新劇場版ヱヴァンゲリヲンQにおける各プレイヤーの狙いについて

 
大幅にストーリーが変更となったQですが、まずは、旧作と変更がない点から確認していきましょう。


1.各プレイヤーの目指す方向は変わっていない

まず、エヴァの基本ストーリーは変わっていないと思います。

簡単に言うと、アダムやエヴァという言葉からもわかるように、ユダヤ教やキリスト教のなかの創世記の神話をもとにしたストーリーです。

そのへんについては、旧作向けにまとめた
エヴァ・ストーリー解題

を参照してください。

簡単に言うと、理解するのに必要な神話上の知識は以下となります。
知恵の実・・聞いたことありますよね?エデンの園で、神が禁じたにもかかわらず、エヴァ(イブ)が、アダムにあげたリンゴのようなもので、食べると知性がつきます。


生命の実・・こちらは聞いたことないですよね。旧約聖書の創世記を読めば、のっていますが、不死になれます。

そして、
知恵の実生命の実を両方食べれば神と同等になれるというものです。

ヒトが神になるのを防ぐために、神がつかわすのが、ANGEL(エヴァで言うと
シト)となります。

だからこそ、シトを倒して、人間が神になろうとするのか、あるいは、神にあやまって、昔の状態に戻ろうとするのかという選択が生まれます。

うーむ・・・・知恵の実とか生命の実とかいうと、まるで
ワンピースみたいな物語かと誤解を与えてしまいそうですね・・・・

ちょっと深い話になりますが、もう少し説明を追加します。


例えば、
知恵の実というのには、エヴァにおいては、複数の意味がかけてあります。

宗教、神話ベースに言うと、先ほど書きましたように、人間が神を裏切って知恵を獲得したことをさします。・・・伝説では、人間は、知恵をつけた初めて自分達が裸であることに気づき、恥ずかしくて葉っぱで体を隠したそうです。それが、ネルフマークに使われています。



では、知恵を獲得するということはどういうことでしょうか?

別に神話を持ち出さなくても、誰でも、生まれてから成長する過程において、知恵を獲得し、自我が芽生えますね。

そう考えると、実は、一人ひとりの精神的な成長のことを表現しているとも考えられます。

すると、知恵を獲得するということは、個人の成長と自立の象徴です。ここで、自立して成長するのか、それとも、逆にそれを嫌がって逃避し、自我の誕生前の幸せな(?)赤ちゃん状態に戻るのかという選択肢があります。


つまり、心の問題として捉えると、自立するのか、自立を拒否し、母親への胎内回帰を望むのかということです。
・・・・これは、母のお腹に入って羊水(LCL)につかって戦う、母からの自立というエヴァのテーマともリンクします。

さて、今度は視点を人類におきます。進化の過程において、人類はどうやって知恵をつけたのでしょうか。
進化論だけでいけるのか、それとも、別な要素があったのか・・

ここでは、エヴァでは、とくに今回のQで明確にされたことですが、
人類に知恵を与えたのは、別種族であるゼーレだという設定をとっております。

前作までは、ゼーレも、一般の人類みたいだったのですが(といっても、旧作映画のラストでキールが解けた時、骨(?)の形状が異なっていたように、設定上はあったのでしょう。また、もともとエヴァTV版の企画資料にも、第二始祖民族という言葉もありましたので、一般の人類に知恵を与えた、より高次な人種(宇宙人?)の存在は、前からほのめかされてはいました)。

そして、ゼーレが人類に知恵を与えた種族であるということは、何よりも、形状が物語っておりました。

私も恥ずかしながら、今回の映画を見るまでこの形状の意味に気づいておりませんでした。
左がゼーレ。右が映画2001年宇宙の旅に出てくるモノリスです。
なぜ、ゼーレの表現が、モノリスなのか。




それは、ゼーレが人間に知恵を与えた種族という意味だったようです。
ご存知ない方のために言うと
、2001年宇宙の旅という有名な映画がありまして、そこで、モノリスというこの板が登場します。

これは、霊長類(サル)が触れると、知恵がつくという、人類の進化を促す仕組みになっております。

ゼーレがモノリスの形状なのは、ゼーレが別種族で、人類に知恵を与えたということを、TV版当時からわかりやすく視聴者に伝えていたんですねー。17年前に気づくべきでした・・・・・って全然わかりやすくないけど。


ともかく、今度の映画Qで、ゼーレと、一般の人類(リリンと呼ばれる)とは、明確に別人種だということになりました(ゲンドウがリリンの代表と言われています)。





その結果、
ゼーレとゲンドウのシナリオは両立が可能となったようです。

以前は、ゼーレも人類と同じだったため、ゼーレは、最終的には、世界全ての人を巻き込んで、ガフの部屋に帰ろうとしました。

ガフの部屋とは、これもユダヤの神話から来た言葉ですが、生まれる前に魂がいるところです。

このガフの部屋に帰るということはどういうことかというと、

いくつかの意味がかけてあって、

宗教、神話ベースに言うと、神から追放されたエデンの園に帰るということ・・・だからロンギヌスの槍で神の子を刺し、贖罪の儀式を行うことが、必要なのです。

精神分析的に言うと、母親への胎内回帰願望のこと
・・・・これは、母のお腹に入って羊水(LCL)につかって戦う、母からの自立というエヴァのテーマともリンクします

SF設定でいうと、ゼーレが別な惑星から地球にやって来たもとの場所への回帰ということ
・・白き月、黒き月の設定と合わせて考えると、この点では、「2001年宇宙の旅」というよりは、「星を継ぐ者」ですね。どちらもSFの古典的名作です。


解釈がいろいろ可能で、わけわからない方もいるかもしれませんが、多様な解釈ができるように作られている点がエヴァンゲリオンの特徴なので、その人にとって納得しやすい解釈で理解すれば良いかと思います。

庵野監督の言葉「エヴァは鏡のような作りになっています。見る人見る人で、その人の興味によって、みたい話が見えてくる。」・・スキゾ・エヴァンゲリオンより、うろ覚えの抜粋(後で修正します)


ともかく、ゼーレと人類は別物となったので、ゼーレは、自分達だけでもガフの部屋に帰れればOKなようです。

ゲンドウと冬月は、本音では相変わらずユイに会いたいだけでしょうから、ゼーレはガフに帰り、ゲンドウはユイと会うという、両者のシナリオの両立も双方とも認めている展開がありえます。

一方、ミサト達は、旧作でもある程度それらの狙いに気づいていましたが、サードインパクトを機に明確に反旗をひるがえしたということでしょう。


以下、つづく・・




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