カリオストロの城の真実

最終章 お姫様が国を捨てるとき


クラリスは、本来、もっとアクティブな女の子になるはずであった。

宮崎監督は、活発な少女クラリスを目立たせるため、不二子は出さない予定であった。

ところが、製作会社は、5分でもいいから不二子を出すように主張。

結局、不二子とクラリスが同じようにアクティブでは、クラリスに勝ち目はないため、不二子とかぶらないように、おとなしいキャラに変更された。

宮崎監督「あれは、作劇技術の問題でね。女性が2人出てくる時は同じような性格にはできないものですよ。どっちが魅力あるかっていったらクラリスより不二子の方が・・僕は・・。素っ裸でも機関銃撃って平気で走りまわる、さばけた所を持っている女でしょ。

要するに(クラリスは)位負けしますよ。そしたら、片一方は意固地なまでに、そういう事に無縁にするしかないですね。
それは宿命なんです。

不二子を出さなければ、もっと活発なお姫様にできるのだけど、不二子を5分間でも出してくれと興行的な要求があってね。そうすると、どう交通整理するかですよ。」(LUPIN THE THIRD VOL2より)



結果として、クラリスはとてもおとなしいお姫様となり、カリオストロ公国を出ることもなかった。


しかし、前章でも見たように、宮崎駿監督は、本当に、クラリスはあのラストで良かったのか、悩みがあった。

この想いは、共同脚本の山崎氏にも共通していた。

山崎氏「あそこで、何でとどまっているんだろうね、クラリスは。」という残念な想いであった。
(山崎氏は、宮崎監督とは異なり、どういう結末がまっていようと、すべてを捨ててルパンを追いかける、ひとりの女としてのクラリスの情熱と生き様を追求する続編が作りたかった。詳細は、山崎氏による続編構想について参照)


宮崎駿監督にとっては、無間地獄に落ちた汚れた中年男とクラリスの生活は考えられなかったが、クラリスがカリオストロ公国を出て行くべきではなかったかという思いはあった。

宮崎監督「たとえば、お姫さまの地位なんか放り出してしまえ、じゃ放り出す、というような会話もいるかなと思ったんですけど」


ともかく、これでルパンとクラリスの物語は終わりを告げた。



その2年後、たまたま見ていた本で、宮崎監督は、この「カリオストロの城」と全く同じ話を目撃する。


汚れた中年男で、大ぼら吹きで、ペテン師である、傷付いた旅人が倒れているところを、美しく、純粋な、力あふれる姫君が介抱する話である。


その物語は、まさにカリオストロの城の主題歌「炎の宝物」そのものであった。
「旅人の寒い心を、誰が抱いてあげるの、誰が夢をかなえてくれるの。炎と燃え上がる、私のこの愛、あなたにだけは、わかってほしい。絆で私をつつんで」

結局、その中年男は、姫君に癒され、様々な活躍をするが、姫君の心をうばったまま、自身も姫君に大いに未練を残しながらも、去っていかざるをえなくなる。

ここまでは、まさに「カリオストロの城」と同じである。

しかし、この物語では、その後が違った。

姫君は、なんと、男が出て行った後、みずからも、自分の国を捨てて出て行くのである!


宮崎駿監督が、クラリスにやらせたかったが、やれなかったことを、その少女はやっていた。

その少女の名前はナウシカと言う。

古代ギリシアの王女である。

(ちなみに、生き恥をさらしている中年の英雄はオディッセウス。古代ギリシアの最大の英雄であり、大泥棒の元祖(神)でもある。)


クラリスと異なり、自分の国を捨てた姫君ナウシカは、生涯結婚せず、最初の女性吟遊詩人となり、各地の宮廷をまわっては、英雄オデュセウスの歌を歌ったという。

この物語は、宮崎監督を魅了した。


これこそ、宮崎監督が、本当に望んでいた「カリオストロの城」ではないのか?

男に頼るでもなく、姫君の地位も投げ捨ててしまえるお姫様。


彼女は、同じ姫君ながらも、クラリスと異なり、自ら、自分の国を出て行く勇気と力強さを持っている。


これが、風の谷の姫君である、「風の谷のナウシカ」の発端である。


こうして、クラリスの物語は、大きく姿を変え、自ら国を出て行く姫君ナウシカの物語として、再生していくことになった。



カリオストロの城論:カリオストロの城の真実 完


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