ATフィールドがどのような理論的構造を持っているのかを考えてみます。
それを考えることは、当然アンチATフィールドの考察も兼ねることであり、それはまた、何故アンチATフィールドが形而下したことにより、人々の身体が溶けていくのか、また、溶けた段階からどうして復活ができたのかを考えることでもあります。ここでは、逆の方向から、つまり、何故人が溶けたり復活したりするのかという点から、まずはじめてみたいと思います。
<身体が溶けてゆく原理>
エヴァにおいて、身体が溶けてゆくシーンは二度ほどあります。ひとつが20話であり、もうひとつがサードインパクトです。このような現象はなぜおきるのでしょうか。
20話においては、溶ける時に何が起きたのかはっきりしません。わかるのはシンクロ率400%ということだけです。しかし、サルベージ計画により「人のかたち」を取り戻そうとしたさい、
「旧エリアにデストルド反応。パターンセピア」
「コアパルスにも変化が見られます。プラス0.3を確認」
「現状維持を最優先、逆流を防いで」
「はい、プラス0.5、0.8。変です。せき止められません」
「これは、なぜ、帰りたくないの?シンジ君」
という会話からもわかるように、デストルド反応が現れて失敗しております(もちろん、最終的には予想とは異なる状況で復活するわけですが)。
このことから、人の形をとるさいに、デストルド反応がマイナス作用を及ぼしていることがわかります。
サードインパクトにおいては、
日向「デストルドが形而下されていきます。」
冬月「これ以上はパイロットの自我がもたんか」
青葉「ソレノイドグラフ反転。自我境界が弱体化していきます。」
日向「ATフィールドもパターンレッドへ」
青葉「リリスよりのアンチATフィールド、さらに拡大、物質化されます。」
日向「アンチATフィールド、臨界点を突破」
青葉「だめです。このままでは、個体生命の形が維持できません」
というように、やはりデストルドが、人の形を失う前提になっていることがわかります。また、デストルド反応、自我境界弱体、アンチATフィールドといったものが全て同じ方向の現象であることも確認できます。
以上、20話およびサードインパクトの状況から、人の形を維持するのに失敗するときは、どちらもデストルド反応の影響があることがわかります。
<リビドーとデストルド>
ここで、デストルドとは何か、一応確認しましょう。これは、フロイト後期の概念がもとになっております(このへんは、用語の名称上、概念上の問題がいろいろあるのですが、ここでは扱いません。そのへんは「フロイトによるエヴァンゲリオン」(現在作成中)をお読みください。)
フロイトは、人間の精神には二つの根本的な本能が存在すると考えていました。
リビドー・・生の欲望(性の、もしくは結びつける欲望でもある)
デストルド・・死の欲望(攻撃、破壊、分解の欲望でもある)
この二つの本能が生物にはあらかじめ存在し、このせめぎあいの中で人は生きていると考えているわけです。
さて、では、デストルドと呼ばれる死の欲望とは、どのような欲動でしょうか。これは、正確にいうと、死にたいという欲動ではなく、かつての状態に戻りたい、できるだけ早期の状態に帰りたいという欲動のことです。生命体にとってのもっとも古い状態とは、生命体が生まれる以前(細胞が結合しない状態、さらには、分子が結合する以前)の状態だろうということで、死の欲動とも呼ばれるわけです。
このように考えると、20話においてもサードインパクトにおいても、なぜ溶けた人が「原始地球の海水に似た生命のスープ」になってしまうのかわかります。デストルドにより、生命体にとっての原始状態にもどったわけです。
では、なぜ人は自分の形を維持しているのでしょうか。これは、リビドーによるものです。リビドーとは、後期フロイトにおいては、分子と分子、細胞と細胞、人と人の結びつく力(性)であり、生物がいきていこうとする力そのものです。
20話において、日向の見ているディスプレイ上に、「リビドー、デストルドー」の2軸があったことを思い出してください。サルベージ計画とは、デストルドーにより生命のスープに戻ったシンジを、リビドーの力により人の形に戻す作業だったのです。
