新劇場版ヱヴァンゲリヲンにおけるループについて
私は、はじめてエヴァの序を見たとき、ラストのあたりでカヲルが出てきて、
「また3番目とはねぇ・・君も変わらないな・・・・」
というのを聞き、ループ展開に驚くとともにこう思いました。
「またデビルマンとはねぇ・・庵野監督も変わらないな・・??」
今回は、このあたりを検討したいと思います。
庵野監督は、TV版のエヴァンゲリオン公開時に、あの作品が元ネタだ、この作品が元ネタだ、と非難された時にこう言っています。
「人間にオリジナルなんてない。…僕みたいにアニメやマンガしか見ていないと、そこから思い付いたものをパッとやった時には、思い付いたものはただ自分の中で忘れていたもので、必ず何か元ネタがあるんですよ。…ちょっと嫌な気がする」(スキゾ・エヴァンゲリオン)
というわけで、まずは元ネタの点検からはじめましょう。
0.アニメにおけるループ展開
SF系アニメにおいて、ループは珍しいものでは必ずしもありません。
有名なところでは、手塚治虫の「火の鳥」や、ドラえもんですら「のび太と鉄人兵団」などがあります。
最近では、まどかマギカなど。
しかし、エヴァンゲリオンにおけるループで特徴的なのは、エヴァに直接的に大きな影響を与えている作品群が、もともと全てループ設定をとっていることです。
となると、エヴァは、それらの作品と同じループをとるのか、異なるループを見せられるのかということが、強い興味をひきます。
ここで言っている作品群とは、具体的には、デビルマン、マジンガーZ、イデオンなどです。
ただ、ループといっても、次元がいろいろ異なります。
1.生命体としてのループ
イデオンの場合は、ループの次元はあくまでも生命のレベルでした。
もちろん、生命としてのループとなると、個人や自我は消滅しています。
あくまでも、生命そのものが、やり直しとなるわけです。
これは、「THE END OF EVANGELION」のありえた展開のひとつだったかもしれません。
もし、シンジが、自立を希望を希望せず、ゼーレの補完計画か、ゲンドウの補完計画で終わったら、そういう展開だったでしょう。
LCLの海から、また生命のやり直しが始まる(これはイデオン映画版)、とか、エヴァという一つの生命体としてやっていくという展開です(これは、イデオンというマシンそのものです)。
なお、このイデオンのループについて、庵野監督は、「バカは死ななきゃなおらないってことですよね」とコメントしていたと思います。
新劇場版が、万が一バッドエンドになった場合は、これらの展開の復活もありえます。
なお、イデオンとエヴァとの比較については、私が書いたエヴァンゲリオンとイデオンも参考にどうぞ。
2.個体としてのループ
登場キャラやストーリーに継続性があるループです。
エヴァの新劇場版は、この流れです。
この点については、永井豪作品(デビルマン、マジンガーZなど)の類似が際立ちます。
可能性A 天使である美少年キャラが主役を助けるためのループ
エヴァとデビルマンの相似性は、昔から指摘されていました。
「結局、デビルマンから離れられないと思うんです。でもしようがない。」(庵野監督 スキゾ・エヴァンゲリオンより)
とくに、THE END OF EVANGELIONのアスカがやられるシーンは、庵野監督自身が、「本当は弐号機の頭を槍で串刺しにするつもりだったが、あまりにデビルマンそっくりでやめた」という主旨のことを言っています。(デビルマン解体新書における対談より)
また、ラストの浜辺のシーンも似ています。
さて、世界がほろんだはずのデビルマンの物語は、その後、バイオレンスジャックという別作品に、後付けで展開します。
この時のロジックは、
天使である美少年キャラ(デビルマンで言うと飛鳥了)が、自分の所業を激しく後悔し、一度滅んだ世界を、再創造したというものでした。
エヴァでこの展開を行う場合は、もちろん、カヲルがキーになります。
序と破を見ている限り、カヲルだけがループを認識しているように見えるところからも、この可能性はあります。
Qでカヲルがまた死んだことにより、確かに可能性は減少しました。
しかし、デビルマンで主要キャラかつ天使で、世界の再創造を行った飛鳥涼が、その無意識的な自虐のあまり、罰として、再創造後の世界では、自分を裸で鎖につながれた犬として再生させたように、カヲルが何らかの理由で何度も死を選ぶループということも考えられます。(自虐ではなく、Qのように、望むような解決に達しなかったためなど)
また、新劇場版では、カヲルが、それを何度も繰り返しているとも考えられます。
カヲルが月にいたシーンで、複数の棺のようなものがあるからです。
もし、カヲルが、何度もシンジを救うために世界の再生を行っているとすると、デビルマンというよりは、後発ですが、まどかマギカの方が近いですね。
可能性B 神の力を得た主人公によるループ
THE END OF EVANGELIONでは、最後、世界がどうなるか、また、人がヒトとして姿を取り戻せるかは、神の力を得たシンジの決断に委ねられました。
そこから考えられるひとつの可能性は、シンジ自身による世界のループです。
やはりエヴァンゲリオンが大きな影響を受けている作品に、マジンガーZがあります。
そのマジンガーZのリメイクがマジンサーガです。
これは、エヴァ制作の数年前に書かれ、庵野監督も完結を願っていた作品ですが、結局未完のまま終了しています。
この作品がどれだけエヴァに影響を与えているかといえば、マシンを動かす理論である「シンクロ」というエヴァを代表するキーワードも、マジンサーガが先に使用していたことからもわかるでしょう。
