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なぜ、アシタカは室町時代の蝦夷出身なのか のソース :: アニメの部屋

xpwiki:なぜ、アシタカは室町時代の蝦夷出身なのかのソース

  
宮崎駿監督のインタビューからいくつか抜粋しますが、自分自身のルーツ探しから、照葉樹林文化圏の問題、日本における室町時代の特殊性まで踏まえて、アシタカの出自が設定されたことがわかります。

「もののけ姫」に関する多くのインタビューの中でも、宮崎駿監督が、常に最も熱く語るテーマです。

1.ロマンアルバムでの説明

「室町期の前、鎌倉時代は、人が主義主張で生きていた。もっと壮絶な人々が生きていた時代です。それが室町時代になると、得なほう、都合のいいほうにつこうということで動くようになる(笑)。

そういう意味で、室町というのは、ちょっとおもしろい時代だなと思ったもんですから。

それに、女たちが自由でかっこいいんです。」


「女と男の関係、侍、百姓・・・何をとっても歴史というものは単純なものじゃない。だから僕は、従来の時代劇の常識みたいなものに囚われるのは嫌だったんです。主人公の少年も、ちょんまげを結って、腰に刀をぶら下げてしまうと、それはもう侍ですから。侍のいい少年か、悪い少年かになるだけで、侍という固定観念に関しては変わらないんですね。『お前は何者だ』と聞いた時に、『私は侍です』ではなくて、『私は人間です』と言える人物を主人公にしたかった。」


「今ある”時代劇”という固定観念は、黒澤明監督の『七人の侍』による影響が非常に強いんです。僕はそれを呪縛と呼んでいるんですけれども、それほど力のある作品なんですね。僕は黒澤作品の大ファンだし、『七人の侍』もとても好きです。

しかし、同じものを作るんじゃしょうがないと思いまして、自分が思い浮かべている日本というものを作ろうと思ったんです。過去に生きた人たちを、先入観や経営者のひな型として見るのではなくて、もっと生身の人間として考えたい。

田んぼがあって豊かな実りがある土地だとか、そんなものだけじゃなくて、もっと泥臭くて、闇の世界もある。そういうふうにして、もう一回見直してみると、この小さな島の持っている歴史というのは、もっと豊かに、いろんなものがあるんじゃないかと思うんです。」
(ロマンアルバムより)


2.「もののけ姫を読み解く」より抜粋

「古代の文化といってもそう簡単に説明できるようなものではないんです。

映画の冒頭に蝦夷の村が出てくるんですが、なぜ蝦夷かというと、僕は西国の人間ではなく、関東の人間で、多分、自分の中に蝦夷の血が濃厚に流れていると思うんです。鼻の穴の格好とか色々なものを見るにつけ、ずっとそう思ってきた。

だから、蝦夷に近い日本人として−日本という国は近代国家になっていく過程で色々変化していくのだけれど・・・自分達の重要な先祖である蝦夷という民族を、ただの蛮族と考えるのは間違いと思っているわけで、どういう暮らしをして、どういう姿形をしていて、どういう歌を歌っていたか、というようなことを夢見るのが結構、好きなんですよ。好きな道楽といいますか。


大和朝廷の征夷大将軍、坂上田村麻呂にアテルイという蝦夷の最後の王が殺され、一族は服属する。その後、その末梢の阿部氏が朝廷軍に勝った「前九年の役」や、同じく蝦夷の末梢で、清原氏という、平泉の藤原三代の元になる一族の、一族間同士の争いを源氏が鎮圧する「後三年の役」が起こる。

蝦夷は最後まで中央政府に反乱を起こした民族なんです。初めは大和朝廷、それから鎌倉 
幕府へと相手は変わるわけですけれど。

このように、かつての日本の東の方は込み入っていて蝦夷だけでなく、色々な国が日本にはあったということです。

さらにもっと前には、例えば、大和朝廷にできた王朝があり、それ以前にも北九州に王朝があったり、東北の方は東北で別の王朝があった。出雲にもあったし、吉備にもあった。

いたる所に国々があって、それが最終的に、古代に大和朝廷の下に統一されるのですが、その時でも、東北の秋田から岩手とか、津軽などには別の王国があった。

王国というのがふさわしいかどうかわからないけれど、ちゃんと国があって、それぞれの文化があったのです。それがなんとなく、ぜんぶ壁に塗り込められたようになって、よく判らなくしまったのですね。

だから日本の歴史っていうのは面白くない。色々な人たちがいて、そこで色々なことがあって、勝ったりも負けたりもしたけれど、そういうことを経て今日があるのだ、という考え方の方がずっと豊かになる。

そういう意味からすると、現存する蝦夷の姿というのは絵描きがいい加減に、ほとんどわけもわからず、鍾と鬼が混ざったように描いている。

青森県の「ねぶた」などに出てくる、坂上田村麻呂がアテルイをやっつけている絵なんかでは、アテルイはまさに鬼なんですよ。」


「僕は、蝦夷も含めて日本人というものを考えたい。

大陸系の顔の人もいるし、朝鮮系の顔の人もいる。それから南方系の、僕の鼻みたいな形をしている、インドネシアにいっぱいいるような人もいる。そういう人間たちを含めて、日本というのは出来上がっている。

日本の原形というのは、米や稲だけでなくて、色々な所で色々な事が始まって、それらがちゃんと基調をなして、全部消えるのではなく、あるものは残りながら今の習俗が決まっているんです。

話を蝦夷にもどすと、彼らは同じ照葉樹林文化の、ブータンなどに住む人たちと似た格好をしていると、僕は道楽で思っています。映画の冒頭に、蝦夷の三人娘が出てきますが、傘を被って、黒っぽい着物を着て、そこに赤い帯がついている。本当は刺繍でつけたい位なんですが、そんな細工はアニメーションでは難しいから、帯をつけただけですけど。その三人娘を実は、一番気に入って 
いたりしてましてね(笑)。

それはタイなどの山岳地方の焼畑をやっている人たちの格好なのです。脚半をつけて手甲をつける姿は、ブータンなんかもそうですね。王様だってドテラに脚半を履いたりしています。お米は、ジャポニカ種の粘りの強いのが好きですしね。

そういう共通性があって、本当によく似ているのです。」

  

  • なぜ、アシタカは室町時代の蝦夷出身なのか のバックアップソース(No. All)
    • 現: 2016-11-06 (日) 17:56:26 yasuaki[h3G7fWoxZgU]