ニュータイプ 1998年5月号

 

庵野秀明meets野田秀樹2次元からの屹立

 かっこいいアニメーションを見たとき、心は、わくわくドキドキする?それはまぎれもない、生の自分の鼓動だ。2次元の覇者・庵野秀明が、初めての生の肉体のスゴさを感じたという演劇。演劇界のカリスマ・野田秀樹と対面し生っぽさへの、あこがれを語る。

 

野田秀樹 のだひでき○’55年長崎県生まれ。劇作家、演出家、役者。’80年代の演劇ブームの先頭を走った“劇団夢の遊眠社”を経て、ロンドンへ演劇留学。’92年より“NODA・MAP”という演劇プロデュースユニットを旗揚げ、精力的に公演を行っている

庵野秀明 あんのひであき○’60年山口県生まれ。監督。アニメ、実写と幅広く活躍、高い評価を受けている。次なる作品に期待がかかる中、現在、少女漫画『彼氏彼女の事情』のアニメ化に着手。今秋より放送予定。ほかに、AVを撮影中とのうわさも

 

アニメと舞台。似ているところはあるのか?

 

庵野 野田さんの舞台は『赤鬼』と『キル』の再演を見ました。あとビデオで『半神』と『キル』の初演なども。それまであんまり舞台って見てなかったんですけど、おもしろいと思ったものはあったんです。でもスゴイ!とまで思ったのは『赤鬼』が初めて。生でしか味わえないものだって。たとえば三谷幸喜の舞台『巌流島』を見たときもおもしろいと思ったんですよ。長いのがアレでしたケド。でも『赤鬼』はすごかったです。あの4人の汗だくの姿は。

 

野田 芝居ってのは肉体芸術だからね。

 

庵野 あと、あれ、台本がよかったです。野田さんの舞台ってリズムがいいと思うんですよ。スピーディーで。

 

野田 アニメもリズムの世界じゃない?

 

庵野 そうなんです。それがいちばん大事だと思うんですね。台本のリズム。台本の、なんかこう見た目の美しさってあるじゃないですか。1行ずつキレイに連なってるところに、いきなり長ゼリフが。

 

野田 ああ、ああ。あるね。

 

庵野 それなんです。ターっときて、いきなり何行にもわたる、びっちりしたセリフがきて、また短いのがくるというリズムが、すごくよかったんです。

 

野田 じゃあいい脚本は、字を読まなくてもわかりますね(笑)。

 

庵野 グラフで表せる。

 

野田 それは言える。

 

庵野 野田さん、グラフがいいんですよ。字の分量のグラフが。

 

野田 アニメも、そういうリズムがないと、絶対ダメだろうね。

 

庵野 ええ。でも間があるんですよ。細かい話ですけど、カットじりの閉じ口が、ひとコマいらないっていうのがあって。

 

野田 なんなのそれ?

 

庵野 閉じた口が(注1)、1秒に6コマ必ずあって。4分の1秒必ず止まってるんですよ。なんでそこで止めるかね〜って。そこがないとしっくりこないらしいけど、つくり手の生理的なものがとろいのでは?って思うんです。通常のアニメって、いらない間があって。詰めればもっと気持ちよくなるのにと思ってるんですけど。

 

野田 テンポアップがなければ、本当の間が生きないよね。本当に美しいものを見せるためには、異常かなって思うくらいのものを見せたいじゃない。

 

庵野 ええ。いらない間をカットして、40秒も誰もしゃべらないとき(編注・『エヴァ』22話)にようやくその意味がわかる。

 

野田 アニメでも舞台でも、時間制限がある。限られた時間の中で、リアルなことを表現しようとすれば、どっかで誇張か省略するしかないわけだ。それって最終的には歌舞伎なんだよね。日本人がなんでこんなにアニメが好きかっていうと、やっぱり歌舞伎が原点にあると思うよ。

 

庵野 あの記号を許すのが日本人。この間、初めてシェイクスピア見たんです。渡辺いっけいさんの出てる『リア王』。いや、これもアニメに近いなぁって思ったんです。つくり事の世界なんですよ。つくり事の法則みたいなのをお客さんに強要してて。セットが45度傾いたら、それが荒野になって、45度戻ったら王宮になる。見ているお客さんは、いないものとしてやってる。そういう約束事の世界が、アニメっぽく感じられたんです。けっこうアニメ見てるみたいでいいな〜って。枠の中で区切られている世界ですよね。そこがもう記号的に構築されてるんで。お客さんのところに約束事が伝わらないとすべて壊れてしまう。こりゃアニメだなって。