参考までに、エロス、タナトスという言い方もリビドー、デストルドーと同義です。「THE END OF EVANGELION」ではタナトスが主題歌であったことからもわかるようにエロスとタナトスが作品テーマとなっております。これについては「シンジは、なぜアスカの首をしめたのか」を参照ください。
<身体が復活する原理>
いままでの話しを踏まえた上で、身体が復活する場面を考えてみます。
「ねえ、シンジ君」
「私と一つになりたい」
「心も身体もひとつになりたい」
「それは、とてもとても、気持ちいいことなのよ」
このシーンは、明らかに、それまでのシーンとは異質です。それまでは彼は父親へのコンプレックスなどと向かい合っていましたが、このシーンでは、イメージが一新します。この時点では、サルベージ計画は始まっていないことに注意してください。
では、なぜこのようなイメージに変わったのでしょうか。これは、31日目にして、ようやくシンジのリビドーが復活しつつあることを示しているのです。リビドーとは、結びつける力であり、性の力でもあることをおもいだしてください。リツコが、この日にサルベージ計画を遂行したのも、シンジの側に準備が整っているのが確認できたためです。
この後、サルベージ計画が始まるわけですが、その中で
「対象カテクシス、異常なし」
「デストルド反応見られません」
というセリフがあります。対象カテクシスとは、リビドーやデストルドの対象への充当のされかたのことです。ここで、対象とは、自我との対比で使われます。つまり、シンジの、自分以外の外部に対しての関心のあり方には、異常はないということです。また、デストルド反応が見られないということは、彼は、このまま無に帰ってしまうことを願ってはいないということがわかります。
救出する条件は整っているわけです。
サルベージ計画の詳細は、ここでは省きます。<サルベージ計画>参照。
さて、サルベージは失敗に終わりますが、シンジは、「もういちど、会いたいと思ったから」戻ることを決めます。
そのとき、赤ん坊としてのシンジが、ユイから出産されるイメージに戻っていることに注意してください。そして、生まれる瞬間、母の胸にだかれ、授乳されているイメージがうかびあがります。これが、決定的な瞬間です(強調のため画面もわざわざスケッチ風になりました。)
授乳というものは、幼児にとっては、栄養をとるためのものであると同時に、最初の性の欲動の表現でもあります(それが後に指しゃぶりにつながります)。生の欲動であり、性の欲動でもあるリビドーの、開始点であるのが、授乳なのです。
なお、この時期のことを、口唇期(oral stage)とよびます。性的快感が口にある段階という意味です。20話のサブタイトルがoral stageであるのは、このことをあらわしています。つまり、このシーンは、シンジにとってのリビドーの発生を描いているわけです。この直後、シンジは再生します。
さて、リツコは20話冒頭で、「自我境界線を失った状態」とシンジのことを説明しております。また、先ほども確認しましたように、デストルド反応がシンジのサルベージを失敗させました。それに対し、この場面では、シンジはリビドーの発生により、自我境界を取り戻しました。また、もちろん、ATフィールドも取り戻しているのでしょう。
以上より、
リビドー・・自我境界を形作る力でもある。
デストルドー・・自我境界をなくして原始に帰る力でもある。
ということが確認できます。
もう少し正確にこのメカニズムを言うと、リビドーが自我に向かえば、自我境界も形作られ、デストルドーが自我を攻撃し、崩壊させると、自我境界も失われるのです。(詳細は、「フロイトによるエヴァンゲリオン」参照。現在作成中)
<ATフィールドの原理>
シンジの復活(自我境界の復活)は、ATフィールド(心の壁)を取り戻したことでもありますから、以下のようにも推測できます。
リビドー・・ATフィールドの原動力
デストルドー・・アンチATフィールドの原動力
これを確認するために、もう一度サードインパクトに戻りますと、
日向「デストルドが形而下されていきます。」
冬月「これ以上はパイロットの自我がもたんか」
青葉「ソレノイドグラフ反転。自我境界が弱体化していきます。」
日向「ATフィールドもパターンレッドへ」
青葉「リリスよりのアンチATフィールド、さらに拡大、物質化されます。」
日向「アンチATフィールド、臨界点を突破」
