていくころ、時代を先どりしようとする野心を持ってルパンは生まれた。

あの頃60年代も終わりに近く、ミニカーレースというのがあった。

富士のサーキットへ行くと、ウイングがわりにエンジンのフードを開放した色とりどりのスバル360や、脚をきってはいつくばったカナブンのようなキャロルが、けたたましく走り回っていた。ヘアピンカーブでピンクのキャロルがクルクルっとスピンする。天井をとりはら
ったレモン色のボコボコスバルが草むらにつっこむ、土手をよじのぼる・・・・。殺気だって上ずって、見さかいつかないドライバーたちは、シャカリキになってコースへはい出し、ふたたびワォーッと走り出す。
性能がよくって、愛想のないホンダ軽が出まわってミニカーレースをダメにしてしまうまで、本当に愉快で楽しいレースだった。
あのころ、といっても、たかだか10年ほど昔、金がない若い連中でもポンコツくらいなら持てる時代が始まったのだ。

50年代までのごちそう、ラーメンは、60年代にタンメンにかわり、やがてトリの唐揚げやしょうが焼きに昇格していく。経済力はのびつづけ、円がやたらと高くなり、ぼくらのまわりでも海外旅行が増加していき、あらゆる情報が流れ込みはじめた。
社会の最低所得層を自負していた自分達アニメーターも、いつの間にか車に乗り、車談義に明け暮れるようになった。浮かれていたつもりではなく、浮かれていた。
「父ちゃん、オレはやるぜ!」とリキんで見せて、追いつき追いこせ。企業の星となれ、の時代ははっきりすぎ、ルパン三世が登場した。

流れ込む情報を、他人より早く使いこなそうという意図が、時代を先どりした新番組、業界最高の受注額をほこる「ルパン三世」の売り物<実証主義>にあらわれている。
ベンツSSKとか、高価な腕時計や銘柄もののガスライターで身をかざり、ワルサーP38だの、コンバット・マグナムだのと、それまで、マンガのピストルといえば”らしき”ものですませていた部分に力が入れられた。ジョニクロよりもっと高級のウィスキーがあるんだぞ、お前知らねえのか・・・てなもんだった。

先どりしようという意欲は、ルパンの性格設定にも加えられた。旧ルパンは、たった2クール弱(23本)で挫折したシリーズだが、前半の1/3と後半の2/3とでは、ルパンの性格は大きく変化している。

スタート時のルパンは、しらけの世代。
おじいちゃんの財宝をゴチャマンと受け継ぎ、大邸宅に住み、もはや物や金でアクセクせず、倦怠(アンニュイと呼べといわれた)をまぎらわすために、ときたま泥棒をやってみせる男として基本設計された。

60年代の末、反戦歌が広く口ずさまれ、日米安保条約の自動延長に反対する若者たちが新宿に広場をつくり、大学にバリケードが築かれた。高揚した空気は、70年を境にしてチリヂリになり、シラケだシラケだと叫ぶ人々があらわれていた。シラケも時代の先端だった。シラケははっきり演出意図に組み込まれ、ダダーッと寝ころんで会話するルパンと次元の特有のポーズが生み出される。
まなじりを吊り上げ、歯をクイしばるヒーローとは正反対の、しかも豊富な消費生活はちゃっかり享受しているヒーロー・ルパン三世は、たしかに時の子どもだった。

けれども、ぼくらはシラケてなんかいなかった。ベトナムで解放戦線がまだガンバッているのだから、希望がなくなったわけじゃなかった。それにしてもぼくらの職業はひどかった。テレビマンガは、おざなり手抜き、稚拙、出来損ないの借り物の陳列。

まるで破れつづける傷口を作っているようだと仲間内で語り合った。ぼくらはまぎれもなくハングリーだった。スカッとしたおもしろい仕事をやりたい願望と気力は、いくらでもあったのだ。
旧ルパンの路線の変更は、スタッフのあずかり知らぬところから強要されたものだったが、演出を入れかわるハメになったぼくら(高畑勲と私)は、まず何より”シラケ”を払拭したかった。
命ぜられたのではない。シラケが時代の先端だとしても、ミニカーレースのあの活力はぼくらのものだったのだ。快活で陽気、まぎれもなく貧乏人のせがれ・ルパン。祖父の財産など、先代が全部使っちまって、何も残っちゃいない。
ルパンはクルクル走り回り逃げ回り、カナブンのようなゼニ形が追う。何百万丁も生産された軍用拳銃(ワルサーP38)をもってイキがったりしない。知恵と体術だけで、あくことなく目的を追うルパン。次元は気のイイ朗らかな男になり、五右エ門はアナクロこっけい男になり、不二子は安っぽい色気を売物にしない。
その好悪は別にして、ベンツSSKに乗るルパンと、イタリアの貧乏人の車・フィアット500に乗るふたりのルパンが、あのシリーズのなかで対立し、せめぎあい、影響しあって、結果として活力を作品にもたらすことになった。