もっとも、エヴァにおけるマシンとのシンクロは、母が融合したマシンと子供とのシンクロであり、マジンサーガにおけるシンクロは、ユングの共時性理論に基づくもの(こころと物体の偶然の一致)ですが。
それはともかく、父の作った、神にも悪魔にもなれるマシンに乗る点は、どちらの作品も一緒です。
また、不死を手にいれた謎の敵の登場(エヴァでは生命の実を食べた使徒、マジンサーガでは機械化したマシン獣)も一緒です。
そして、更にマジンサーガでは、主人公が、巨大な力を発動させたばかりに、世界が滅亡に瀕し、主人公は激しく後悔します。この展開も、新劇場版の破におけるサードインパクトから、Qにおけるシンジの自己嫌悪と同じ展開です。
さて、では、世界の滅亡後、マシンサーガではどうなったでしょうか。
部隊は未来の火星へと移り、そこで、また、かつての地球と同じような光景が展開されます。
作品が未完だったため、この点の説明はないのですが、おそらく、神の力を得た主人公が、無意識のうちに、人類を再生あるいは移転させたと思われます。
シンジも、一度は神のごとき力を手にしたわけですから、そのさいに人類の再生をさせたということにすれば、同じ展開になります。
3.エヴァTV放映時におけるループの想定
ここで視点を変えて、エヴァのもともとの企画におけるループを考えてみましょう。
TV版でも、旧劇場版でも、エヴァはある程度ループ案が想定されていたと思います。
例えば、旧劇場版の「シト新生」の時のテーマソングは、「魂のルフラン」であり、魂と奇跡の繰り返しが歌われていました。
また、タイトルが「シト新生」というのも、要するに「死と新生」であり、サブタイトル通りDEATH&REBIRTHがテーマだったのでしょう。
「THE END OF EVANGELION」においては、サブタイトルも、テーマソングも無くなりました。
検討過程でループ案は見送られたのでしょう。
では、もともとは、どのようなループ案が想定されていたのでしょうか。
エヴァのTV放映時の設定だと、最終話のあたりは、月が舞台になっていました。
だからこそ、「FLY ME TO THE MOON」がエンディングテーマなのです。
最強のシトが月から現れます。
このあたりの設定は、新劇場版でも、破の最後にカヲルが月から降臨するなど、面影程度に残っています。
そして、最終話のタイトルは、「たった一つの冴えたやり方」。(SF小説に同じ題のがありますが、名前を使っているだけで話は関係ないでしょう)
おそらく、最強のシトに太刀打ちできなくなったネルフが、ひとつだけ方法を考えたということでしょう。
この時の検討案は、「ラストに最後のシトと月面で戦うシーンがあって。それで、何年かしたら、その月の表面にメッセージが書かれているというような、「トップを狙え」みたいなイメージかなあと皆で話していたんですよ。」(貞本氏 スキゾ・エヴァンゲリオンより)
ここで補足すると、何年というのは、数年ではなく、おそらく数万年、数億年の話だと面います。
なぜなら、「トップを狙え」が12000年後だからです。
さて、月で戦い、何年後(数千から数億年)に月にメッセージが浮かぶ・・・ループする作品・・・
知っている人は知っていますね。
手塚治虫の名作「ノーマン」です。
エヴァの設定に影響を与えているSF作品のひとつであると思われる「星を継ぐ者」のストーリー(月経由で人類の祖先が地球に来る)も合わせて考えると、最強のシトに勝てなかったネルフは、最後の手段として、何らかの方法(トップをねらえでは、ブラックホール爆弾が使われていましたが・・)で過去の月にヒト(おそらくアスカとシンジ)を送り込み、使徒が発生しないようにし、シンジとアスカは、アダムとエヴァとして記憶される、人類の祖先になり・・数十億年後の20世紀末に月にメッセージが出る、みたいな話だったかもしれません。
あるいは、逆に、ずっと未来の月にエヴァを送り込む話だったかもしれません。
→いずれにせよ、このあたりの考察は完全に私の妄想なので、真に受けないでください。
4.一般的な人間による元ネタの超え方
一般的には、元ネタをベースにした人間のオリジナルストーリーの開発は、キャラの変更か、役割の変更、結末の変更(成功/失敗)などに収まるようです。
この点については、レヴィ・ストロースの物語変換式を用いたエヴァストーリーの分析を参照ください。
(意味不明でしょうが・・)
5.庵野監督による元ネタの超え方
さて、デビルマン、マジンサーガ、イデオン等、エヴァンゲリオンの元ネタにおけるループ設定をここまで確認してきました。
では、庵野監督は、元ネタを超えようとするとき、どうするのでしょうか。
「自分の気持ちというものをフィルムに定着させてみたい、と感じ、考えた作品です。
だがしかし、我々と作品世界のシンクロを目指した以上、当たり前のことなのです。
「それすらも模造である」というリスクを背負ってでも、今はこの方法論で作るしかないのです。
私たちの「オリジナル」は、その場所にしかないのですから…」(コミック1巻より)
TV版でとられた方法論が、自分自身と作品をシンクロさせ、自分自身を表現することで、作品をオリジナルなものにすることでした。エヴァ特有のテーマ設定や世界観、精神描写はこの方法から来ています。
この点についての考察は、エヴァンゲリオンのオリジナルについてを参照ください。
6.最後に
書いていて途中で力尽き、4章からはメモ程度になりました。
いろいろ書きましたが、言いたいことはひとつだけで、「デビルマンでもイデオンでも、マジンサーガでもないような(もちろん、まどかマギカでもないような)オリジナルなループを期待する!」ということだけです。
いままでの元ネタ(言い方悪いですね。偉大な先行諸作品)におけるループ設定を認識した上で、それを超えたループへの興味を、皆様と共有できたら幸いです。