SFマガジン 1996年8月号
この対談は、4月28日に開催された「SFセミナー’96」でのパネルディスカッションをもとに再構成したものです。
対談『新世紀エヴァンゲリオン』の世界
庵野秀明
大森望
大森 そもそもSFセミナーでなぜアニメの話をするのか――という問題からまずはじめたいと思います。個人的なことを言いますと、ぼくは去年から「新本格SF」を提唱していまして、その中核にあるのがソリトン、ぺリオン、ゲリオン――つまり梅原克文さんの『ソリトンの悪魔』、ダン・シモンズの『ハイぺリオン』『ハイぺリオンの没落』、そして『新世紀エヴァンゲリオン』なんですね。中でもエヴァは、いまの日本SFを代表する作品であり、なおかつ現代SFの最先端だ、と。いまSFを語るなら欠かせない作品だと考えているんですが、たぶん庵野さんはそうは思ってないでしょうね。
庵野 思ってないすね。
大森 思ってないですよね。それは全然思ってなくていいんです(笑)。それは観る人の勝手である、と。SF者にはSF者のエヴァの見方がある、ということで、アニメ誌的な、いわゆるアニメ者の見方とは違うエヴァンゲリオン像をここで分析してみたいということなんです。
庵野 どうも。場違いな場所ですね。ぼくはね。たぶん。とまどってます。
大森 でもSF大会は、ハマコンにいらっしゃってるとか。
庵野 今んところ、あれが最後ですね。
大森 いや、さっき控え室で聞いて驚いていたのは、「マグマダイバー」というエピソードがあるんですが、実はあのタイトルはデイヴィッド・プリンの『サンダイバー』が元ネタだという(笑)。
庵野 誰も気がつかなかったっすね、「マグマダイバー」。あれは『サンダイバー』からとってるのになぁって。いや、『サンダイバー』読んでないんですよ。表4の内容紹介だけよんで、カッコいいって思っただけですからね。太陽の中に潜っていくと、そこになにかがある。カッコいい。中身は読んでないっす。
大森 それは鋭い。その嗅覚があれば、じゅうぶんSF者として生きていけますよ(笑)。えーっと、ここでちょっと観客層を調査したいんですが、会場のなかで、『エヴァンゲリオン』なんて1話も観たことがないという、不幸な住環境/経済環境にいらっしゃる方は?おっ、少ないですね。2割くらいですか。じゃ、LDは3枚とも買っているという方は?
庵野 あれ、けっこういる。
大森 シンクロ率0%の人とシンクロ率100%超の人がほぼ同じぐらい(笑)。理想的な分布ですね。ひょっとしてまったく知らない人もいるかもしれないので、監督の口から一言で説明していただきたいんですが。『新世紀エヴァンゲリオン』とは、どんなアニメなんでしょう?
庵野 どんなでしょうね。自分ではわかんないっすよ。
大森 一応、ロボットアニメとか。
庵野 んー、ロボットが出てきますね。ロボットアニメですかね。
大森 たとえば親戚のおじさんとかに、「秀ちゃん、最近どんなアニメ作ってんの?」とか聞かれたら?
庵野 ま、ロボットアニメですね(笑)。
大森 「ふうん、『マジンガーZ』みたいなやつ?」とか言われたら?
庵野 ああ、それは「『ガンダム』みたいなやつ」ですね。有名ですからね。ガンダムと言えば、わかってくれますね。
大森 ガンダムみたいなロボットアニメ?
