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Leaving Neverland : シュライハー家よりのオープン・レター (2019/3/9 1:30:36)
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1995年、私たちはドイツのテレビ番組でマイケルと最初に出会いました。あの日、私たちが夢にも思わなかったことが起きました。それが、少し変わった友情の始まりでした。普通の友情、そして普通とは違う、魔法のような友情。マイケルの最期の日まで続いた、そして私たちの心の中では永遠に続く友情です。
初めから、私たちが特権的に経験することは守るべき大切なものであることが分かっていました。特に、真実を追求するより売れる話をでっち上げるメディアや、真実を知るよりもショッキングな見出しを読みたがる人々がいる、私たちが住むこの世界においては。長い間に、私たちは数十万ユーロでのインタビューのオファーを受けました。しかし、どれほどの大金を積んでも、私たちのマイケルとの思い出を上回る価値を具体化ことはできません。私たちの友情について、今まで決して公には話さなかったのはこのような理由からです。
最近、話をすることに関して私たちの考えを変えることがありました。マイケルを再び幼児虐待者として描こうとするドキュメンタリーというショッキングなニュースです。このように書くだけで、彼の名前とこの言葉を組み合わせるだけで気分が悪くなります。マイケルは私たちに対して一度たりとも不適切な振る舞いをしたことはなく、他のだれかにそのようなことをしているのを見たことも疑ったこともありません。
私たちは、過去の幾度にもわたる一般のマイケルへの扱いについて怒ってきました。でも私たちは沈黙を選びました。真実が行きわたり、そしてマイケルと彼のプライバシーは守られると望みを託して。
それから私たちには怒る正当な理由がありました。例えば、アントンがマイケルとホモセクシャルな付き合いをしているという絵をタブロイドが描いた時です。私たちは直接目撃したのです。メディアがいかに醜悪になりうるか、そしてネタをつかむためというただそれだけのために恐ろしいウソをでっちあげるそのやり方を。電話で質問してきたジャーナリストに対し父が拒否すると、「父親はマイケルを擁護することを拒んだ」といった具合に話が出来上がりました。残念ながらスキャンダルは何より高く売れるのです。
マイケルとの長い付き合いの中で、私たちは二面性のある人々というものを経験しました。一度や二度ではありません。マイケルがいるときは善良でチャーミングさを演じているのですが、彼が他所を向いていると、彼らは粗野になり、善良でもなんでもないということがすぐにわかります。私たちの前では彼らは真の顔を示すことを気にも留めていませんでした。私たちは恥ずかしがりやのドイツ人一家にすぎず、注意を払う価値もなかったのです。しかし私たちは観察し、ゆっくりと、しかし確実に、マイケルが住む難しい世界を見るようになりました。そこは、信じるということがとても難しい世界でした。
それでも彼は誰に対しても親切で、善良さというものを強く信じていました。それをナイーヴと呼ぶ人もいます。私たちにとっては彼の性格の一つであり、それゆえに私たちは彼を尊敬するのです。誰にでもチャンスを与える、何度も何度も騙した人にさえも。これは本当にすごいことです。そして、未だにそれを利用して利益を得る人々が多くいるということが私たちをより一層悲しい気持ちにさせます。
マイケルの近くにいたことで、私たちは、誰もが彼のおこぼれにあずかりたいのだということを実感しました。私たちは不思議に思っていました。彼はなぜ、たくさんの人々の中から私たちを信じるに足る友人のサークルに入れたのだろうと。今では理解しています。おそらく、私たちが彼から何も欲しがらなかったから、一緒にいることをただ楽しんでいたからだと。私たちの教育費を出そうと彼が申し出たとき、両親はそれを断りました。ギフトとしては過分だという理由です。私たちとしてはそれは馬鹿なことでしたが、今振り返ると、マイケルはそういう経験があまりなかったのではないでしょうか。
マイケルの名声とお金のおこぼれにあずかりたいと思う人々は、人としてのマイケルを、そして彼の親切さや人を元気にする心を気にも留めていませんでした。それは真に恥ずべきことであり、私たちはそういう人たちを不愉快に思います。お金に目が眩み、世界が何世紀に一人しか見ないであろうユニークさをもつ人物に会うという栄誉を得ていることが彼らにはわかっていないからです。彼の音楽、彼のメッセージ、彼の創造力と天賦の才能は真に比類なきものです。
私たちのマイケルとの友情は、ぶらついたり、電話でおしゃべりしたり、映画へ行ったりといった友人同士でやることという意味ではごく普通のことでした。そして、人の心をとらえる温かさという意味ではそれは魔法のようなことでした。彼のそばにいると居心地よくそして安心なのです。彼は私たちが知るなかでは最も謙虚な人でした。常に自分よりも他人の幸せを優先していました。彼の純真さや善良さを疑ったことは一瞬たりともありません。だから私たちの両親は私たちだけでマイケルと旅行に行くことを許したのです。
今日はお話していますが、私たちの個人的な話については秘密を守り尊重したいと思います。私たちがお話できるのは、マイケルにサヨナラを言わなければならない時はいつも私たちは泣いていたということです。彼に会えないことが寂しいことがわかっていたからです。私たちが一緒にすごした時間は楽しい時間でした。水風船合戦でノリノリになる一方で、彼は偉大な師であり、人生を教えてくれたり、彼の素晴らしい知識をシェアしてくれたりしました。私たちがライト兄弟の話を聞いたことがないと知ってその話を私たちにしてくれている時の彼の喜んでいる様子をよく覚えています。私たちの勉強用にと本や映画をくれました。彼は私たちに才能を伸ばすようにと盛んに言いました。
私たちの話が、マイケル・ジャクソンについて何を信じるべきか疑っている人々にとっての小さなパズルを一つつなぎ合わせることしかできないということはわかっています。彼が無実であることを疑っている人々に対し、私たちは自分で調べてくださいとしか言えません。そしてもし、マイケルが2005年の裁判であらゆるプライバシーの侵害に耐えなければならなかったという事実、それでもすべての容疑で無罪とされたという事実を知り、こうした事実でもまだ不十分であるというのなら、彼の音楽をただ聴くこと、それだけでよいかもしれません。
これまで多くのファンの皆さんとお会いした中で、私たちはファンの皆さんがどれほど人として「彼を理解」しているか、とても驚かされました。個人的に会ったことがないにもかかわらずです。マイケルとファンは他にはない友情関係にあります。彼はファンを信じたし、そしてファンが彼の良心を信じ続けることに疑いの余地はありません。みんな彼の音楽を聴き、彼の言葉を聞いている、ただそれだけです。彼のこの世での使命は、メロディとリズムという形で幸せをもたらすということだけではなく、世界をよりよいものへと変革するということがみんなわかっているのでしょう。
みなさん、彼は私たちに、ベストを尽くし、お互いに愛と尊敬を示せと促していることでしょう。それでも人々は、彼がもたらしたすべての偉大なことに影を落とす恐れのあるウソの数々を誇張するでしょう。
もうたくさんです。
今日はマイケルのためにお話ししました。彼がそれに値し、そして私たちにとって考え付く限り最高の友達だからです。
Source: schleiter-family.com