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叛逆の物語 :: アニメの部屋

xpwiki:叛逆の物語

魔法少女まどか☆まぎか[新編]叛逆の物語の感想・あらすじ・考察

TV版魔法少女まどかマギカおよび、その総集編である劇場版(前編/後編)に続く完全新作である。

感想(ネタバレなし)
面白かったです。なんといっても、映像が凄かった。総集編のときも、大画面で魔女たちの幻想的な光景が見たくて映画館行ったのですが、あまりテレビと変わった感じがしませんでした。
しかし、今回は、最初から映画向けに作られているせいか、すごい迫力かつ幻想的な映像美でした。
ストーリーも、何がどうなっているのかわからない展開が続き、楽しめました。
話がわかりづらい点も多々ありましたが、パンフを読めば大体わかりました。
パンフ買っていない人や、読んでもよくわからなかった人もいると思いますので、以下、あらすじを解説します。

−−以下、ネタバレあり−−

以下、解説付きのあらすじ。
前回の話の確認
前作で最終的に、まどかは、すべての魔法少女の悲劇をなくすため、神のステージへとあがった(アルティメットまどか)。

アルティメットまどか。複製原画展より, 20131102_164517.jpg[1]
アルティメットまどか。複製原画展より

さやかも、まどかに救済された。
世界は再編され、魔女はいなくなり、代わりにマジュウとの戦いが行われていた。魔女に倒されたマミや杏子も死んでいないことになったが、ほむら以外(マミ、杏子)はまどかの存在の記憶もなくしていた。
ほむらはキュウべぇに、まどかの事を話した。

叛逆の物語の前半 ほむらの結界
キュウベぇは、まどかの存在を確認し、その力を利用できるように、ほむらを使うことを思いついた。

そして、ほむらを外部から検知できない干渉遮断フィールドに閉じ込め、かつ、ほむらが魔女化しても自我を失わないようにソウルジェムを加工し、割れないようにした。

それにより、ほむらがまどかを自分から引き込むのを観測できるようにした。

ほむらは、まどかの願い(全ての魔女を発生させなくする)が通らない干渉遮断フィールドの中で、ソウルジェムの中で魔女となり、自分の結界を張り、願望を実現させていた。

−−ここから映画の冒頭−−

ほむらが自分の結界の世界で妄想したのは、また、5人で仲良く敵と戦う世界である。
ほむらは、そのために敵としてナイトメア(悪夢)と戦う世界を設定した。

魔女じゃなくて、こんな敵と戦っていればよかったのに・・
という思いがあった(パンフの虚淵さん発言)。

そして、ほむらの思いは、現実世界から、まみと杏子を呼び込み、神側(円環の理)からまどかとさやかを呼びこむ。

ただし、まどかは、ほむらの思い通り、神であることを忘れた存在として、ほむらの妄想の中に登場していた。
さやかだけは、円環の理側から連れてこられ、ほむらの思いによる修正も受けなかったため、状況を把握していた。

しかし、ほむらは、この世界が本当ではないことに気づく。
そもそも、敵がマジュウではなくナイトメアである。
まどかの存在を知らないはずのマミや杏子がまどかを知っている点など、おかしい点があるからである。

叛逆の物語 後半 ほむらの悪魔化
ほむらは、自分がキュゥべえ達、インキュベーターに利用されていることに気づく。
そして、自分がまどかに助けを求めると、キュゥべえにまどかが補足され、利用される可能性があること、つまりキュゥべえの狙いはまどかであることがわかる。
それを避けるため、ほむらは、閉じ込められた空間内で、魔女と化すことを望む。そうすれば、まどかに気づかれることもないからである。
しかし、他のメンバーの支援により、ほむらは解放され、アルティメットまどかが救済に訪れる。
しかし、ほむらは、まどかに救済されることを望まず、アルティメットまどかのパーソナルな部分を自分に取り込む。
なぜそうしたかというと、ほむらは、自分の妄想空間に現れたまどかとの対話のなかで、まどかのつらさを知り、自分が肩代わりしたいと思っていたからである。
神の力を取り込んだほむらは、神と対等の力を持つ自分を悪魔と位置付ける。キュゥべえは、その力が自分たちで太刀打ちできないものであることを知る。

しょせんは宇宙人レベルなので、
なんだかんだいっても神様には適いませんね。
(パンフの虚淵さん発言)

ただし、目的は、あくまで、まどかの救済であった。
キュゥべえの狙いをまどかにつけさせず、かつ、まどかの孤独を救うためであった。
だから、まどかが、自分の役割を思い出そうとすると、必死に妨害した。
ほむらは、いずれまどかと対峙することになることを予想しつつ、彼女の願いはあくまでもまどかの幸せであった。

QA集
1.なぜ、前作のお菓子の魔女だけ、べべとして再登場したのか。
お菓子の魔女は、劇場版 叛逆の物語では、「ベベ」として再登場している。また、人間形態として「百江なぎさ」となる。

この経緯については、脚本の虚淵さんは以下のように述べる。

(前作で)円環の理(まどか)に連れていかれてしまった、
さやかやべべは円環の理の側から連れてこられたことになります。
べべを出すことから、自然と6人目の魔法少女を出そうという
話になりました。

