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「もののけ姫」企画書 :: アニメの部屋

xpwiki:「もののけ姫」企画書

「もののけ姫」企画書
●題名「もののけ姫」あるいは「アシタカせっき」
カラーヴィスタ。デジタルドルビー、百十分
●観客対象 小学校高学年以上すべての人へ
●時代設定 室町期の日本の辺境

企画意図
中世の枠組みが崩壊し、近世へ移行する過程の混沌の時代室町期を、二十一世
紀にむけての動乱期の今と重ねあわせて、いかなる時代にも変わらぬ人間の根
源となるものを描く
 神獣シシ神をめぐる人間ともののけの戦いを縦糸に、犬神に育てられ人間を
憎む阿修羅のような少女と、死の呪いをかけられた少年の出会いと解放を横糸
に織りなす、鮮烈な時代冒険活劇。

この作品には、時代劇に通常登場する武士、領主、農民はほとんど顔を出さな
い。姿を見せても脇の脇である。
主要な主人公群は、歴史の表舞台には姿を見せない人々や、荒ぶる山の神々で
ある。
タタラ者と呼ばれた製鉄集団の、技術者、労務者、鍛冶、砂鉄採り、炭焼。馬
借あるいは牛飼いの運送人達。彼らは武装もし、工場制手工業ともいえる独自
の組織をつくりあげている。

人間達と対する荒ぶる神々とは、山犬神、猪神、熊の姿で登場する。物語のか
なめとなるシシ神とは、人面と獣の身体、樹木の角を持つまったく空想上の動
物である。

主人公の少年は、大和政権に亡ぼされ古代に姿を消したエミシの末梢であり、
少女は類似を探すなら縄文期のある種の土偶に似ていなくもない。

主要な舞台は、人を寄せ付けぬ深い神々の森と、鉄を作る城砦の如きタタラ場
である。

従来の時代劇の舞台である城、町、水田を持つ農村は遠景にすぎない。むしろ
、ダムがなく、森が深く、人口の遥かに少ない時代の日本の風景、深山幽谷、
豊かで清冽な流れ、砂利のない土の細い道、沢山の鳥、獣、虫等純度の高い自
然を再現しようとする。

これらの設定の目的は、従来の時代劇の常識、先入観、偏見にしばられず、よ
り自由な人物群を形象するためである。最近の歴史学、民族学、考古学によっ
て、一般に流布されているイメージより、この国はずっと豊かで多様な歴史を
持っていたことが判っている。時代劇の貧しさは、ほとんどが映画の芝居によ
って、作られたのだ。この作品が舞台とする室町期は混乱と流動が日常の世界
であった。南北朝からつづく下克上、バサラの気風、悪党横行、新しい芸術の
混沌の中から、今日の日本が形成されていく時代である。

戦国もののような常備軍が組織戦を行う時代とはちがうし、一所懸命の強烈な
鎌倉武士の時代ともちがう。

もっとあいまいな流動期、武士と百姓の区別は定かでなく、女達も職人尽しの
絵にあるように、より大らかに自由であった。このような時代、人々の生き死
にの輪郭ははっきりしていた。人は生き、人は愛し、憎み、死んでいった。人
生は曖昧ではなかったのだ。

二十一世紀の混沌の時代にむかって、この作品をつくる意味はそこにある。

世界全体の問題を解決しようというのではない。荒ぶる神々と人間との戦いに
ハッピーエンドはあり得ないからだ。しかし、憎悪と殺戮のさ中にあっても、
生きるにあたいする事はある。素晴らしい出会いや美しいものは存在し得る。

憎悪を描くが、それはもっと大切なものがある事を描くためである。
呪縛を描くのは、解放の喜びを描くためである。

描くべきは、少年の少女への理解であり、少女が、少年に心を開いていく過程
である。

少女は、最後に少年にいうだろう。

「アシタカは好きだ。でも、人間を許すことはできない。」と。

少年は微笑みながら言うはずだ。

「それでもいい。私と共に生きてくれ」と。

そういう映画を作りたいのである。

(1995年4月19日)


Last-modified: 2016-11-06 (日) 17:55:22 (JST) (2720d) by yasuaki