あの時代のふたつの顔を同時に持つことで、ルパンはより時代の子どもらしくなったのだと思う。

放映中の路線の変更は、制作を混乱させ、テレビアニメーションの技法が停滞した時期もあって、画面は乱れ、完成度は低く、技術的にもみるところのない作品だったが、その後、妙な人気を得たのは、そのへんに原因があるのではなかろうか。

「闘い利あらず、多くのスタッフに迷惑をかけ・・・」とは打ち上げパーティでの東京ムービー社長の敗北宣言ではあったが、ぼくらはヒイヒイいったにしろ、やりたい放題をやって、最終回で斬れっこないぶあつい金庫を五右エ門にくり抜かせ、ゼニ形を号泣させ、セイセイしてルパンを終えた。

その後、ともかく国内は平和だといわれながら時代は変わる。

石油ショックと公害のなかで、ハイジはみどりのなかを走り、軍備増強論が声高に叫ばれる前ブレとして、戦時中、すでに無用の長物とい
われた戦艦が宇宙に返り咲いたりした。
あきれるほどうまく仕組まれた3億円事件のかわりに、いまやいきあたりバッタリの銀行強盗は花ざかり。ハイジャック、テロ、飢餓、戦争が地球のあっちこっちで火を吹き、石油は際限なく値上がりし、何よりも地球そのものに限界があることが明らかになってしまった。

ルパンの世界より、現実の世界のほうが、はるかにさわがしくなってしまったのだ。
いま、車にのってイキがっているのは、本物のバカ。
ラスベガスにあこがれるのは、自民党のヤクザ代議士クラス。ライターなんか100円ので充分すぎる。
情報過多はとどまるところを知らず、書店の本棚に兵器の写真集がいくらでもころがり、いまさらワルサーでもないものだ。

射ちたきゃ、アメリカに行けば、なにがしかの金でいくらでも射てる。ボウ張するGNPにのっかって倦怠を楽しみ、罪もなくミニカーレースに夢中になれたルパンの時代は過ぎ去ったのだ。

ルパンはドロボウである。ドロボウの生活は、生産に従事し、まっとうに暮らす人々がいてはじめて成立する。ドロボウはしばりつける現実のウラをかいて、”シテヤッテ”見せるが、じつは、一番現実にしばりつけられてもいるわけだ。

現実の世界に取り残されたルパンに、いったい何ができるのだろう。せいぜい少女の心を盗むくらいしか残されていない・・。
いまの時代の子どもとして、ルパンを再生する方法があったのかもしれない。だがそれも、労多くして成果のすくない仕事になったろう。
、何よりも、いまの原作の、すっかり力をうしなっている姿でそれは照明済だ。

3年間続いた新ルパンは、あるときは高視聴率をあげ、商売としては成功したかもしれない。が、時代の子には一度もなれずじまいだった

むしろ、時代とのズレを売物にする、アナクロナンセンスドタバタのなかへ息切れしていったのは無惨としかいいようがない。
モンキー・パンチの昔の原作には、強いハングリーがあった。山田康雄もハングリー、ぼくたちもハングリー。
「もう10年以上昔だ。オレはひとりで売り出そうとヤッキになってる青二才だった」

あの頃の、ハングリーなルパン、助平でケッペキで、オッチョコチョイに思慮をかくし、ミニカーレースに夢中になれたルパンを、ぼくはときどき懐かしく思い出す。

しかし、いまやらねばならぬことは、もっと他のことなのだ。本物のルパンが、それを一番よくわかってくれるだろう・・・。

さようなら、ルパン・・・。





3.カリオストロの城制作にあたって
新ルパンを批判していた宮崎駿監督ですが、映画カリオストロの城を製作することになります。ここで、宮崎駿監督は、悩んだ末に驚くべきことを次々と行います。
・服を旧ルパンのように緑に
・年齢設定を10歳以上増加
・ルパン三世の完結編として物語を設定

なお、カリオストロの城の深層については、カリオストロの城のページを参照ください。





宮崎監督からルパン・ファンへの熱いラブレター



●ルパン三世の二重性

自由気まま、快活、女好き、おっちょこちょい、天才的泥棒、ルパン三世はあらゆる束縛から解放された人物です。
しかし、その軽薄さはしたたかさを包んでおり、一見の行きあたりばったりは、実は強烈な集中力のみせかけなのです。その快活さは、過
去に多くの悲惨と屈折をへて来た者の明るさだし、女たらしは実にルパンの唯一のやさしさの表現だったりする。

