カリオストロの城の真実

第三章 クラリスとルパンのその後について


クラリスに、ルパンは言う。

ルパン三世「おじさんは地球の裏側からだってすぐ飛んで来てやるからな」(カリオストロの城より)

しかし、その言葉が実現されることはなかった。

宮崎駿監督は、決して、カリオストロの城の続編を作ろうとはしなかった。

そのために、クラリスとルパンを会わせるための企画が、いくつも行なわれた。

・クラリスからの手紙
・クラリスとの再会
・クラリス女王のもとでテーマパークとして再生したカリオストロ公国を舞台としたゲーム「再会」

しかし、宮崎駿監督は、決して、自分で続編を作ろうとはしなかった。

なぜだろうか?

じつは、カリオストロの城のラストについては、宮崎駿監督も、さんざん悩み、未練もあった。


ルパンとクラリスは、あのまま別れてしまっていいのか?

あのまま終わりではなく、ルパンが必ず戻ることをもっと明確にすべきではないか?

いや、それよりも、クラリスが、カリオストロを捨てて、ルパンを追いかけるべきではないのか?

岡田「不満をもった人もいるらしいんですよ。あれでクラリスが幸せになれるかどうかと。でも、そこまで描かなくても・・

宮崎「それはクラリスにまかされていることですね。」

岡田「それこそ、お城を観光資源にするとか、もっとニセ札刷るとか、切手までも作るとか」

宮崎「そこまで、あと始末してみようかと思ったんですよ。」

岡田「でも、そこまで?」

宮崎「いや、そこまで見せるってことじゃなくて。ルパンと園丁のジイさんの間に、何か黙約があるだろうと思うんですよね。
でもまあ、そんなこといってもしようがないですよね。いやな男の手から逃げられたんだからいいんだ」

岡田「それでいいんじゃないでしょうか。」

宮崎「たとえば、お姫さまの地位なんか放り出してしまえ、じゃ放り出す、というような会話もいるかなと思ったんですけど、そういうことも、もうとっくに放り出してしまった娘にしたほうがいいだろうって思って・・」(アニメージュ81.1より)


もし、クラリスとルパンの物語をあれ以上続けた場合、一体、どんな話がありうるだろうか?

まさか、アルセーヌ・ルパンの「カリオストロ伯爵夫人」のように、ルパンとクラリスの幸せな生活はわずか5年で終わり、クラリスは子供を生んで2日後に死亡、赤ん坊もカリオストロ伯爵夫人に誘拐され、父であるルパン(既に50歳になる)と対決するように育てられる(「カリオストロの復讐」)・・というような話を作るわけにもいくまい。

宮崎駿監督が具体的に悩んだ展開は以下のようなものである。


宮崎監督「ルパンはクラリスをつれていくことは出来ますけど、それは、このシリーズが終わるときにできることだと思う。

ルパンがクラリスと取り残されたら、ルパンはしばらくは泥棒稼業から足を洗ってさ、真っ当になろうとあがくっていう結末を作ることができたかもしれない。」


ちなみに、ルパンが泥棒稼業から足を荒い、真っ当になろうとあがくというのは、アルセーヌ・ルパンがクラリスとの結婚した後の生活と同じである。だが、アルセーヌ・ルパンも、結局は真っ当になれず、泥棒稼業に戻らざるをえなかった。


宮崎監督「そこまでやったら、それはもう、シリーズの一部を受け持つ人間としてはおしまいですよね。
そしたらその次はもう、女を泣かせて去っていくしかないでしょ?
クラリスを泣かせてさ・・結局、しょいきれないもの!

”やさしい”っていうのは、相手に深入りしすぎなくて済むからできることなんですよ。
相手を全面的に受け止めたら、”やさしい”ではいられない。
自分に・・自分が生きることに対してやさしくはできないでしょ?
他人に対してだってやさしくはできないはずですよ。
深く全面的につながりを持たなくて済むから思いやりとかを発揮できるんですよね、多くの人が。
例えば、ルパンが本当にクラリスに惚れたとしても、オレと一緒になってもクラリスがどこかで我慢できなくなって逃げ出すに違いないとかね、「これはいけない男だ」って気がつくんじゃないかとかね・・。つまり、自分がいいかげんだと自分で思っている。
クラリス程の・・、どこかで同じまっさらな相手を見つけるでしょう。それだったら、手をつけずにとっておこうって・・その時、やっぱりいなくざるをえないんです。
ルパンは、立ち入らないことによってやさしさを保ち続けている男なんですね」

