2次元の幸せ3次元の・・・・・・?

 

野田 (庵野が肉や魚を食べないという話を聞いて)においがダメなの?あーなんかわかる。アニメ的・・・。アニメにはにおいがないもんね。だから、どんどんセックスレスになっていくんじゃない?

 

庵野 そうですね。それが延々と続いたんで反動が激しくて。食べ物は変わらないんですけど、つくるものは変わってきました。いま、AVも撮ってて・・・。ようやく生っぽいものに近づきましたね。

 

野田 AVって厳密には生じゃないよね。

 

庵野 そうなんですけどね。

 

野田 幻想だよね。アニメも、すごいアングルの絵を描いても金がかからない。地球から宇宙にギュワーンって行ける。

 

庵野 生っぽさはないですね。

 

野田 僕が演劇的って思う漫画は“こまわりくん”(注3)。ページをめくった瞬間に表情がふぁっと変わる。役者がやる作業に近い。面をつけて表情を変えるような作業だったりしてね。

 

庵野 あれは肉体アクションですからね。

 

野田 人のポーズのおもしろさ。美形の役者・・・じゃなくて、登場人物がコロっと変わるっていうのに近いね。あのね、平面的っていうことは、すごく人間にとって幸福だと思うのね。我々は3次元に生きてるじゃない。あるとき、こたつに横になってたの。2次元なんだよね、それって。そこから立たなくちゃいけないって思ったときに、人間の不幸が始まるんだって思ったの。

 

庵野 はあ。

 

野田 生きようとすることは3次元である。夢を見てるときと死体って、2次元だと思うんだよね。やっぱり死と眠りって近いと思うのね。人が頭を上げようとしたときに不幸が始まったというような?庵野さんが3次元に目覚め、肉に目覚めたってことは、もう、不幸よ(笑)。

 

庵野 まあ、不幸ですね(笑)。

 

野田 それはもう宮崎勤的不幸?彼が3次元に目覚め、肉に目覚めちゃったってことは・・・。

 

庵野 でも、彼の不幸は、2次元を3次元に、もち込もうとしたことですよ。あれがまぁ失敗でしたね。

 

野田 失敗でしたねって(笑)。失敗しなけりゃよかったのに、って言ってるみたいじゃない!?

 

庵野 ああいう発想をもたなければよかったんですよ。普通のおたくでいられたのに。僕の場合は、3次元に目覚めた不幸でも、いいんじゃないかな、先に進めれば。

 

野田 行けるときに行ったほうがいいんだよ、がんがんと。社会現象が起こってるときは積極的に前に出たほうがいい。

 

庵野 だからAVもやるし、舞台もやれたらやりたいですね。

注3 “こまわりくん”…山上たつひこ原作のギャグマンガ『がきデカ』の主人公。このキャラのやる「死刑っ」というポーズ(瞬間ギャグ)が’70年代に流行した。キャラクターの顔が瞬時に変わったり、キテレツな動きで笑わせるのは、笑いの手法のひとつとして、いまだによく見受けられる。 

 

アニメでも、きちんと芝居をさせたい

 

庵野 (対談前に野田の芝居の稽古場をのぞいたことから)舞台の稽古場の雰囲気って、いいですね。

 

野田 文化祭みたいな雰囲気でしょ。

 

庵野 終わったらバラバラになっちゃうけど、その一瞬の団結がうらやましい。アニメはもうバラバラ。分業だから。

 

野田 舞台はテレビや映画とかと違って毎日いっしょにやってるから、もう愛するか、憎むかしかない。

 

庵野 必然的にドロドロってくるじゃないですか。アニメは流れ作業、車をつくるみたいに設計図に合わせてつくる。演出と絵コンテも違う人がやってるし。

 

野田 そんなにバラバラなの?でも統一感をもたせるのが監督の仕事なんでしょ。

 

庵野 よっぽど時間がないと。キャラクターは描いてる人が何十人もいるからバラバラ。芝居が絵で変わっちゃうんです。

 

野田 各話脚本家の違うテレビドラマも一緒かな。信じられないよね。

 

庵野 でも役者さんが嫌悪感を示せば?

 

野田 テレビの役者は、そういうことはしないよ。演出家に手を上げろって言われれば上げる。僕は絶対に上げないね。

 

庵野 こんどの作品では、音響監督(注4)も兼ねられたら、兼ねてみたいんです。だって、そうしないと伝言ゲームになっちゃうんですよ。

 

野田 伝言ゲームって?

 

庵野 こういうふうに言ってくださいって言っても、役者に3分の1しか伝わってない。だから直接言おうと思うと、現場では音響監督さんの言うことは聞くけど、ほかの人の言うことは聞かないっていうバリアーがある。一種独特の。なんか、そういう意味でも舞台ってうらやましい。徹底的に稽古を積むから。演出に、疑問を投げかける役者がいてもいいと思うし。

 

野田 誰も何も言わないの?