ルパンはいつも二重性を持っています。すべったり、ころんだり、バカさわぎをやって笑わせてくれるルパンは、彼の光の部分、むしろ機
能といっていいのですが、その側面しか見ないとしたら、ルパンは誇大妄想狂の精神病者にすぎません。光を支えている影ともいうべきル
パンの真情がかい間見えたとき、ルパンは初めて魅力ある人物として理解できます。

●行動のエネルギー −−−怒り

ルパンはつねにかりたてられています。その行動への根源、エネルギーは何なのでしょうか?金とか宝石、女でしょうか・・・。多分、そ
れらは見せかけの目的です。
まんまと盗みとったときの快感に麻薬のように取り憑かれたのか、傲慢で強力な敵の虚妄をひっぺがしたい衝動にかられるのか・・・。多
分、彼の心の底には、人間を窒息させる社会のカラクリへの怒りがうずまいているのでしょう。
けれどもルパンは、それらの大義名分や目的からさえ自由なのです。そのために生きているわけではありません。

●自由への渇望

ルパンは、はみ出してしまった者なのです。自由の代償に安らぎと憩いを捨て、自分の足下に、絶望と孤独の深遠が口をあけているのを、
充分知った男なのです。心の空虚を埋めようと、ルパンは行動にかりたてられます。自分の存在を意味するものにしてくれる闘い。その闘
いに自分を導いてくれる人との出会いを、ルパンは渇望しているのです。

うす汚れた自分、腰をすえ生活している者にくらべ、はるかに薄っぺらな自分を浄化し、たとえ一瞬であっても、心を開いてくれる人のた
めなら、ルパンは一国家の全機構とすら闘う男なのです。

この映画で、ルパンはひとりの少女のために全力で闘います。けれども、ひとりの少女の重ささえ背負いきれないダメな自分を知っていま
す。心だけ盗って、そのくせ未練は山ほどかかえこんで、しかしそれを皮肉なひょうきんにかくして去っていく。去っていかざるを得ない
男−−−それがルパン三世です。

(ルパン三世ファン・クラブより抜粋)




「それは、だから・・ルパンは解放されない人間なんですよ。映画の始まりと終わりで変われる人間じゃないんです。映画の始まる前に変わりきってしまった人間でね、後もどりはできない男なんですね。出来ないから演じ続けるしかない人間なんじゃないかと思うんですよ。

だから・・多くの、心に残す事を過去に、あっちこっちの場所においてね、心魅かれた娘もいっぱいいたに違いないけど、皆、後において・・ハハ。

それで仕様がないから次のお祭りを探して歩き回ってる人間じゃないんですか。内面は、こう・・すきま風が吹いているって気がするんですが。


最初にカジノから盗った札が本物だったらアレで終わるんですからね、泥棒っていうの。でも、それではおもしろくないでしょう?きっと本人達もおもしろくはないんですよね。また何か盗むモノを見つけなければならないんだから・・。
無間地獄なんですね。
グルグル回っている終わりのない地獄。
ルパンは無間地獄におっこちているんです。それをものすごくわかっているから、”止まっちゃいけない”って次から次へと走りまわっている男がルパンなんだって気がするんです。

かわいそうに・・どこかに腰を据えることができないまま、延々と150回まであっちにちょっかいだし、こっちにちょっかいだして、クタクタになって、ボロボロになってね。
それでも笑ってなければならないっていう人間になっっちゃったんですよ・・・と、僕は総括しているんだけれども」

(LUPIN THE THIRD VOL2より)





4.新ルパンへの参加(照樹務としての発言)

あれだけ批判していた新ルパンに、宮崎駿監督は、とうとう2話参加することになります。「死の翼アルバトロス」と最終回「さらば愛しきルパンよ」。
名前は隠し、照樹務として、ルパンへの最後の自分の思いを表現します。
詳細は、新ルパン三世の最終回「さらば愛しきルパンよ」における宮崎駿監督の真意を参照のこと。





ルパンは時代にとり残された・・
照樹務


ペンネームを名のる理由ですか、それは深い事情があってお話できません。

ルパンに出会ったのですか?

