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Leaving Neverland : あのドキュメンタリーについて知っておくべきこと (2019/4/11 23:22:34)
マイケル・ジャクソンが2009年に亡くなった時、ウェイド・ロブソン(元振付師、彼による性的虐待の告発は、論争となっているドキュメンタリー、Leaving Neverlandの中心人物である)は友人に宛てて弔辞を書いている。
「マイケル・ジャクソンは世界を変えました。そしてもっと個人的なことを言えば、私の人生を変えました。彼は私がダンスをする理由です。私が音楽を作る理由です。そして私が人間のピュアな善良さを信じる最も重要な理由です。彼とは20年にわたる親友でした。彼の音楽、彼のムーヴメント、彼のインスピレーションと励ましの言葉、そして彼の無償の愛は私の中に永遠に生き続けます。私の寂しさは消えません。しかし私は知っています。彼は今、安らかです。そしてメロディとムーンウォークで天国の人々を楽しませています」。
ロブソンは当時27歳。その4年前、彼はジャクソンの2005年裁判で、二人の間には性的なことは何もなかったと(大人として)証言した。裁判の前の数年間はロブソンはジャクソンとは会っていない。そして弁護側に立って証言しなければならない義務はなかった。彼は、宣誓下で偽証した場合のペナルティを理解した上で、激し反対尋問を受けた。しかしロブソンは断固として、自信を持って、そしてしっかりと性的なことは何もなかったと断言した。
それから今までに何が変わったのか。何点か指摘しよう。
・2011年、ロブソンはジョン・ブランカ(マイケル・ジャクソン・エステートの共同執行人)に連絡をとった。用件は、マイケル・ジャクソンとシルク・ドゥ・ソレイユの新作プロダクション、ONEの監督に関することだった。彼はその仕事を”とても”望んでいたと認めている。しかしエステートはそのポジションには他の人物を選んだ。
・2012年、ロブソンはノイローゼ患った。自身の説明によれば、取りつかれたように成功を求めたことが引き金になったという。彼自身の言葉で言えば、彼のキャリアは”崩壊”し始めた。
・2013年、ロブソンはジェームズ・セイフチャック(彼も80年代後半にジャクソンと過ごしていた)とともに、150万ドルの民事訴訟/債権者請求を提訴した。セイフチャックは、ロブソンが訴訟を起こしたことで自分が虐待を受けていたと認識したと主張している。この訴訟は遺言検認裁判所において2017年に棄却された。
・2019年、サンダンス映画祭で、ロブソンとセイフチャックの告発にのみ基づいたドキュメンタリーが公開された。このドキュメンタリーは明らかに感情的で騒ぎを起こすような内容であったが、新たな証拠や証言は提示されなかった。ドキュメンタリーの監督ダン・リードは他の重要人物の証言を取ろうとは思わなかった。それは語ろうとするストーリーが複雑に、あるいは妥協になりかねないからだとダン・リードは認めている。
ジャクソンと性的違法行為の大掛かりなストーリーを結びつけることはメディアにとって魅力的なことである。R・ケリーは一本のドキュメンタリーによって当然引きずりおろされた。そして多くの著名人たちがここ数年暴露されており、そのロジックで、マイケル・ジャクソンも有罪に違いないということになっている。しかしながらそれは、公正な人々はマイケル・ジャクソンが悪いと非難する前に注意深く考える良識ある人々である(からこの告発は本物である)とする危険な飛躍である(特に、黒人男性を狙いうちにし、有罪にしてきた不公正なアメリカの歴史においては)。誤った告発でひどい目に遭う黒人男性(トム・ロビンソン)の話、「アラバマ物語」がジャクソンの好きな本(映画)であることは偶然ではない。
メディアによる無批判なサンダンスからの切り取り報道では忘れられているようだが、マイケル・ジャクソンに対する告発ほどマスコミに詮索された疑惑などないのである。メディアは90年代中盤に2年間にわたり特ダネ合戦を繰り広げ、2000年代中盤にジャクソンが消耗戦となった刑事裁判を受けた際にも再び同じことをした。彼の自宅は司法当局による不意打ちの家宅捜索を二度受けて徹底的に調べられた。犯罪に問われるようなものは何一つなかった。2005年の裁判では保守的なサンタマリアの陪審員でさえ、すべての容疑で無罪とした。同様にFBIも徹底的な捜査を行った。300ページもの報告書が情報公開法のもとで公開されたが、不法行為の証拠は報告されていない。
