ボトムズ雑感



1.ボトムズ雑感
ガンダムブームが終わりに向かうとともに、人々のガンダム熱は一気に冷めていった。

そんな中で現れたのが、高橋良輔監督作品「太陽の牙ダグラム」であった。

私も含め、ガンダムファンのごく(?)一部は、そのままダグラムファンに移行した。

ダグラムは、ガンダムよりも、よりリアルなロボット造形であり、ずっと複雑な政治的ストーリーを背景にしていた。

主題歌もかっこ良かったし、戦闘シーンも良かった。

デュアル・モデルというおもちゃも販売され、プラモにはない質感の良さに、ダグラムという物語の質感にあった感触を覚えた。


しかし・・・ダグラムの物語自体は全般に地味な展開であり、話が込みいっていたせいもあり、最初は見ていた友人達も、やがて見なくなっていった。

私も、途中で、残念ながら離脱した。
飽きてしまったのだろう。

だが、ダグラムへの愛着はあり、たまにデュアル・マガジンなど見ては、物語の展開を確認などしたものである。


そんなある日、予想外に長く続いたダグラムに変わり、新しい作品の予告CMが始まった。
題名は「装甲騎兵ボトムズ」
「太陽の牙ダグラム」より更に地味な題名である。

そして、予告CMを見た。
「!! なんだ、この坊主頭の気持ち悪い裸の女が目を見開くCMは!!しかも、主人公も暗いし、画面全体が暗すぎる・・」

「これは・・とりあえず見るのはやめよう。」

「それにしても、予告編を見た人間を一目で見る気なくさせる番組というのも、初めてだなー。大胆だ。」

と変な感心をして、私のボトムズ第一印象は終わった。

実際、見なかったのである。


さて、しばらくして、友人の家に遊びに行った時、幼稚園だか小学生だか向きの雑誌が置いてあって、その巻頭では「ボトムズ宇宙へ!」と特集してあった。

「ウーム。気持ち悪くて中学生が見る気なくした作品を巻頭特集するとは、幼児向け雑誌も何考えてんだか・・」と思った。


またしばらくして、今度はたまたまテレビをつけた時、ボトムズがやっていた。
番組の終わりの方だった。

「あー、あの番組か。見るのは初めてだなー、そういえば」と思いながら何となく見ていた。

惑星サンサで、キリコとフィアナが砂漠で逃避行の話であった。

「私を置いて行って・・」とフィアナが言うのを聞いて、
「なんて、よくありがちなシチュエーションなんだろう・・ここまでありふれた設定で、主人公はなんて返すのかな・・」と意地悪な関心を持って、注目した。

キリコ「冗談は言うな。俺は、くそ真面目な男だ」

この答えは、私が想像したどのような返事とも異なっていた。

そして、この瞬間から、私はボトムズに引き込まれたのだと思う。

かっこいいロボット。音楽。独特の雰囲気を持った絵。
何よりも、特徴的な主人公キリコ。

放送が終わる頃には、虜になっていたと思う。

その後、長い間、私の頭の中では、つらい時期には常にレッドショルダーのマーチが鳴り響き、嫌なことがあれば「さだめとあれば、心を決める。そっとしておいてくれ。明日に、ああ、つながる今日ぐらい。」という歌が流れた。

実際、ボトムズは、様々な局面で心の支えになっていたのだと思う。

中学生、高校生というのは、自分の自由がきかない年齢である。
それが、抑圧され、軍隊に縛られ、いびられるキリコと自分とをダブらせたのだろう。

ボトムズというのは、パイロットの服やマスクをつけると、主人公でさえ、脇役同様、見分けがつかなくなる。

そのへんが、中学、高校と、全員同じ学生服を着せられていた自分に身近に感じられた点もあったと思う。

そして、私にとっては、ボトムズは2重の意味で、最も美しい物語であった。

ひとつは、戦争の極致から誕生した新人類であるキリコと、人工的に作られた戦闘機械のフィアナという、2人の人類史的な恋愛物語として。

もうひとつは、顔の見えない兵士であったキリコが、仲間を作り、最後には神殺しから戦争の拒否へといたる、人間疎外からの脱却と、価値観の創造の物語として。


ボトムズという作品は、私にとってはまさに「この世の光とともにまぶしく、あの日の、あなたが」という言葉通りであった。


もちろん、多くの人同様、ATやPS、バトリングにもひかれ、ボードゲーム買ったり、デュアル・マガジンに連載していた「青の騎士ベルゼルガ」を熱中して読んだりしていたものである。


