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ナウシカ の変更点 :: アニメの部屋

xpwiki:ナウシカ の変更点

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1: 2016-11-06 (日) 16:40:32 ゲスト[h3G7fWoxZgU] ソース バックアップ No.1 を復元して編集 現: 2016-11-06 (日) 16:58:24 yasuaki[h3G7fWoxZgU] ソース 編集
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-風の谷のナウシカは、映画版と原作のマンガ版(コミック版)では、随分話が違います。 
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-いろいろ違いますが、特に大きな違いを3つあげるとすると、映画の時間的制約から変更された以下の点でしょうか。(詳細な違いは、別途まとめます) 
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-・マンガ版では物語の多くを占める土鬼(ドルク)の国が、映画では削除された。 
-・兄弟達との権力闘争を初めとする、クシャナ関連の様々な話が映画では削除された。 
-・映画は話をいったん完結させるため、独自のエンディングがつけられた。 
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-原作ではトルメキアとドルクという2大国家の戦争を基本軸とし、それに巻き込まれる風の谷やペジテの物語だったのですが、映画では、フカイを焼こうとするトルメキアと、それに巻き込まれる風の谷やペジテの物語に変わっています。 
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-つまり、もともとは人間同士(国家間)の戦いがベースになっていたのですが、戦争の当事者の一方(ドルク)が、映画の時間的制約のために削除されたためめ、人間と自然(腐海(フカイ))との関係に焦点が絞り込まれました。 
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-そのために、映画のテーマは人と自然との関わりが中心となり、それにそった形で独自のエンディングが作られました。 
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-このような違いが生じた理由は、映画の時間的制約の他にも2つあります。 
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-ひとつには、原作がまだ第二巻(全七巻)の段階で映画が作られたため、原作全体からみると映画はごく初めの部分だけの物語だという点。 
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-もうひとつには、原作がテーマ性をとことん追求しているのに対し、映画は、2時間の枠で起承転結つけて完結させるために、物語の構成や展開を変えているという点です。 
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-以下、どういういきさつで映画版とマンガ版を製作することになったのか、経緯を簡単に振り返ってみます(宮崎監督の言葉で、特に出典を書いていないものは「ジ・アート・オブ・ナウシカ」に収録されている「ナウシカへの道」より引用しています)。 
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宮崎駿監督はもともとマンガ家を目指しいた時期もあり、断念してアニメを選んだという経緯がありました。 宮崎駿監督はもともとマンガ家を目指しいた時期もあり、断念してアニメを選んだという経緯がありました。
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宮崎駿監督「映画やアニメーションをやってたらできないようなことをやらなければ、わざわざコミックを描いている意味がないと思ったから、自分がこういうものはアニメーションになるまいって考えた世界をやってたんです。」(「風の帰る場所」より抜粋) 宮崎駿監督「映画やアニメーションをやってたらできないようなことをやらなければ、わざわざコミックを描いている意味がないと思ったから、自分がこういうものはアニメーションになるまいって考えた世界をやってたんです。」(「風の帰る場所」より抜粋)
-どのような世界を考えたのかは、コミック版第一巻に載せている「ナウシカのこと」を参照ください。 +どのような世界を考えたのかは、コミック版第一巻に載せている「[[ナウシカのこと]]」を参照ください。
-間もなく会社も辞めたため、失業状態のまま、ナウシカを自宅で描き続けます。+間もなく会社も辞めたため、失業状態のまま、ナウシカを自宅で描き 
 +続けます。
Line 83: Line 57:
「『ナウシカ』の時の宮さんは、楽しそうに燃えていましたね。当時、アニメの仕事を干されてて、しばらくぶりじゃないですか。結局、テレコムを辞めて悶々としたところで、マンガ描きませんかって、アニメージュの鈴木さんから話が来て。それで鈴木さんの尽力で、それが映画に。もう起死回生のチャンス。相当緊張しながらやってて良かったですよ。」(パラノ・エヴァンゲリオンより抜粋) 「『ナウシカ』の時の宮さんは、楽しそうに燃えていましたね。当時、アニメの仕事を干されてて、しばらくぶりじゃないですか。結局、テレコムを辞めて悶々としたところで、マンガ描きませんかって、アニメージュの鈴木さんから話が来て。それで鈴木さんの尽力で、それが映画に。もう起死回生のチャンス。相当緊張しながらやってて良かったですよ。」(パラノ・エヴァンゲリオンより抜粋)
-ちなみに、庵野監督は後にクシャナ戦記を作りたいと言って宮崎監督から断わられます。(庵野監督によるクシャナ戦記製作の拒否参照)+ちなみに、庵野監督は後にクシャナ戦記を作りたいと言って宮崎監督から断わられます。([[庵野監督によるクシャナ戦記製作の拒否]]参照)
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そして、そこには、2時間枠に縛られた映画では表現できない、豊かで深い様々なイメージが、見事に構築されていたのでした。 そして、そこには、2時間枠に縛られた映画では表現できない、豊かで深い様々なイメージが、見事に構築されていたのでした。
-宮崎駿監督の嫌がる言い方ですが、間違いなく「ライフワーク」と呼べるものでしょう。+このような経緯により、風の谷のナウシカは、映画版と原作のマンガ版(コミック版)では、随分話が違います。
 +いろいろ違いますが、特に大きな違いを3つあげるとすると、映画の時間的制約から変更された以下の点でしょうか。
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 +・マンガ版では物語の多くを占める土鬼(ドルク)の国が、映画では削除された。
 +・兄弟達との権力闘争を初めとする、クシャナ関連の様々な話が映画では削除された。
 +・映画は話をいったん完結させるため、独自のエンディングがつけられた。
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 +原作ではトルメキアとドルクという2大国家の戦争を基本軸とし、それに巻き込まれる風の谷やペジテの物語だったのですが、映画では、フカイを焼こうとするトルメキアと、それに巻き込まれる風の谷やペジテの物語に変わっています。
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 +つまり、もともとは人間同士(国家間)の戦いがベースになっていたのですが、戦争の当事者の一方(ドルク)が、映画の時間的制約のために削除されたためめ、人間と自然(腐海(フカイ))との関係に焦点が絞り込まれました。
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 +そのために、映画のテーマは人と自然との関わりが中心となり、それにそった形で独自のエンディングが作られました。
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 +このような違いが生じた理由は、映画の時間的制約の他にも2つあります。
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 +ひとつには、原作がまだ第二巻(全七巻)の段階で映画が作られたため、原作全体からみると映画はごく初めの部分だけの物語だという点。
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 +もうひとつには、原作がテーマ性をとことん追求しているのに対し、映画は、2時間の枠で起承転結つけて完結させるために、物語の構成や展開を変えているという点です。
映画は映画でとても魅力的な作品ですが、もしマンガ版を未読の方がいれば、是非読んでください。 映画は映画でとても魅力的な作品ですが、もしマンガ版を未読の方がいれば、是非読んでください。
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