一方、子供時代にジャクソンと過ごした多くの人々は、性的なことは何もなかったと今でも断言している。この中にはベラ・ファーカス(ジャクソンが肝臓移植の費用を負担した)やライアン・ホワイト(ジャクソンはエイズと戦ってた彼と友人になり支援していた)といった病気(末期患者)の子供たちもいる。一般の人々としてはブレット・バーンズやフランク・カシオ、著名人にはマコーレー・カルキン、ショーン・レノン、エマニエル・ルイス、アルフォンソ・リベイロ、コーリー・フェルドマンらがいる。ジャクソンの甥たち、姪たち、そして彼自身の3人の子供たちもいる。
ジャクソンに対する告発はこの10年間で大方消え去った。その理由は、ビル・コスビーやR・ケリーとは異なり、ジャクソンに対する告発を多くの人々が見れば見るほど、彼が無実であると証拠が示すからだ。2005年の裁判は特に問題で、ローリング・ストーン誌のマット・タイービはこう記している。
「表向きは性的虐待者に正義をというストーリーだが、マイケル・ジャクソン裁判は、詐欺師、甘い汁を吸おうとする者、才能のない策謀家、失業状態から抜け出せない、あるいは情報化社会から取り残され、あらゆる手を尽くして現金を狙う、そんなアメリカによくいる人間たちの品評会のようなものだ。進行役は地方検事トム・スネドンだ。このアメリカ風リアリティショーにおける彼の役割は”ニクソンのサイレント・マジョリティー(パリへ休暇で行ったというような人に対し意地悪をしたくてムズムズしている口の悪い凡庸な者たち)”の底意地の悪い陰鬱な気持ちの代弁者である。裁判の最初の1か月ほどの間には、アメリカの刑事裁判史上おそらく最もみっともない検察側証言者が集合した。有罪判決を受けた嘘つきの集団、ゴシップ売人、あるいはもっと・・・・。
その後の6週間、事実上、スネドンの打ったどの手も公の法廷で崩壊し、ドラマの脚本は急速に、スネドンがすべての証人を手錠をかけられて退廷させられることなく証言台に立たせることができるかどうかを競うものに変化した」。
この時から何が変わったのか?
ロブソンの場合、虐待が起きたとされる十数年後にマイケル・ジャクソンやその子供たちとバーベキューをしている。マイケル・ジャクソンの追悼式典の入場券を入手しようとしていた。トリビュートにも参加している。「僕の携帯には彼の番号がまだ入っている。彼のメッセージを消すなどということは毛頭考えられない」と彼は2009年に書いている。
そして20年後、彼のストーリーは変化し、15億ドルの訴訟として彼の新たな主張が登場したのだ。エキセントリックで金持ちのアフリカ系アメリカ人として、マイケル・ジャクソンは常に訴訟のターゲットとされてきた。80年代と90年代には多くの女性たちが子供の父親は彼であるとウソの主張をした。楽曲の盗作で何度も訴えられた。最近では2010年に、ビリー・ジーンなる女性がエステートを相手に根拠のない6億ドルの父子鑑定訴訟を起こしている。
マイケル・ジャクソンについて膨大な調査を行った者として、彼に近かった数多くの人々にインタビューを行った者として、そしてプライベートな情報を得る許可を得た者として、私の判断は、証拠がマイケル・ジャクソンの有罪を指示していないというシンプルなものだ。ロブソンとセイフチャックの修正された説明とは対照的に、彼を知る人々が語ることは一貫している。友人、家族、コラボレーター、アーティスト仲間、レコーディングエンジニア、弁護士、ビジネス関係者、警備員、元妻、そして彼自身の子供たち。彼を最大限に知る人々だ。彼らは言う、マイケル・ジャクソンは優しく、才気あふれ、繊細で、時にナイーヴで、時に子供のようで、時に無頓着だったと。しかし彼が子供を性的虐待したなどと信じている者は一人もいない。
追記
私は性的虐待の被害者の皆さんに対し深く同情するものでありますことをここに明確に申し添えます。また、私は適正な手続きの原則を、特にアメリカの歴史を考慮すればそれが有色人種に対して行われることを深く信じています。本記事は、マイケル・ジャクソンに対する告発に関して、その背景についていくつか提示することを意図しています。しかしながら、突き詰めれば私は現場にいたわけではありませんので、ウェイド・ロブソンとジェームズ・セイフチャックが経験したことについて話をすることはできません。真実が勝利し、すべての傷ついた人々が癒しを見出すこと。それが、すべての関係者に対する私の偽りのない望みです。
Source: forbes.com