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1: 2013-07-24 (水) 21:13:22 yasuaki[c.nKQzO17dc] |
| + | 2.なぜ、ソフィーは歳をとったり、若返ったりするのか? |
| + | ソフィーは、自分の容姿に劣等感を持っています。 |
| + | 「あたしなんか、美しかったことなんか一度もないわ!」 |
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| + | そして、自分は人生で成功することもないだろうと考え、帽子作りをやめずにいます。 |
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| + | 原作では、ソフィーは、自分では気づいていませんが、魔力を持っています。 |
| + | 彼女が言った言葉が、そのまま実現していくのです。 |
| + | その彼女が鏡を見ていった言葉が、「これじゃオールドミスみたい。」 |
| + | その後、荒地の魔女が現れ、彼女を老婆にします。 |
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| + | つまり、彼女が老婆になるのも、ある意味では、荒地の魔女の呪いというより、彼女の自己暗示のようなものです。そのような自己暗示が解けたとき、つまり眠っている時や、自分の素直な気持ちが表現できるときには、心も容姿も若くなります。 |
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| + | 全ては、彼女が、自分自身を醜い老婆が似合っていると考えるか、若さがに合っていると考えるのかによるのです。 |
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| + | 小説版では、この点を一層明確にする次のセリフがあります。 |
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| + | ハウル「あんたが気づかないうちに、何度か呪いを解こうとしてみたんだ。ところがどうやってもうまくいかない。」 |
| + | 「そこで僕としては、あんたが好きで変装していると思うしかなかった」 |
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| + | 「変装だって!」ソフィーはおうむ返しに叫びました。 |
| + | ハウルは笑いました。「だってそうだろう。あんた、自分の力も使ってるんだよ。見た目をあれこれ変えたりして、あんたたちはなんて変わった一族だろう!」 |
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| + | さて、小説では、ソフィーはいつ若返るのか、あまり明確になっていません。 |
| + | 最後には、呪いが解けているという言葉があるので、おそらく若返っているのですが・・ |
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| + | ここで映画化のさい、スタジオジブリ内で、どういうタイミングでソフィーが若返るのかが議論になったそうです。 |
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| + | 女性が可愛いか可愛くないかだけで判断されるのはおかしい。 |
| + | 宮崎監督も還暦を迎え、「もし若さだけに人間の価値があるとしたら、歳をとったら意味がないのか?」ということは大きなテーマだっ |
| + | た。 |
| + | 女性スタッフ達への感謝の気持ちも込めて、「歳をとった女性にも魅力はあるよ」というものを作りたかった |
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| + | という考えの元、映画では、ソフィーは気持ち次第で若くなったり歳をとったりする表現に落ち着いたそうです。(ロマンアルバム:鈴木 |
| + | プロデューサーインタビューより) |
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| + | そして、このことは、単に若さの表現の問題だけでなく、作品のテーマそのものとも密接につながります。 |
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| + | さて、この点について、宮崎監督の深層心理まで踏み込めば、歳をとったり若くなったりする女性という表現は、実はジブリ内の議論とは無関係に、どの作品にも見られる、少女と老婆による母性表現ともつながっていることがわかるでしょう。 |
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| + | 宮崎監督の物語では、少女は同時に母親を示すものでした。(マンガ版ナウシカが巨神兵の母となるシーン、映画ラピュタにおいてシータが大人達の面倒を見るシーン、新ルパンの最終回「さらば愛しきルパンよ」におけるロボット兵を操る少女など) |
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| + | 同時にまた、宮崎アニメでは、少女のように元気な老婆というのも定番です。(ラピュタに出てくるドーラ。彼女の部屋にかかっている若 き頃の少女姿にも注意。千と千尋の湯婆婆など。) |
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| + | これらのイメージは、宮崎監督の少年時代、母親が病気で不在だったことからの母性への憧れ、一方で、男だらけの宮崎家の中でドーラのように元気に振舞っていたこと、さらには、晩年、介護でずっと老いた母を見る機会が多かったことなどが、様々にからみあっています。 |
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| + | もっとも、これらは無意識的に出たものであり、意図的に描こうとしたわけではありません。 |
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| + | 「彼女はハウルに対して時として内面がおばあちゃんだったり、女性だったり、妻だったり、母であったりもする。若かろうが、歳をとっていようが、女性にはそういう多面性があると思うんです。ただ宮さんはここで、それを意識的に描こうとしたのではない。描いているう |
| + | ちに、そういうことになってしまった。そこがこの作品の面白さでもあると思うんです」(鈴木プロデューサー) |