ボトムズにおける神について(序論)




ボトムズにおける神の問題を考察する。
まずは、序論として、ボトムズにおける神の問題が何を主題としているのかを考察する。
ボトムズには、おおまかにいって3つの流れがある(言うまでもなく、一部重なり合っている)。


@キリコの生誕からペールゼン死亡まで
ペールゼンが異能生存体としてのキリコを見出してから、レッドショルダーを創設し、復讐によって殺害されるまで。

(参考)OVA「野望のルーツ」「ラスト・レッドショルダー」



Aワイズマンの破壊
ワイズマンの後継者となるはずだったキリコが、ワイズマンを破壊するまで。

(参考)TVシリーズ


B法王との戦い
宗教結社マーティアルと「触れ得ざる者」キリコの戦い。

(参考)OVA「赫奕たる異端」


以下、この3つの戦いの物語が、神の問題としては同一テーマを扱っていることを示す。


@キリコの生誕からペールゼン死亡まで:創造神になろうとした男と「異能生存体」の対決

ペールゼンは、レッドショルダーの創設者である。
彼は、最強の戦士による吸血部隊レッドショルダーを創設したが、キリコを見たことにより、訓練された兵士による軍隊では限界があることに気づき、異能生存体の研究に打ち込む。

つまり、不死身の軍隊の研究である。

しかし、彼は、そのテーマにとって重要なサンプルであったキリコに暴動を起こされ、異能生存体の追及の方向を変える。

ペールゼン「私は、半生をかけてレッドショルダーという部隊を育て上げた。
ほぼ満足のいくものが完成した。
考え得る最強の戦闘組織・・しかし、その成果も、たった一人の男の出現によって色あせた。

<彼>は私によってではなく、自然によって生み出された。
二百五十億分の一という発生確率・・異能生存体として」



彼は、自分の考える最強の軍隊という夢を砕いたキリコの存在から、創造神としての神への嫉妬を感じる。

描写数は少なく、この点わかりづらいなので、小説版における地の文を参考にあげる。

「ペールゼンは、自身の理想と信念を賭けて戦った。それはいわば創造神にたいする嫉妬だったのかもしれない。」

創造神に嫉妬し、戦いを挑み続けた末の、それは(彼の夢は)最終的な方法だったのかもしれない。」

そして、彼が夢見たのは、プロトワン、イプシロンという2人のパーフェクト・ソルジャーによる愛の楽園創造および、その子孫の誕生であった。

ペールゼン「広くはないが、完結した小宇宙だ。私はここで誕生を見たい。感情のない殺人装置、完璧なメカニズムではない。私が望んでいるのは・・いわば、超人だ」

「理解できなくともいい。君(フィアナ)とイプシロンが幸せであれば」
「イプシロンを愛してやってくれ」


「私は彼女と第二のPSのためにこの小宇宙を築いたのだ。下界から完全に遮断された楽園で、二人は純粋に育ちつつある。彼はフィアナを愛している。そして彼女もまた・・二人は愛し合っている。
そして私は、やがて誕生する次世代のPSを見ることになるのだ。お前に、これ以上邪魔はさせん!」




つまり、当初はレッド・ショルダーに命をかけていたのが、最後には、自らが楽園の創造、新しい男女による子孫の誕生というように、創造主と張り合おうとしているかのようである。

彼はキリコを殺すことにより、自らの野望の達成を確認しようとするが、キリコ及び彼の仲間達により、夢は破れ、死ぬこととなる。



Aワイズマン  世界を支配するものと「後継者」の対決
ワイズマンは、古代クエント星に生まれた異能者たちの意識の集合体である。
肉体はとうに失われているものの、神として宇宙に君臨し、戦争をふくめ、世界を操ってきた。

そして、キリコに対し、彼が、生まれついてのパーフェクト・ソルジャーであり、ワイズマンの後継者としてふさわしいことをあかす。

「俺はワイズマンの後継者。
彼の意志がそう決めたのだ。
俺の運命はどう開かれていくのか俺にはそれが見える。
俺は神の子なのだから」
(予告編より)


