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イデオン映画公開時インタビュー :: アニメの部屋

xpwiki:イデオン映画公開時インタビュー

最終回のためにMESSAGE

富野喜幸

映画監督という作画的行為を成す者が己の作品を公開するにあたって言うべきことではないと承知しながらも、やはり書かざるを得ないということは苦しい。

作り手側の事情があるといって、評価なり論評される対象は作品であって、作品が生まれる事情ではない。しかし、この”イデオン”についてはどうしても記しておかなければならない事と思えるので、ここに記させていただく。

元来がテレビのシリーズ物であった”イデオン”はかなり膨大なストーリーをかかえこんでいて、3時間強の分量の中に収まるものではなかった。
にもかかわらず、あえて一挙公開という暴挙に出たのに3つの理由があった。

1つは、物語の気分が全くみえないダイジェストとすることを嫌ったということ。
2つ目はテレビ版のダイジェストでしかない作品を映画と銘うって2本、3本と上映して、ファンたちに必要以上の出資を強要することを嫌ったということ。
特にこれについては、この数年のアニメ・ブームとかいう風潮の中、所詮はテレビ版の改竄でしかない映画版が大手を振って通るということへの疑問があるからである。
小生に関して言えば、それを先の”ガンダム”でやった張本人である。
張本人であるから、その痛みが分る。
殊に、ファンに対して3度まで出資を強要したということには申しわけないことだと思っている。同じ金を使うのならもっと他の良きことへ使って欲しいという思いが、他の世の父親たちと同じにあるからだ。

しかし、”ガンダム”の時は、”ガンダム”を成立させたティーン・エイジャーの力を大人たちに示したかったという発意があった。だから、決して間違ったことはやっていないという自信があった。

しかし、出資を強要したのではないかといううしろめたさは変わることなくあった。
それらを回避するためには、”イデオン”は一挙公開しかないと決意していた。そのために己が泥をかぶってすむことならば、それで良い、と・・。
その結果起こる作品についてのあらゆる非難を被ることを覚悟で、小生は針の筵に座っている。

そして、第三の理由はもし、1部、2部という興行形式をとった時に、1部の入り(作品の出来ではなく)の状況によって、”イデオン”の本来の完結編が、再び公開されることなく終わった場合、”イデオン”は本当に未完に終わってしまう。それを最も怖れた、といえる。
それは事情論とは別に、作り手側が最も恐れることである。そのために、ともかく完結部分を描き、発表したいという作り手のできる最小限度のことをやってみようとしたわけである。我々スタッフはファンと共に、かつて見ることのなかったエピローグを見たかったのだというたった1つの点に賭けて、今回のダブル・リリース方式を採用したのである。

そのために映画版のドラマは、ドラマとして成立することなく発端と発動を直結させた。まとめたのではない。直結でしかない。
これは作劇を遠く離れ、そのために各スタッフから声優から「冗談じゃない」という声があがった。

矛盾に満ちて、何が物語なのかという思考さえも働かせることなく、”イデオン”は”発動編のラスト・アクションに入る。それ故、どう断罪されてもそれに抗弁する術を小生は持たない。
しかし、それを承知で公開の機会を与えて下さった松竹及びに各劇場の関係者には、心から御礼申し上げる。そして、それを承知で観に来て下さった皆様方にも心から御礼申し上げたい。
そして、各スタッフに対しても・・。本映画は”イデオン”の最終回でしかないと言える。しかし、ここに至る間に我々スタッフの万感の思いがこめられている事もまた事実である。非は全て小生にある・・・。


Last-modified: 2013-07-20 (土) 11:37:29 (JST) (3930d) by yasuaki