注1 通常のアニメでキャラクターがしゃべるシーンを描く場合、大きく開いた口、中くらいの口、ちょっと開いた口をひとつの動きとして描く。最後の口を必ず“閉じ口”にするのは業界の慣例らしいが、庵野作品ではそれを避けた描き方をして、テンポアップをはかっている。


庵野秀明が『ラブ&ポップ』ウエハラを見つけた場所NODA・MAP

 『ラブ&ポップ』に登場する、庵野秀明の分身とも言われるウエハラ。この役を演じた手塚とおるは、庵野の見に行った“NODA・MAP”の舞台『キル』(’97)に出演していて、白羽の矢が立てられたのだ。「手塚さん、いいっすよね。破綻してる感じが」(庵野)という手塚の役は、ちょっとイッてる旅人だった。庵野はそこに、エキセントリックでトラウマを抱えた男であるウエハラに近いものを見たらしい。

 ちなみに『ラブ&ポップ』のほかの出演者、吹越満、渡辺いっけいも“NODA・MAP”に出演経験のある名舞台人。映画『モスラ1』『2』やTVドラマで活躍している羽野晶紀も“NODA・MAP”の常連だ。

 優れた役者たちによる、舞台ならではのダイナミズムを追求しているのが“NODA・MAP”であり、役者は舞台狭しと始終駆け回り、セリフを弾丸のように語る。その動きと声のつくり出す圧倒的なパワーに、観客は心を奪われる。「日常にはない、呼吸や鼓動を味わわせます」(野田)

 庵野がビデオで見たという『半神』(原作・萩尾望都)は、野田の“劇団夢の遊眠社”時代の作品。ソニー・ミュージックエンタテインメントからビデオが発売中。


 

声は生をかんじさせる大切な存在である

 

野田 アニメと演劇の決定的な違いは「肉」ですよ。アニメは簡単に美しい女性が出現できるからうらやましい。

 

庵野 そうですね、アニメじゃないと綾波レイって出てこないですよね。

 

野田 だけど、それにどんどん入れ込むと、そのキャラクターの「肉」に触れたいと思うのね。だから俺、アニメファンが声優の人に入れ込むのってわかるわけ。唯一「肉」は声にしかないから。

 

庵野 そうなんです。

 

野田 ほんと“肉声”っていうのはいいことばだよね。舞台でも声を侮っちゃいけない。声のせいで役者やれない奴っていっぱいいる。嫌われる声ってあるから。

 

庵野 僕、声優さんの肉声ってアニメの中で、唯一生だと信じてたんですよ。でもある日突然逆じゃないかと思ったんです。声優さんのお芝居は技術なんです。

 

野田 とってもよくわかる。肉を使っているはずなのに、肉じゃない。

 

庵野 ええ。そこにあるのは記号なんですよ。キャラクターを統一するための。人の声をした記号。

 

野田 肉じゃないものに合わせようとするんだからね。

 

庵野 そうなんです。それでアニメーションっていうものに、ガターっときたんです。だから実写や舞台がいいなぁって思ったんです。肉体と声がひとつだから。

 

野田 じゃぁ、声優を使わずに、最初に声をとってから、アニメをつくれば?

 

庵野 それが理想です。プレスコ(注2)っていう方法。高畑勲さんはやってるし、ディズニー、アメリカではあたり前なのに、日本ではシステムの問題でなかなかできない。今度のアニメ(『彼氏彼女の事情』)では声優オーディションをやるんです。型にはまってない役者さんがいいですね。

 

野田 たとえば、いまだに泣くときエーンエーンって顔を覆う演技は、ないよな。

 

庵野 宮崎(駿)さんのアニメってみんなそう泣くんです。そう泣きませんよって言うと「いや俺はこう泣くんだ」って。舞台なら、後ろから見てる人にわからせるためにはいいのかもしれないけど。

 

野田 わかってどうするんだってこともあるんだよな。

注2 プレスコ…アフレコの反対語。最初に声をとって、それに合わせてアニメをつくる方法。役者の演技が優先される。

 


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