キリコは、ワイズマンに対し、後継者として接近するが、最終的にはワイズマンを破壊する。


*なお、ワイズマンについての詳細は本論で扱うため、ここでは踏み込まない。


B宗教結社マーティアル 法王と「触れえざる者」の対決

マーティアルという広大な宗教結社は、法王をトップとし、神の代理人として大きな権力を持っている。
この宗教結社の権威が、天国への門番であることからきているのは、「鍵」を象徴としていることからも明らかである。

新法王モンテウェルズは、「触れ得ざる者」キリコを排除しようとするが、敗れる。


*なお、マーティアルについての詳細は本論で扱うため、ここでは踏み込まない。




以上、見てきたように、ボトムズとは、神学的にいえば、神の権威を語る者と、神そのものの戦いである。


創造神になろうとした男と、本物の「異能生存体」との戦い

・古代クエントに発生した
ワイズマンの意識と、実存する「後継者」との戦い

・神の代理人である
法王と、「触れえざる者」との戦い



つまり、一方では、神の力を語る者がおり、世俗的に巨大な権力を持っている。
そこに、神そのものの素養を持つ者=キリコが現れ、その権威と衝突することになるのである。

ひとことで言えば、神を語ることで権力を握ろうとする者と、神そのものの戦いが、神学的な面での、装甲騎兵ボトムズを一貫して流れる主題である。


さて、このテーマは、ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」のある挿話の中で追求したテーマでもある。
テーマとしては非常に親近性が高いと思うので、紹介したい。



13世紀、教会は、宗教裁判を行い、異端者に対する弾圧を続けていた。

ある日、キリスト教を統括する立場にある枢機卿でもある大審問官は、「神のより大きな栄光のために」100人の異端者を広場で公開で焼き殺す。

しかし、ちょうどその時、キリストが(1200年ぶりに)降臨する。

キリストは、奇跡を行い、死者を復活させるが、大審問官は彼を犯罪者として逮捕する。

真夜中、神聖裁判所の牢の中にいるキリストに、大審問官は会いにくる。

そして、大審問官は、キリストを責め、彼に対して説教する。
大審問官は言う。
「お前は何もわかっていない!

自由にではなく、権威への服従にこそ、人間の恐ろしい苦悩からの救済がある。

お前は、人間世界を千年以上ほったらかしにした。

権威に服従させることで、人間の弱い精神を救おうと、教会こそが闘ってきたのだ」


「いったい何のためにお前は、今頃になって我々の邪魔をしにきたのだ!」


「我々の焚火に最もふさわしい者がいるとすれば、それはお前だ。
明日はお前を火炙りにしてやる!」

キリストは、キリスト教代表者の言葉を黙って聞いていたが、ふいに無言のまま大審問官に歩み寄り、彼にそっと接吻をする。

枢機卿は震えながら怒鳴る。

「出て行け!もう二度と来るなよ。絶対に来ちゃならんぞ!絶対にな!」

そして、キリストは夜の街に消えていく・・



神の名を語り、人間を服従させることで権力を手にすることを目指す組織と、神そのものの、絶対的な違い。


人間を、何者かに服従すべき存在としてみるのか、人間自体に価値を見出すかの違い。


奇しくも、小説版ファースト・レッドショルダーの最後に明かされるキリコのペールゼンへの言葉は、「たとえ神にだって・・俺は従わない」であった。


創造神になろうとした男と、本物の「異能生存体」との戦い

・古代クエントに発生した
ワイズマンの意識と、実存する「後継者」との戦い

・神の代理人である
法王と、「触れえざる者」との戦い


これらを通して装甲騎兵ボトムズで一貫して描かれたのは、神を語ることで人間を服従させ、権力を握ろうとする者と、決して服従しない者(神そのもの)との戦いであった。


つまり、 ボトムズにおける神の問題について定式化すると、以下のようにも言える。

神の名のもとに人々を支配する者と、神そのものの対決。
結果として、神が最初にやることは、神の名を語り、人々を服従させる組織と対決することである。


この点を確認することで、序論を終わりとし、本論にうつる。


本論、作成中。


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