ページへ戻る

− Links

 印刷 

「もののけ姫」企画書 の変更点 :: アニメの部屋

xpwiki:「もののけ姫」企画書 の変更点

  
現: 2016-11-06 (日) 17:55:22 yasuaki[h3G7fWoxZgU] ソース[3] 編集[4]
Line 1: Line 1:
 +「もののけ姫」企画書
 +●題名「もののけ姫」あるいは「アシタカせっき」
 +カラーヴィスタ。デジタルドルビー、百十分
 +●観客対象 小学校高学年以上すべての人へ
 +●時代設定 室町期の日本の辺境
 +企画意図
 +中世の枠組みが崩壊し、近世へ移行する過程の混沌の時代室町期を、二十一世
 +紀にむけての動乱期の今と重ねあわせて、いかなる時代にも変わらぬ人間の根
 +源となるものを描く
 + 神獣シシ神をめぐる人間ともののけの戦いを縦糸に、犬神に育てられ人間を
 +憎む阿修羅のような少女と、死の呪いをかけられた少年の出会いと解放を横糸
 +に織りなす、鮮烈な時代冒険活劇。
 +
 +
 +この作品には、時代劇に通常登場する武士、領主、農民はほとんど顔を出さな
 +い。姿を見せても脇の脇である。
 +主要な主人公群は、歴史の表舞台には姿を見せない人々や、荒ぶる山の神々で
 +ある。
 +タタラ者と呼ばれた製鉄集団の、技術者、労務者、鍛冶、砂鉄採り、炭焼。馬
 +借あるいは牛飼いの運送人達。彼らは武装もし、工場制手工業ともいえる独自
 +の組織をつくりあげている。
 +
 +人間達と対する荒ぶる神々とは、山犬神、猪神、熊の姿で登場する。物語のか
 +なめとなるシシ神とは、人面と獣の身体、樹木の角を持つまったく空想上の動
 +物である。
 +
 +主人公の少年は、大和政権に亡ぼされ古代に姿を消したエミシの末梢であり、
 +少女は類似を探すなら縄文期のある種の土偶に似ていなくもない。
 +
 +主要な舞台は、人を寄せ付けぬ深い神々の森と、鉄を作る城砦の如きタタラ場
 +である。
 +
 +従来の時代劇の舞台である城、町、水田を持つ農村は遠景にすぎない。むしろ
 +、ダムがなく、森が深く、人口の遥かに少ない時代の日本の風景、深山幽谷、
 +豊かで清冽な流れ、砂利のない土の細い道、沢山の鳥、獣、虫等純度の高い自
 +然を再現しようとする。
 +
 +これらの設定の目的は、従来の時代劇の常識、先入観、偏見にしばられず、よ
 +り自由な人物群を形象するためである。最近の歴史学、民族学、考古学によっ
 +て、一般に流布されているイメージより、この国はずっと豊かで多様な歴史を
 +持っていたことが判っている。時代劇の貧しさは、ほとんどが映画の芝居によ
 +って、作られたのだ。この作品が舞台とする室町期は混乱と流動が日常の世界
 +であった。南北朝からつづく下克上、バサラの気風、悪党横行、新しい芸術の
 +混沌の中から、今日の日本が形成されていく時代である。
 +
 +戦国もののような常備軍が組織戦を行う時代とはちがうし、一所懸命の強烈な
 +鎌倉武士の時代ともちがう。
 +
 +もっとあいまいな流動期、武士と百姓の区別は定かでなく、女達も職人尽しの
 +絵にあるように、より大らかに自由であった。このような時代、人々の生き死
 +にの輪郭ははっきりしていた。人は生き、人は愛し、憎み、死んでいった。人
 +生は曖昧ではなかったのだ。
 +
 +二十一世紀の混沌の時代にむかって、この作品をつくる意味はそこにある。
 +
 +世界全体の問題を解決しようというのではない。荒ぶる神々と人間との戦いに
 +ハッピーエンドはあり得ないからだ。しかし、憎悪と殺戮のさ中にあっても、
 +生きるにあたいする事はある。素晴らしい出会いや美しいものは存在し得る。
 +
 +憎悪を描くが、それはもっと大切なものがある事を描くためである。
 +呪縛を描くのは、解放の喜びを描くためである。
 +
 +描くべきは、少年の少女への理解であり、少女が、少年に心を開いていく過程
 +である。
 +
 +少女は、最後に少年にいうだろう。
 +
 +「アシタカは好きだ。でも、人間を許すことはできない。」と。
 +
 +少年は微笑みながら言うはずだ。
 +
 +「それでもいい。私と共に生きてくれ」と。
 +
 +
 +そういう映画を作りたいのである。
 +
 +(1995年4月19日)
  

  • 「もののけ姫」企画書 のバックアップ差分(No. All)
    • 現: 2016-11-06 (日) 17:55:22 yasuaki[h3G7fWoxZgU]