さて、いつしか時は流れ、何かのタイミングでOVAを見た。

しかし、そこで描かれていたのは、私が感じていたボトムズとは違っていた。

キリコは、異能生存体であり、ほぼ不死という設定である。

これは、中学・高校と、抑圧されるキリコに自分をダブらせ、レッドショルダーと学校を同一視していた人間にとっては、許せない変更であった。

変な例えだが、「北斗の拳」において、さんざんケンシロウの修行時代や凄絶な戦いを描いておきながら、かなり後になって(カイオウ戦)、ケンシロウには実は北斗宗家の血が流れていて、負けてもオーラが身をまもって無敵で不死身、という設定が出てきたときの怒りに似ていた。

さらに、キリコが遺伝子操作で生まれた可能性を感じさせるに至っては、せっかくの人類進化の壮大な物語が、単なる強化人間(by Zガンダム)のアイデンティティの問題になり下がってしまう・・と危機感を覚えた。

実際、強化人間という設定は、本来はフィアナやイプシロンをZガンダムが真似た面があったと思うのだが、OVAでのキリコは、むしろムラサメ研究所で作られたZガンダムのフォウ・ムラサメに近づいていた。

なぜ、人類進化を兼ねた恋愛ものという美しい物語が、矮小化されてきたのかと思った。

戦争によって生まれた新しい人間(もしくは神?)と、戦争のために作られた戦闘機械の純愛ものなら、世界的に見たってオリジナリティ抜群の美しい話なのに・・

なお、ついでに言うと、OVAのもうひとつの問題点は、レッドショルダーが、主要キャラ以外はザコになってしまったことである。


さらに後、赫奕たる異端」に至っては、恋愛物語としての美しさも終わりをつげたようであった。
ビデオを貸してくれた友人が、「見ないほうがいいよ」と言っていたのを思い出す。

この作品も、ヴァチカンネタを使ったとても面白い作品なのだが、なんといってもフィアナが・・の一言につきる。それさえ無ければ、私はこの作品を強く支持する(キリコが相変わらず異能生存体なのも問題だが・・まあ、この作品の責任ではないだろう。)



ここにいたり、私は、ボトムズへの期待はこれ以上持たない方がいいと感じるようになり、何度か考えたホームページ作成もやめることにした。


さて、さらに時は流れ、2005年に入る頃から、なぜか、ボトムズがよく目につくようになってきた。
雑誌でも特集しているのを見かけることがある。

予兆は、かすかにあった。
高橋良輔監督すら気づいていなかったようだが、スーファミ時代は1作しか作られなかったボトムズのゲームが、プレイステーションになってから4〜5本作られていたのである。

リアルタイムで放映していた時の数倍のゲーム製作量。

そして、いよいよボトムズ続編という、何度も聞いた噂が信憑性を増してきたように思えた。
ここに至り、ボトムズの美しい世界について、自分でも何か書きたいという欲求が抑えきれぬものとなり、とうとうホームページを開設することとした。

これには、ボトムズの世界が、これ以上変質化しないように、ボトムズの私なりの解釈を世に問おうという意図もある。
そういう意図で書いたのが、ボトムズ論である。

一方、15年以上前に製作されたOVAの悪口をいつまでも言っていてもしょうがないので、前向きに考えようと思って書き始めたのが、ボトムズにおける神についてである。

ともかく、何といっても今は、続編の噂が現実となることを願うのみである。


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