貞本版エヴァ最終回の雪についての解釈

さて、今回は、貞本版(コミック版)エヴァ最終回についての解釈です。

といっても、最終回そのものではなく、なぜ雪が降っていたか、逆に言うと、なぜアニメ版(映画版)では雪が降らなかったかです。

エヴァは、ご存じのように、常夏の物語です。セカンドインパクトで地軸がずれ、常に夏となっています。これは、TV版、映画版とも同じです。

ところが、コミック版最終回では、異なる世界になったことがわかります。(映画で言うと、ONE MORE FINALの部分です)。

そこでは、人々は皆普通に学校に通い、シンジとアスカはすれ違い、そして・・雪が降っています。

夏の物語のエヴァンゲリオンで、雪が降っている・・これは、世界が変わったことを端的に示す、素晴らしい演出だと思います。エヴァンゲリオンの最終回として完璧でしょう。

この案を、THE END OF EVANGELION制作時に、貞本さんは庵野監督に提言し、庵野監督も乗り気だったそうです(最終回インタビューによる)。ところが、作られた映画は、冬ではありませんでした。貞本さんは、なぜその案が使われなかったか分からなかったようです。

これは私の想像なのですが、庵野監督は、雪の案は忘れていたわけではなく、覚えていたと思います。ただし、検討した結果、使わなかったのでしょう。

理由は、おそらく、ラストが冬で雪となると、Vガンダムのラストとかぶってしまうのを嫌ったのではないでしょうか。当時、エヴァの元ネタは何かという指摘合戦が多くなされていました。そのなかで、Vガンダムは、キリスト教的世界観の導入(天使の輪や羽根、マリア崇拝)、母が作ったマシンということなどで、エヴァに最も影響を与えた作品のひとつとされていました。

また、Vガンダムの、エンジェル・ハイロウという機械は、人から理性を奪い、眠りにつかせ、新たな人類として再生させるという、まさに人類補完計画のひとつの型でした。(小説版)

そのVガンダムが、夏のシーンではじまり、ラストが雪で終わる物語であったことが、庵野監督が同じ展開を嫌ったひとつの理由ではなかったでしょうか。THE END OF EVANGELIONでは、他にも、弐号機がやられるシーンで、デビルマンそっくりにならないように演出を変えたともいいます(永井豪さんとの対談より)。同じように、Vガンダムそっくりになるのを避ける心理が、意識的か無意識的にか、働いたというのが、私の解釈です。

まあ、実際のところがどうかは、当時のスタッフの方たちも今となっては明確に思い出せないかと思いますし、あくまでも推測にすぎませんが・・。まあ、そういう理由でも想定したくなるぐらい、雪の演出は、エヴァの最終回としては素晴らしいアイデアだと思います。


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