ルパンと出会ったのは1970年初等、高度経済成長期のまっただなか。誰もがマイカーを持ちたがり、人々はなかばはしゃぎ気味に生き
ていた時代でした。そんなときだったから、ちょっとカゲのさした、アンニュイなルパンが生きたのです。
うかれ調子の世の中に向けて機関銃をぶっぱなすルパンはわれわれの希望でもあったのです。

ところが、いまやルパンの世界より現実の世界の中のほうがあこぎになってしまったじゃありませんか。もっと悲惨に、もっと複雑怪奇に
。もうルパンがいくら銃口むけてもダメですよ。そんなことは無意味です。それでもルパンはワルサーをにぎりつづけている。
なんにむかって、どこに向けて撃っているんでしょうね。

むかしのルパンは人殺しはしませんでした。ところがいまのルパンは目標がないから、人間がマトなんです。世の中といっしょになって複
雑怪奇な殺戮をくり返していますよ。
ルパンがほんとうに好きならとうに描くのをやめるべきですね。
そうだな、いまの時代にルパンを描くなら、ワルサーも持たず、車にも乗らず、ラッタッタで走りまわらせるほうが、よほどルパンらしい
姿だと思いますが・・・。




ルパン最終回について
「おおげさに言えば、未来への不吉な予言、というつもりで作りました」

「この作品が、新ルパン・シリーズの最終話ということで、いろいろ考え悩みました。
ボクは、ルパンのいなくなった日本または世界が危険な方向へ進んでいくんじゃないかと、心配してるんです。

ぞっとするような悪が、軍事力と結びつくんじゃないかと。軍靴の音が聞こえてくるんです。
だから、この作品は未来への不吉な予言、というつもりで作りました。

ルパン三世の原作が作られたのは、60年代の末で、日本はまだまだハングリーだったんです。

だから、ルパン三世って作品にはハングリーさがあるし、それがルパンを支えていたんですね。

ハングリーっていうのは、食えないってことではなく、「オレはいくぜっ!」っていうような、自分の存在を主張するような売込みですね


これがルパンの中にあったし、モンキー・パンチにもあったし、山田康雄にもあったし、アニメのスタッフにもあった。

それと、ルパン三世という作品では、ファンが映像とはちがったルパン像とか五右エ門像といったイメージをもってる。「カリオストロの城」で、五右エ門が「可憐だ」と言ったのが、良いという人間と、五右エ門ならそんなこと言わないという人間と、真っ二つに分かれてしまった。

テレビを見てても、「ホントはこうなんだよ」って、各自が虚像を描く、そういう垢やチリアクタをいっぱいひきずっている作品であり、人物像なんです。

それと、これは大事なことなんですが、旧ルパンと新ルパンというふうに分けてみるとね、旧ルパンのときはルパンが街の中を歩いても、誰も知らなかったから、ドロボウができたんです。

が、新ルパンでは、登場したときから誰もが知っている著名人なんだよね。

だから、真っ赤な上着を着て、ドロボウより、”遊び人”という設定に近いんです。
これは、作品としても、社会状況としても興味あることです。」





「もうこれ以上、ルパンとかかわることはないだろうと思い、いままでのルパンは全部ニセモノだたというようなトッピな話にしたんです
が、かえってヒンシュクを買ってしまいました。」(講演「ルパン三世とのかかわり」より抜粋)




「ルパン達だけでやれたと思うんです。ホントに・・。ニセルパン出さなくても、できたんです。でも、なんか、今までやってきて・・こ
う・・『クソーッ』って思ってた部分がね、それでつい、ああいう馬鹿な事やってしまったんです。よくなかったと思ってる」(LUPIN 
THE THIRD VOL2より抜粋)






ルパンはもう、やることやり尽くしていて、もう150本もあり、旧作も23本あり・・やることないですよ。それが一生懸命になったっていうのは何か!?・・ですよね。

それは、また戦争を起こそうとしている人間がいるっていう問題しかないんじゃないかと思ったから、ああいう話になっちゃったんですよ


ハハハ・・・。もう、弁解が多過ぎてかなわないですね。

だから早く忘れたいと思ってるんですよ。




5.その後
新ルパン終了後、宮崎駿監督は、完全にルパンからはなれました。
しかし、何度もルパン復活案を語ります。
ただし、映画の新作の依頼は断りました。
詳細は、ルパン三世のページを参照ください(ただし、映画新作依頼を断ったいきさつは作成中)。






二度とやりたくないと、ホントに思いますよ。終わってホッとしたなと思うんです。やっぱり終わるべくして終わったんだと思いますよ。
だから、皆、それぞれに自分なりの幻影・・幻影っていったら失礼だけど、そういう姿を持っているんで、それでいいんじゃないかって気がしてしょうがない。こう・・当たりすぎたんだなって気がするのね。

シリーズっていうのは、始まった時には、まだわからないんですよね。作っていくうちに、だんだんいろんなことがわかってきておもしろくなっていくんですよ。で、”ああ、おもしろいな”っていって決まるでしょ。決まったとたんマンネリが始まるんですね。そのパターン
の延々たる繰り返しなんです。後は、視聴者が飽きるまで。そういうことなんです。





(アニメージュ編集部)いろいろいっていても、ルパンに対する思い入れが相当あったんでしょうね。宮崎さん。

友永 作り終わってから自分でもそういっていた。

「何だかんだといっても、やっぱりオレもルパンに未練があるんだな」って。



 

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