35歳以上指定映画としての「逆襲のシャア」

*以下は、以前HPに掲載していたものの転載となります。

今まで公表(というほどでもないが・・)していませんでしたが、私は34歳です。何を言いたいのかというと、「逆襲のシャア」におけるシャアと同じ年齢なのです。

この年になると、「逆襲のシャア」が随分と理解できるようになりました。

「逆襲のシャア」が公開された当時、私は高校生でした。

小学生のとき、ガンダムブームとなり、中学生のときは、一部の根強いファンはZガンダムやZZガンダムを見ていました。私は、その数少ない中の一人でしたが、どっちも途中で飽きてきて、みたりみなかったりでした。

高校生のときは、周囲にはガンダムを見ている人は誰もいませんでした。同世代の人間にとって、「ガンダム=小学生の時に皆が大好きだったもの」であり、さすがに高校生になってまで見続ける人というのは、希少価値がありました。

自分が行った高校では、3年間、「ガンダム」という言葉は聴いたことありません。もっとも、全員が全員、小学生時代にはガンプラもとめて行列して予約券を求めた人たちだったと思います。

あるとき、ひさびさに会った小学生時代の友人が、「逆襲のシャア」について熱く語っているのを見て「??」と驚いた記憶があります。まだ見ているのか・・と。

社会に出て、またロボットものを見るようになったのはエヴァンゲリオンの影響です。その中で、「逆襲のシャア」も見直し、とても高品質な作品だなーと感銘受けました。

でも、あのひねくれ者のアムロが、やけに唐突に大人になったなー、とか、ベルトーチカはどうなったんだ?アムロは次々に女が変わるが以外ともてるんだなーとかいう感想も、もちました。

私の中で、「逆襲のシャア」が特別な意味を持ち出したのは、30を過ぎ、子供が生まれ、映画の初稿「逆襲のシャア ベルトーチカ チルドレン」を読んでからでした。そこでは、アムロはベルトーチカとの間に子供を作り、自分はシャアより絶対的にまさっていると感じます。

「僕には、ベルトーチカという女性がいて、おなかには赤ちゃんもいる。これは、シャアにはない、絶対的な強みだ!」

そして、最後に、地球を守るために自分の命を犠牲にします。これは、映画「逆襲のシャア」とも、他の富野アニメによくある特攻とも決定的に異なる自己犠牲です。アムロは、素直に、自分の赤ちゃんを守りたかったのです。

赤ん坊がいた私は、本を読んで、涙が出ました。他の富野アニメと異なり、アムロの成長も、自己犠牲も納得いったからです。これは、自分に子供ができるという体験がなければ、感じなかったものでしょう。

最近、富野監督の対談集「戦争と平和」を読んだら、本人も、特攻について語る中で、

「ぼくみたいにかなり意気地のない男の子でも、ひょっとしたらそういう人間局面に立ったときに、女房子供のために「おめえ、たたき殺してやる。女房子供には触れさせねえぞ。逃げる時間ぐらいはもらうぞ。」というふうに考えて、死んでいけるだろうなってことを、少しは想像できるようになりました。」

と言っているのを読み、なんだ、富野監督も、結局は自分の子供のための自己犠牲のみが、自分でも実感わくシチュエーションなんじゃないか??あんだけいっぱい特攻させておいて、本当に実感湧いているのは、あのアムロの自己犠牲だけだったんじゃないか?と思うとともに、だったら映画版もあのまま作れば良かったのに、と思いました。

「逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン」は、アムロが結婚なんてヒーローっぽくない、とか、赤ん坊に価値を置きすぎでロボットのプラモ売るのに支障がある、という関係者からの批判を受け、映画化のさい、話は変わりました。

しかし、これは、私は、全富野作品の中で、唯一彼が犯した決定的なミスだったと思います。本人は変更を肯定的に説明していますが、本当は納得いっていないからこそ、初稿版を小説として出版したのでしょう。

アムロは、次から次へと女を変えたりせず(そんなにもてないはず)、また、子供ができてこそ、初めて(?)自己犠牲の感覚を持つような、平凡なキャラクターであるはずです(富野監督や私同様)。

そしてそれは、最初のガンダムを見たときに、誰もが、同一視できたであろう、ちょっと自己中心的でひねくれがちな、実際にいそうなキャラそのものの、自然な延長だったと思います。

それに比較し、間違っても結婚などせず、子供も作らないのは、シャアです。彼は、次から次へと女も変え、小説版「Zガンダム」でつぶやくように、子供を持つことに嫌悪感を持ちます。

さて、次は、アムロからシャアに話題を移します。

私が、シャアがなぜ、34歳で暴挙に(勝負に?)出ることにしたのかが、実感としてわかるようになったのは、自分が34歳で転職したときです。

この年齢というのは、自分が様々な面で社会的に高いスキルを持つ反面、肉体的な衰えを感じはじめる時期でもあります。何よりも、自分に柔軟性(新しい環境への適応性)が失われつつあることを、感じ始める時期でもあります。

だからこそ、世間一般に、転職は35歳を超えると、極端に難しくなるのでしょう。

つまり、シャアは、自分が何かやる場合、自分の能力をフルに働かせられるのは、今しかないと気づいていたのです。Zガンダムでハヤトが言ったように

「あなたは、たとえ20年、30年かかっても、地球の首相になる人です!」

といわれても、年取ってから人々を動かして何かをなすよりも、自分の力にまだ自信が持てるうちに、その力を最大限活かして試みたかったのだと思います。

さて、私の「逆襲のシャア」に対する思い入れや、理解は、子供の出産と自分の転職という2つの経験により、大いに深まりました。(それぞれ、アムロと、シャアへの共感です。)

このことは、富野監督の自伝「だから僕は」を読めば、十分裏付けられます。自分の能力に自信を持ちながらも何度も転職をし、アニメの道を断念しかけ、月収0円になり、子供が二人生まれ・・・・そういうのが、富野監督の30代前半です。

つまり、私同様、そして、アムロやシャア同様、30代前半というのは、子供が生まれたり、最後の職決めをしたりする(できる)時期なのです。

非常に、実感湧く設定です。

 

ところが、富野監督は、こういいました。

「この映画は、35歳以上の人にこそ、見て欲しい」

35歳以上ということは、もう、あまり転職したりもできないでしょう。子供も、赤ん坊ではない人が多いでしょう。

「逆襲のシャア」とは、そういう人を対象とした映画なのです。

私は、30歳から34歳の間に、子供の誕生や、転職を経験して、「逆襲のシャア」が身にしみるようになりました。35歳をすぎると、今度は、「逆襲のシャア」は、どのように見えてくるのでしょうか?

想像するに、今度は、自分の過去の物語として、見えてくるのではないでしょうか?

もしかすると、

「自分も、あのタイミングで、もっと大きな人生の勝負をかけるべきだったのではないか?」

というような軽い感傷(あるいは深い後悔)かもしれません。

あるいは、子供が生まれた時の、独特な気持ちを思い出すのかもしれません。

もしくは、また、全く予想もしないようなことに気づいて驚かされたり、涙するのかもしれません。

私にとって、今より年をとることから想像できる喜ばしいことといったら、ようやく「逆襲のシャア」の対象年齢となり、本来の意味で作品鑑賞ができるだろうということです。

その時、作品から自分が何を感じるのか、今から楽しみです。


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