なぜお菓子の魔女だけ再登場したかについて、宮本監督は以下のように述べる。

魔女は本来たくさんいるので、その中から
「お菓子の魔女だけ強調してピックアップするのは避けたい」と。
なぎさが登場したのは、今回「たまたま、なぎさが来てくれた」
のであって「魔女の中で特別というわけじゃない」。
ほかにも魔女たちがいるのだということを示すためにも、
クライマックスに魔女の手下がたくさん出てくる
ようになっています。

お菓子の魔女, 20131104_151513.jpg[2]
お菓子の魔女

つまり、前作でまどかが魔女たちを救済したわけだが、ほむらが自分の世界にまどかやさやかを引っ張ってきたさいに、元魔女の中から、一人いっしょにやってきたということだろう。

虚淵さんはこう言う。

巴マミのフィギュアには、お菓子の魔女が必ず
ついてくるんですよ。
あのセットにしてしまう感覚は何だろうなと思いつつも、
あのコンビは印象に残っていました。

ほむらから見ても、マミとお菓子の魔女はコンビとして思い出されたため、一緒に呼んでしまったということだろうか。

考察
虚淵さんインタビューによると、

「ほむらが魔女になり、その結界の中の物語」という
アイデアです。
ただ、当時は「まどかにほむらが連れられていく」という
結末だったんです。
だから、今度こそ物語が完結してしまうな
と思っていました(笑)。 
しかし、岩上さんも新房さんも
「このあと続いていく物語にしたい」と考えていたようで、
なかなかOKが出なかった。
それで、とことん悩んでいたときに、
新房さんがポロッと「いっそまどかとほむらが
対立関係になってしまうのもありかもね」
とおっしゃったんです。
そのひと言が突破口になりましたね。
まどかと対になる存在に、ほむらをしちゃえばアリだなと。

この発言から、当初のプロットでは、ほむらがアルティメットまどかに救済され、ハッピーエンドで終わる物語であったことがわかる。
それが、悪魔として、叛逆の物語になったわけである。

これは、ある意味では、まどか☆マギカの本来あるべき方向性だという気がした。
ひとつは、まどか☆マギカというのは、基本的にゲーテのファウストをベースにした作品である。
キュゥべえの「僕と契約して魔法少女になってよ」というのも、ワルプルギスの夜も、魔女のシーンで描かれている文字も、そこで歌われている歌も、基本的にはファウストからの引用である。
ファウストは、基本的には神と悪魔の対立が背景にある。
その点で、まどか☆マギカが、魔女と魔法少女の対立の物語から、神と悪魔の物語に移行したことは、自然な流れであるといえる。

しかし、実は私にとって望ましく思えたのは、まどか☆マギカのもっとも初期のアイデアが、形を変えて実現される様を見ることができた点である。
それは、初期稿(プロダクションノートや、複製原画展にて公開された)にあった、ワルプルギスの夜の設定だ。

ワルプルギスの夜(舞台装置の魔女), 20131104_151556.jpg[3]
ワルプルギスの夜(舞台装置の魔女)

初期稿においてはワルプルギスの夜(舞台装置の魔女)には、物語を作っている劇作家が登場する。そして、人々の悲しみを救うために、すべての登場人物をシナリオ通りに動かすことで、あくまで役者として存在させることで、悲しみを取り払わせる魔女という設定であった。
これはTV版では消えたが、興味深い設定だったと思う。

作家の描いたシナリオ通りに人々を動かし、役者化することで世界から悲しみをなくすこと。

そう考えると、叛逆の物語における、ほむらの都合の良い妄想は、実は、まどか☆マギカという物語が最も初期から構想していた、ワルプルギスの夜の、形を変えた再演だったことがわかる。

ほむらが夢見たように、敵はしょせんは悪夢(ナイトメア)であり、5人が仲良く、決められた手順で倒していく・・

自分の友人たちを自分の妄想に引き込み、役者として動かすことで、ほむらは、自身の妄想のなかで、劇作家として、魔法少女たちの物語を再構成し、悲しみのない世界を作り上げていたわけだ。

つまり、まどか☆マギカは、叛逆の物語によって、もっとも初期から構想していた、ワルプルギスの夜のクライマックスの仕掛けを実現しつつ、神と悪魔の物語にステージを変えたわけだ。

さて、話を変え、日本のマンガ、アニメ史から見ると、神vs悪魔の物語は、結構ありふれた題材でもある。
デビルマン、エヴァンゲリオンなど、同テーマの傑作も多い。

虚淵さんは言う。

同じ教室に神様と悪魔がいっしょにいる学校は
ちょっと面白いですよね。
これを手がかりにして様々な人が新しい物語を
つくってもらえればうれしいですね。
誰もがその続きを考えたくなるような作品。
そういう作品にしたいと思っていたんです。

神と悪魔の物語は競合作品が多い。

次回作で、デビルマンやエヴァンゲリオンとは全く異なる作品、あるいはそれらを超える作品を作るのは容易ではないだろう。

しかし、それらを超える作品を生み出したとき、日本のアニメの代表作のひとつとなるだろう。
ぜひ頑張ってほしいものである。


Last-modified: 2013-11-09 (土) 11:11:19 (JST) (3811d) by yasuaki