庵野 んー、まあ、そのほうがてっとりばやいっすけどね。説明するとき、わかりやすいし。
大森 ガンダムというのは、SF史的に見ると、TVアニメのお約束的な宇宙戦闘じゃなくて、SF的なリアルさをある程度まで実現したアニメだったわけですよね。スペースコロニーの設定から、近接戦闘の必要性をもたらしたミノフスキー粒子まで。昔は、ロボットが戦うのに理屈なんかいらなかったんだけど。
庵野 それっぽいものを持ってきて、成功したってことですね。
大森 ええ、ちゃんと理屈をつけて、そこがSF者にもウケた。
庵野 あと、ロボットという言葉を捨てたのが大きかったですよね。どうみてもロボットなのにモビルスーツ。カッコいいですよね。
大森 さっき大宮信光さんとの対談で、岡田斗司夫さんがその話をしてましたね。どう見てもただの建物なのに、オウム真理教はそれを「サティアン」と名づける(笑)。これ、ガンダム入ってるよねっていう。
庵野 ええ、言いまわしっていうのは大きいと思うんですよ。記号論ですからね。ぼくもそう思います。
大森 それで人型決戦兵器というネーミングが。それと、エヴァの場合は、漢字のインパクトが大きい。
庵野 漢字ですよね。日本人はやっぱり漢字ですよ。ぼく、苦手なんですけど、書き取りが。ワープロが出来てよかったです。ぼくのラフってみんな平仮名ですからねえ。漢字、知らないですよ。
大森 タイポグラフィ的なことにまで留意してちゃんと漢字を使ったという意味では画期的ですよね。テロップの出し方とか。
庵野 いや、とにかく、カッコよさっていうのを狙おうと思ったんですよね。アレに関しては。
大森 そのへんが、やっぱり人気の一端ではあると思うんです。現代SFでも、、要するに「カッコよさ」という尺度が非常に重要になってきてる。ウィリアム・ギブスンがなぜあんなにウケたかというと、やっぱりそれはあのサイバースペース、電脳空間っていうのがカッコよかったからで。
庵野 カッコいいっすよね。
大森 ただ、そういうネーミング上の配慮だけじゃなくて、エヴァのSF的な枠組を考えてみると、非常に大きなテーマ、人類とか神とかっていう大きな物語を提出しているところがポイントではないかと。80年代の日本SFでは、いっとき、もういまさら人類とか神とかじゃねえだろっていう議論があったんです。そういう大きな物語にリアリティを持ち得ないのではないかという。ところがエヴァの場合、人類進化のヴィジョンが明らかに根底にある。
庵野 スタートするときは光瀬龍さんだったんですけど。
大森 あっ、光瀬龍なんですか。小松左京とかっていうより?
庵野 小松さんより、今回、光瀬龍さんですね。
大森 『百億の昼と千億の夜』とか。
庵野 そうですね。読みなおしてみました。やっぱり、いいんですよね、あの時代の日本SFって。そんなこといったら、いまがひどいみたいだけどね。ぼくが読まないだけですよ。
大森 そういう意味では、光瀬龍のネーミングセンスも、かなり――。
庵野 いいですよね。
大森 ええ、ルビの振り方とか、サイバーパンクの先取りみたいな実験もあって。ただ、光瀬さんの方はもっと、東洋的な無常観とかが支配的だけれど、エヴァンゲリオン世界っていうのはもっと西洋文明的な・・・・・・。
庵野 西洋文明ってきらいなんですよ。あまり信用してないんですね、西洋文明を。
大森 それは、否定すべきものとして、ですか?ポジティブではなくて――。
庵野 いや、あんまり気にならないから、利用できるっていうか。ぼくがキリスト教徒だったらあんなにキリスト教的なものを入れらんないですよ、怖くて。
大森 確かに。愛着がないから、平気で天使の名前を使えるわけですね。あ、この名前、語感がいいからとかいって、適当に。
庵野 使徒と天使を同じにするなんて西欧人から見たら、文句言われてもしょうがないぐらいだと思いますけどね。いや、社内にもアメリカ人がひとりいるんですけど、色々と叱られましたよ。これはいけないって。やっぱり、そうなんすよね。でも、そういうの、気にしないんでやったんだと思いますよ。
大森 ぼくは逆に、光瀬龍ってのはあんまり思わなくって、やっぱりクラークの『幼年期の終り』から、小松左京を経て、最近でいえばグレッグ・ベアの『ブラッド・ミュージック』に至る、人類進化の階梯をひとつのぼるための物語として解釈してたんですが。
庵野 わかんないですね。そこまで大仰なもんじゃないと思うんですけどね。やろうとしたことは。
大森 そうは見えないですけど(笑)。
庵野 あっ、そうっすか?
大森 だって「人類補完計画」でしょ(笑)。
庵野 大仰ですよねえ。言いまわしだけねえ。カッコよさだけですよねえ。漢字にしたときの。
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