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森の神とは :: アニメの部屋

xpwiki:森の神とは

森の神・・このテーマは、言うまでも無く「となりのトトロ」と結びつきます。

とくに、「美女と野獣」をモチーフにした初期のイメージボードの「もののけ姫」においては、もののけのイメージは、トトロのイメージに非常に似ています。

ということで、「もののけ姫」のインタビューと、「となりのトトロ」のインタビューを並べてみました。

同じ問題意識から生まれていることがわかると思います。

1.「「もののけ姫」を読み解く」より

「木を伐ったその後に出来上がってきた風景が、今僕らが自然と言っている、日本の見覚えのある風景だと思うのですよ。

それを僕らは、自然と呼んでいるけれど、実は、その前に深い、怖ろしい自然があって、その時の記憶が自分達の心の底にある。山奥には人が踏み入ったことのない清浄な土地があって、鬱
蒼たる森と清らかな水があって、実はそういう形が日本の自然のいちばんの中心ではないかと思うんです。

それが変わるにしたがって、今の慣れ親しんだものになった。日本人の庭というのが、深山幽谷を狙ったというのはその自然観を反映しているのです。だから、森をずいぶんきり倒して山様を変えたにも関わらず、自分達の心の奥底には、やっぱり神がいて、そこに、いちばん清浄な部分があるという記憶だけがいつまでも残っている。僕も、そうした記憶がいつの間にか植えつけられています。

自分たちで、食うために焼き払いながらも、森の持っている神を認識していた。ここでいう神は、魂をつくっている神ではなく、人間が崇める前の大昔からこの土地にあって、生きとし生けるものの根源をなすようなもので、漠然とした思いなのです。

だから日本の神道では清浄な所を決めて、いつもそこを清らかにしておいて穢さない。それが神域なんです。

生態系が残っている所は暗いです。暗いというか、わけのわからないところを人間は持っているのです。フランスでも就職難だったりして、若者の自殺は多いのですけれど、実は、フランスの中で、若者の死亡はほとんど、緑が潤っている北半分なのです。

2.となりのトトロに関連しての発言(出発点より)
「日本の森や林は、本当は暗いんです。入っていくと、どこかおっかなくてゾクゾクするんですよ。何かいるって感じるんですね。」

「日本人にとっては、神様って闇の中にいるんですよ。ときどきは光の中にも出てくるかもしれないけど、いつもはどこかの森の奥深いところにいたり、山の中に住んでたり、そこへ”依代”を建てると、ふらっとそこへやってきたりする。

ですから、沖縄のほうに残っている一番原形に近い神社は、社といっても拝殿はあるにしても御神体は、ただの木だったり石だったりするんです。それも、ピカピカ輝いていたりせず、うっそうと暗いところにシーンとして、蝶々がハタハタと飛んでたりして、どこか不気味なんですよ。

前に子供たちと行ったら、”こわい、こわい”って言うんです。なにかがいる気がする。その”こわい”という気持ちが、日本人にとっては、日本人にとってはある種の森とかそういうものに対する尊敬の念で・・ようするに、原始宗教、アニミズムなんですね。”何かがいる”みたいに自然とは混沌としているんですよ。”入らずの森”というのは、あちこちの土地にあるんだけど、そこへ行くと山歩きでさんざん山仕事やっている人間でもね、なにかあるって感じがするそうです。

突然、恐怖に襲われて、あそこには入らないほうがいいってことになるらしいのね。そういうことってあるんです。それは何だかわからないけど、たぶんぼくはあると思うんですよ。五感だけで感じられるものだけじゃないでしょう、世界というのは、別にオカルトを信用してるわけじゃないですよ。

この世界は人間のためだけにあるんじゃないんだから、そういうものがあってもいいと思うんです。

だから、ぼくは人間のために必要だから森を残そうっていうふうなその能率的な発想で自然を考えるのは、なんかやっぱり違うんじゃないのかなあという気がしてね・・。

そういうのは自分の心の奥深い暗がりとどこかでつながっていて、そういうものを片方で消してしまうと、自分の心の中にある暗がりもなくなって、なにか自分の存在そのものが薄っぺらいものになるという感じがどこかにあるもんで、気になるんですね。

ぼくは初もうでには行ったことないけど、それはあのキンキラキンの神社の中に神様がいるとはとても思えないからで、やっぱりどっか深山幽谷の中に、日本人の神様っているんじゃないのかなあ(笑)。


Last-modified: 2016-11-06 (日) 17:58:03 (JST) (2720d) by yasuaki