 

庵野 その場では言わないで、あとで飲み会で言ったりする。それなら、最初に言ってくれ〜って。

 

野田 あ、それ舞台でもあるよ(笑)。

注4 アニメでは通常、本編の監督とは別に、アフレコ時に現場での責任をもつ音響監督が存在する。声優に指示するのは音響監督の役割なのだ。

 

舞台と映像。そして、その先にあるものは・・・

 

野田 舞台の演出、ホントにやってみたいですか?

 

庵野 ええ。舞台、いいですよね。

 

野田 それは、でもね、違う。

 

庵野 隣の芝生、ですか。

 

野田 っていうか、もうからない仕事だもん(笑)。なんで舞台がダメかっていうと複製がきかないから。再演するとなったら、最初からもう一度つくり直さないといけない。

 

庵野 そうですね。量産がきかないものはメジャーにはなり得ないですからね。ま、そこがまたいいと思うんです。

 

野田 われわれ芝居をやってる者たちって非常にレストランに近いんだよな。

 

庵野 ああ、はい。

 

野田 来てもらわなくちゃわからないからさ。来た人しか味がわからなくて、その人数も限られてるから。つくる人が死んじゃったら、もう二度と食えないし、芝居も二度と見られない。映画はいいよね。あとで見て評価してくれる。

 

庵野 ええ、量産と定着がきくのが映像のいいところですね。でも舞台って、そこに行かなきゃ見られないものがある。『赤鬼』で女優さんのパンツが瞬間見えるのって、よかったですよ(笑)。ああいったアクシデントや、それをアドリブでフォローする流れも毎回違ってていいんですよね。

 

野田 うん。一瞬の感動を、僕は狙いましたから(笑)。

 

庵野 常々、舞台と映像を融合できないのかなって思ってるんです。

 

野田 そうなんだよね。アニメがやれる人は絶対いい映像が撮れるはずじゃない?いい絵が描けるわけだから。

 

庵野 ええ。延長線上な気がします。

 

野田 でしょ。舞台から映像に行くのは、難しいけどね。

 

庵野 僕にとっても同じ。遠いところに舞台があるんです。だからこそ、手が伸びないかなぁって思ってるんですけどね。

 

野田 いや、映画の先にはあるかもしれない。芝居に興味をもって、役者をどんどん撮っていくと、その先に舞台があるかもしれないね。

 

庵野 『エヴァンゲリオン』が演劇的だって言われることがあるんですが、あのころは演劇を知らなかったんです。行き着くところは同じなんじゃないですかね。あ〜、もっと早くに演劇見てればよかった〜って、いまは思ってますけど。

 

野田 でも、おもしろいものばかりじゃないよ(笑)。

 

庵野 アニメも同じですよ(笑)。

 

野田 庵野さんは役者をやろうとは思わないの?

 

庵野 自分の顔や声に自信がないんで。もし何か合う役があったら、誘ってください(笑)。

(’98年2月20日、渋谷にて)


『エヴァンゲリオン』にうかがえる演劇との接点

 テレビ版25・26話では、舞台の会話劇のような情景が描かれていた『エヴァ』。自分を確認するために自問自答、徹底的に追いつめたのち立脚点を見いだすという展開は、鴻上尚史率いる“第三舞台”などが活躍した’80年代小劇場系演劇によく見られた。ダイアローグ(対話)のリズムにこだわった結果、舞台ふうのカタルシスが生まれたのではないだろうか。

 ダイアローグに関して庵野は「絵が悪くても、脚本がよければ救われるという、コストパフォーマンスの高さがある。幅広い観客をつかむためには、絵よりもダイアローグに気を使う」と語っている。

 映画版にも心象風景として舞台が登場する。人形、舞台、鏡、双子などは、もうひとつの自分と世界を表わす普遍的なモチーフで、記号的な表現。生の芝居を感じさせるという点では、エレベーターの中での約40秒の沈黙シーンに注目。2人の間のピリピリした緊張感を絵で表現。これは’90年代型演劇「静かな演劇」という、人の関係性を探る手法に近い。人間の存在のリアリティーを検証しつづける演劇と、『エヴァ』のキャラクターの内的表現が、偶然シンクロしたということか。

 記号的表現から、人間の振れ幅のある微妙な面までをも見つめる庵野監督の奥行きの深さ!そして、限られた条件下で、その中から、観客への最も効果的なアプローチ法を選択する判断力。これは演劇人だって、誰もがもち得るものではないのだ。 


資料目次に戻る