マイケル・ジャクソンの最後の10年間を襲った5つの不運
(TVの偏向報道を批判する)
マイケルの追悼番組の多くが、以下のようにのべている。
マイケル 栄光と転落
そして、スリラーやバッドを絶頂期とし、その後はスキャンダルにまみれ、財政難に苦しんでいたとしている。
しかし、実際は異なる。
ここでは、TV番組の偏向報道について一言いったあと、この10年のマイケルの苦難について、簡潔に語りたい。
1.マイケルの絶頂期はスリラーやバッドではない。
枚数が売れたのはそのあたりだが、作品として優れているのは、デンジャラスの時期であるし、
ほかにも、ディズニーランドでやっていたキャプテンEO、ジャネットと共演したスクリーム、
ゴースト、インヴィンシブルのYou ROCK MY WORLD(フルバージョン)だって素晴らしい。
ライブなら、デンジャラス・ツアー、ヒストリー・ツアー、スーパーボールでのコンサート、30周年記念コンサートなど、スリラー期やバッド期とは比較にならないインパクトのものがいくらでもある。
これについては、とにかく、自分で見てほしい。
日本の追悼番組は、マイケルを懐メロ歌手として捉え、ほとんどスリラーかバッドしか流していない。
スリラーやバッドが売れたのは、当時、音楽ファンの枠を超えたブームを起こしたからである。
それ以降の作品を、多くの人は基本的に見ていないから知らないだけである。
とにかく、見てほしいとしか言えない。
(参考)マイケル・ジャクソンのDVD全作品紹介
日本のマスコミも、是非、そのへんの映像を流してほしいところである。
好き嫌いは個人によりあるだろうが、マイケルが自分の世界をさらに切り開いていることは誰でも見ればわかると思う。
(参考)スリラー(1984) vs ゴースト(1997)
(参考)BADツアー(1987)のビート・イット vs 30周年記念ライブのビート・イット(2001)
(参考)NFLでの数万人でのヒール・ザ・ワールド(1993)と、本物の戦車まで登場したヒストリーツアー(1996)
TVでは放映されないキャプテンEO、最も代表的なライブ・パフォーマンス スムーズクリミナル
2.マイケルの慈善活動がほとんど扱われていない
あれほど皆が熱狂した「We ARE THE WORLD」の話でさえ、ほとんど取り上げられていない。
彼の様々な環境保全やチャリティ、ノーベル平和賞ノミネートの話さえ、全く扱われていない。
おおまかに言って、彼の資産は1000億円、彼の負債は500億円だが、これまでに行った寄付金は600億円にのぼると言われる。(先日やっていたJ−WAVEの特集の話による)
3.マイケルは、栄光から転落したわけではい。
というか、転落していたが、それは、二つの不運と、3人の悪意の積み重ねによる被害という明確な原因によるものであった。
TV放送でよく言われているように、本人のスキャンダルのせいというよりも、仕掛けられた悪意によるものである。
この文章は、その経緯を、簡明に伝えるためのものである。
ここからが、本題である。
マイケルは、ヒストリーツアー後、小休止していた。
しかし、
1999年(2000年だったかな?) MTVで、自分はこれからだぜ!と復活宣言。
2001年 新作アルバム「インヴィンシブル」を発売。
この時の先行シングル「You ROCK My World」では興味深いシーンがあった。
誰も彼を注目していないなか、自ら、舞台のカーテンを開け、皆の注目を集めるのである。
これを見た瞬間、私は、無理やりでも世間を注目させてやるという彼の意欲を感じた。
だが、残念ながら、ここからは、苦難の10年のはじまりでもあった。
運の悪さ1:ソニーが思っていたほどプロモーションに協力してくれなかった
マイケルは、スリラーやバッドのように、20分規模の長編ビデオを作りたかったらしい。
しかし、ソニーは、マイケルが期待したほどには、プロモーション費用をかけず、また、マイケルが希望した曲(アンブレイカブル)でも作らせなかった。
この点については、マイケル・ジャクソンとソニー戦争にまとめました。興味ある方はそちらをお読みください。
さて、そうはいっても、最初のシングル「You Rock My WORLD」のプロモーションビデオは、(ロングバージョンは)相変わらず見事な作品であったが、これは制作費に3億円かかっていた。(マーロンブランドの出演料が高かった?)