青葉「だめです。このままでは、個体生命の形が維持できません」
デストルドにより自我境界が失われ、ATフィールドに変化がおき、アンチATフィールドが発生しているのがわかります。アンチATフィールドを発生させているのはリリスですが、
ユイ「今のレイは、あなたの願いそのものなのよ」
レイ「何を願うの」
といったあたりから、結局はシンジのデストルドが自分の自我を崩壊させたことがアンチATフィールドの発生を引き起こしていることがわかります。
また、デストルドの極限状態、全てが一つになった状態において、シンジとレイは一つになっており、性的な結合を表しています。これは、レイが人類という種の母であることを考えると、母との原初的一体感を表しており、20話における、シンジの授乳シーンと同じ意味を持ちます。つまり、リビドーの現れです。
レイ「他人の存在を今一度望めば、再び、心の壁が、全ての人々を引き離すわ」
レイ「また、他人の恐怖が始まるのよ」
シンジ「いいんだ」
この、性的結合状態(リビドーの覚醒)において、ATフィールドの発生が描かれるのは偶然ではありません。20話同様に、リビドーがATフィールドの原動力なのです。
<まとめ>
20話およびサードインパクトより、
リビドー(生への欲動)・・自我境界を形作るものであり、ATフィールドの原動力
デストルドー(破壊、死への欲動)・・自我境界を失わせるものであり、アンチATフィールドの原動力
であるといえます。
別な言い方をすると、人にはリビドーとデストルドーという二つの欲動が存在し、このふたつのせめぎあいの中で人の自我も、ATフィールドも成り立っております。リビドーにより、自我は存在しますが、デストルドーが強いと自我は破壊され、自我境界を失い、無へと還ります。
また、ひとりひとりがもっている自我により、個人はそれぞれ、他人と区別された個人として存在し、自分でいることができるのです。そして、一人一人の個人には、自分自身と、他人に対するリビドーとデストルドーが渦巻いております。この、個人と個人との間にある、
ユイ「人の間にある、形もなく、目にも見えないものが、」
カヲル「誰もが持っている心の壁」であるATフィールドであり、
レイ「怖くて心を閉じるしかなかったのね。」絶対恐怖空間(Absolute Terror Field)です。
ヒトそれぞれがもつリビドー、デストルドーの境目がATフィールドであるのです。
<参考1>
生への意志(アスカの場合)
25話において、
アスカ「死ぬのはイヤ、死ぬのはイヤ、死ぬのはイヤ、死ぬのはイヤ、死ぬのはイヤ・・・・・」
母「まだ、生きていなさい」
「まだ、死んではダメよ」
「殺さないわ」
「まだ、死なせないわ」
「死んでちょうだい。一緒に」
アスカ「死ぬのはイヤ」
アスカ、復活
「ママ、ここにいたのね。」
「ママ、わかったわ、ATフィールドの意味」
「私を護ってくれる。私をみてくれる。ずっと一緒だったのね。ママ」
アスカが復活したのは母の存在を感じたことによると思われますが、なぜ、ここでATフィールドの意味が理解できたのでしょうか。
その直前のセリフは、アスカの生死について様々な事を言っております。それに対し、アスカは、「死ぬのはイヤ」という言葉で答えます。
つまり、ATフィールドとは、生きる意志そのものの力(リビドー)でもあるわけです。
生への本能に形作られた領域、これこそ、カヲルの言う「聖なる領域」です。
死への本能(レイの場合)
TV版25話における、レイの会話。
レイ1「自分だけ、の世界もなくなるの」
レイ1「怖いでしょ?」
レイ1「自分が消えるのよ」
レイ1「怖いでしょ?」
レイ3「いえ、うれしいわ」
レイ3「私は死にたいもの」
レイ3「欲しいものは絶望」
レイ3「無へと還りたいの」
これこそは、まさしく死への本能(デストルドー)です。映画版では、このセリフそのものはなくなった変わりに、「タナトス(死への本能・・デストルドーとほぼ同義)」と「甘き死よ来たれ」の2曲により、レイの、自己崩壊への気持ちが表現されていました。全てを無に帰す時、これらの曲とともに、アンチATフィールドが世界をおおいました。
<参考2>
上記の結論を基にして、以下の内容を作成中です。
興味のある方はお読みください。
・サルベージ計画
・シトのATフィールドとコア