「それは、だから・・ルパンは解放されない人間なんですよ。映画の始まりと終わりで変われる人間じゃないんです。映画の始まる前に変わりきってしまった人間でね、後もどりはできない男なんですね。出来ないから演じ続けるしかない人間なんじゃないかと思うんですよ。
だから・・多くの、心に残す事を過去に、あっちこっちの場所においてね、心魅かれた娘もいっぱいいたに違いないけど、皆、後において・・ハハ。
それで仕様がないから次のお祭りを探して歩き回ってる人間じゃないんですか。内面は、こう・・すきま風が吹いているって気がするんですが。
最初にカジノから盗った札が本物だったらアレで終わるんですからね、泥棒っていうのは。でも、それではおもしろくないでしょう?きっと本人達もおもしろくはないんですよね。また何か盗むモノを見つけなければならないんだから・・。
無間地獄なんですね。
グルグル回っている終わりのない地獄。
ルパンは無間地獄におっこちているんです。それをものすごくわかっているから、”止まっちゃいけない”って次から次へと走りまわっている男がルパンなんだって気がするんです。
かわいそうに・・どこかに腰を据えることができないまま、延々と150回まであっちにちょっかいだし、こっちにちょっかいだして、クタクタになって、ボロボロになってね。
それでも笑ってなければならないっていう人間になっっちゃったんですよ・・・と、僕は総括しているんだけれども」(LUPIN THE THIRD VOL2より)



結局、ルパンのような男は一人の女性のもとにはとどまれず、クラリスの元を去るしかないのではないか

このイメージは、「緑の目の令嬢」のオーレリーそのものである。
彼女は、アルセーヌ・ルパンにこういう。

「いいえ、ラウール(ルパンのこと)、あなたは永久に愛するようなかたではございません。それどころか、長いあいだ愛することさえなさらないのです。」(緑の目の令嬢 創元推理文庫版より)


これはまた、宮崎監督がパンフでも語ったことでもある。

宮崎監督「この映画で、ルパンはひとりの少女のために全力で闘います。けれども、ひとりの少女の重ささえ背負いきれないダメな自分を知っています。心だけ盗って、そのくせ未練は山ほどかかえこんで、しかしそれを皮肉なひょうきんにかくして去っていく。去っていかざるを得ない男−−−それがルパン三世です。」(ルパン三世ファンへの熱いラブレターより)


では、ルパンは無間地獄をさまよい続けるしかないとして、クラリスはどうなるのだろうか?



宮崎監督「漫画の主人公である少年少女がその映画なり、テレビなりでやったことで、人生を終えてしまうような描き方はしたくないんです。クラリスも、成長するにしたがって、いろんなことを味わっていってほしいと思う。自分の手をよごすことがあるかもしれない。だからといって、ダメになるわけじゃないんですね。

「戦争と平和」という長編小説では、最後にヒロインだった娘がすっかり太ってしまい、母親になっておむつをかえたりして忙しく走りまわっているところで終わるんですけど、ぼくも、そういうふうにして、ひとりの少年少女の成長というものを期待しながら、ひとまず少年少女時代を描き終えていきたいと考えています。」(アニメージュ文庫発刊記念講演より)

この点は、宮崎アニメ全般の描き方と同じである。

少年少女時代に限定して物語を描くことで、未来に希望をもたせ、現実の視聴者である少年少女を勇気づけたいという、宮崎アニメに一貫したスタンスだ。

「あの、例えばね、こう、ヒロインを出したとするとね、ロリコンの対象になったりするんですね。ぼくは。だけどそれは、それを意図したんじゃなくて、あの、昔から伝えられた物語というのはみんな、じつは、はじまるまでの話しなんですよ。

ほんとの人生というのは、メデタシメデタシの後からはじまっていくんですね。そこでオムツ洗ったりね。そういう事が実際はじまんのは、それは皆さん、あんたがたが自分で体験しなさい。物語はここで終わります・・。

だけど、要するに、子供に対して、そういうふうに(メデタシメデタシで)やっていけるもんですよという、はげましなんですね、じつは。」

「いじけて生きていくんじゃなくて、必ず、あなたの素晴らしさをみつけてくれる人がいるもんだとか、それからあなたを助けてくれる魔法使いがでてきたりするもんですよって、、この世の中には・・・。

そういうふうな、こう、メッセージがふくまれているもんだと思うんですよ」(特集宮崎駿インタビューより)


しかし、他の宮崎アニメと異なり、クラリスのその後には、不安が残るのは何故だろうか?

ルパンとくっつかないとしても、クラリスは、カリオストロ公国を出てしまうべきではなかったのか?




先に紹介した発言にもあったように、宮崎監督自身にも悩みはあった。
ルパンがクラリスに、お姫様の地位を放り出すようそそのかすべきではなかったか?
もしくは、ルパンが助けに来ることをもっと明確にするべきではなかったか?

クラリスに対して誰もが感じるのが、義務にしばられて、責任感だけで女王をやることになるのではないか、自由に動くことは決してできない立場を押し付けられるのではないか?ということだろう。

つまり、カリオストロ公国に残っても、あまり幸せな人生にはならないのではないか?

だからこそ、多くのクラリス後日談も、クラリスが悲しそうにしているのだろう。


(参考)カリオストロ公国から逃げ出すクラリス

お姫さまの地位なんか放り出してしまえ!
じゃ放り出す!


このうれしそうな、クラリスの顔。これこそ、本当にクラリスが望んでいたことではなかったか?
(注:この、カリオストロの城を代表する有名な画像は映画には使われませんでした。また、想定していた部分もラストではありません。詳細は別論)

カリオストロの城のページに戻る