(参考)マーロン・ブランドとの対決:これについてはゴッドファーザーとの対決参照
ともかく、ソニーは、マイケルが期待したほどには、後押しせず、アルバムは、米国では200万枚しか売れなかった(制作費3000万ドル、制作期間5年にもかかわらず・・)
これにマイケルが激怒。
後には、なんと、マイケルは率先してファンを扇動し、ソニーへの抗議運動を行うこととなる。
これは、ファンの私ですら、マイケルの精神はちょっと不安定なのではないかと思った。
アルバムの売り上げなど、マイケルがビデオクリップを数本追加すれば、10倍くらいには簡単に増えるのに・・、抗議行動する時間があるなら、ビデオを早く作って欲しいと思ったものである。
それはともかく、マイケルはマイケルで、自分の力でプロモーションし、盛り上げようとしていた。
なんといっても、彼には、絶対成功する隠しネタがあった。
それは、ジャクソン5再結成である。
彼は、新作発表と自らの30周年記念に、ジャクソン5再結成はを目玉とした1大イベントを開催することを計画した。
しかし、ここから、彼は、記録的な運の悪さの連鎖に会うことになる。
運の悪さ2:ビン・ラーディンによるテロ
2001年 ジャクソン5復活を含む、デビュー30周年コンサートで、マイケルは自分の新作を一気にブレイクさせようとする。
この時のコンサートメンバーは、おどろくほど豪華であった。
ブリットニー・スピアーズ、ディスティニーズ・チャイルド、ホイットニー・ヒューストンなど、ビッグネームがずらりと並び、マイケルの歌を歌った。
さらに、アッシャーとのダンス対決まで行った。
しかし、なんといっても最大の目玉はジャクソン5再結成であった。
これによって、一気にマイケル・ジャクソンへの注目が集まるはずだった・:・
しかし、演奏した翌日(9・11)に、なんとニューヨークにテロが起き、世界貿易センタービルが破壊された。
さすがに、ジャクソン5再結成のお祝いどころではなくなってしまう。
一気にイラク戦争へと突入する中で、マイケルの大パフォーマンスも忘れられてしまう。
誰にも予期できないテロであった。これは、運が悪いというほかはない。
運の悪さ3・・マーティン・バシールによる悪意:自分のスキャンダル追及番組を全力で支援
ジャクソン5再結成も不発に終わったマイケルは、次なるプロモーション施策を考えていた。
そこに、悪魔の声がやってくる。
2003年 「世間はあなたを誤解している。本当のあなたを皆に知ってもらおう」という、
マーティン・バシールにひっかかり、数週間の生活のドキュメントをとらせてしまう。
マーティン・バシールは、かつてダイアナ妃のインタビューをとって話題になった人物であり、マイケルも信用してしまったのだろう。
この時、致命的だったのは、編集権を完全にマーティン・バシールに渡していたことである。
結果として、逆に、マイケルのスキャンダル攻撃番組を作られてしまった。
ここでのマイケルは、確かに、目もうつろ(というか、焦点があっていないというか、血走っているというか・・)、無精ひげ、子供とばかり遊んで・・という状態で、あきらかに、ちょっといっちゃっている感じがした。
しかし、いきなりマイケル批判番組に方針変換したマーティン・バシールは、やはり道義的には許せない気がする。
だが、正直言うと私は、何よりも、こんな番組の存在を許してしまったマイケル自身に、もっとも驚かされた。
彼が、まともな判断力を保っていた時期には、ありえない失態だった。
運の悪さ4・・ギャヴィン少年の母による悪意:お金目当ての悪人にだまされる
マイケルは、それに対して、「裏切られたマイケル・ジャクソン」という番組で反論する。
マイケル批判番組の映像内容を、マイケル側が撮った映像と比較し、検証するというものだ。
しかし、この番組が、彼のキャリアにとって、最大の致命傷となった。
マイケルは、昔から、多くの子供達に慈善事業を行っていた。
医者に死を宣告された子供たちに、ネヴァーランドに招待するのである。
この時も、そのような子供達がいた。
その中に、マイケルのネバーランドに来てガンが治ったギャヴィン少年の奇跡も放映した。
ところが、この少年とその親がくせものであった。
自分の子供はガンだ、と言っては、有名人にたかってお金をせびる常習犯だったのである。
この親は、マイケルにたかるだけたかったあと、これ以上、お金を引き出せないとみるや、
今度は、自分の子供は、マイケルに性的ないたずらをされた、と、方針転換してマイケルを訴えた。
かつて、13歳のジョーイ少年が、マイケルの性的疑惑で多額の和解金をせしめた例を再現しようと思ったのである。
誤解しないで欲しいのは、マイケルが子供を特別に好きなのは事実だが、この件は、そういう次元の話ではなく、完全な悪意による意図的な言いがかりだったことである。
運の悪さ5・・トム・スネドンによる悪意:復活ダンスを、警察と検察官の悪意でつぶされる。
以前からマイケルと犬猿の仲であった検察官がトム・スネドンである。
彼は、かつても、マイケルを少年への性的疑惑で捜査したことがあり、今回を逮捕の最大のチャンスと考えていた。
一方、マイケルは、「You Rock My WORLD」のビデオについて、ダンスのきれが落ちたという評価が出ていた。
そこで、マイケルは、それらの風評を一掃すべく、「今度は、誰も見たことのないダンスを見せてやる」と意気込んでいた。
ところが、撮影当日、警察が踏み込み、マイケルは逮捕される。
マイケルの新しいダンスは幻と消えてしまった。
結局、無罪が確定するのは、2005年である。
これで、1999年の復活宣言以降、6年の大部分がムダにすぎてしまった。
その後は、精神的ダメージが大きく、アメリカから離れ、後にネヴァーランドも売ることになる。
維持費がかかるから売ったというのもあるが、それ以前に、ネバーランドで住む生活スタイル自体をやめたのである。
しばらくは、音楽活動もろくに行っていなかったが、じょじょに再起に向け、トレーニングを開始した。
そして、ようやく、今年、2009年になり、復活コンサートを開くまで、後2週間ほどにせまっていたのだが・・・
残念である。
せめて、復活コンサートのリハーサルビデオと、新スリラーだけでも、公式に発売してほしいものである。