エヴァンゲリオンの「オリジナル」について



1.エヴァンゲリオンの本質的な特徴とは

 

新世紀エヴァンゲリオン(以下エヴァンゲリオンと記述)ほど、多様な受容をされたアニメはなかっただろう。

特集を組んだ雑誌も多彩なら、評者の論点も様々であった(アニメ史、精神分析、世代論、現代思想、おたく文化、オウムとの同時性など)。 

エヴァンゲリオンというアニメの本質的特徴は何だったのか、というテーマ一つに関しても、解釈の視点はバラバラであり、決してまとまることはなかった。 

その一方、ファンはストーリーの解釈や、キャラへの思い入れなどにより、やはり多様なエヴァンゲリオン像をうちたてていった。

インターネットでは、サイト数は一時1000を超えていたと思われる。

テーマも、謎解き、エッセイ、ストーリーを補完する小説、オリジナルの物語、イラストなど様々であった。 

なぜこれほど多様な解釈と反響が生み出されたのか。

 ひとつには、この作品が、まれにみるほど多くの情報を取り込みつつも、ストーリーの肝心な部分は明確にしないため、多様な解釈を許す作品になったという面がある。

 もちろん、これは、作品自体が狙った戦略でもあった。 

エヴァブームの頃、様々な雑誌で、エヴァのあのシーンはあそこから来ている、あの作品の影響を受けている、という指摘合戦が続いた。

 製作者が明確に狙っていると思われるものから、こじつけに近いものまで、膨大な指摘があったと思う。小説や漫画や軍艦からとられた、登場人物の名前や各回の題名、ちりばめられた精神分析や遺伝子関連の用語、70年代の特撮やかつての名作アニメ、SF等を思い起こさせる演出などなど。

 それぞれの引用は、それぞれの元ネタに親しみのあるファン達から歓迎され、それぞれの論点からの解釈を生み出すのに成功した。

いくつかの分野に関しては、専門の学者達までコメントを与えていた。 

「ありとあらゆる人が見た時に、自分の鏡となって返ってくるような作りになっている。情報量がやたらと多いし、見た人の投射がそのまま返るようになってますからね。各個人によって感じる面白さも違う」(庵野監督「スキゾ・エヴァンゲリオン」) 

作品自体が、多様な関心をひくことで話題を広げることを狙うという戦略は、間違いなく成功したといえるだろう。 

一方、膨大な解釈が生み出されたにも関わらず、作品の、いわゆる「謎」とされる部分の解明や、物語の統一的な把握の試みは、ほとんど成功しなかった。

少なくとも、万人が認める基本的解釈といったものさえ、まとまらなかったし、細かく分析すればするほど、矛盾が生じてくる面もあった。

また、製作者自身、最初からきっちりと作品世界を考えた上で製作したわけではないことを明言していた。

 「ライブ感覚。その時のその状況に合わせて全部つくっている」 

「実際は、「補完計画」て全体の半分ぐらいの話数まで、人類を補完するって、何を補完するんだろうって、ハッキリとは決めずにやってましたからね」(庵野監督「アニメージュ1996年7月号」)

 その結果、生み出された一つのエヴァ本質論は、「エヴァの本質とはその多様な素材をサンプリングする手腕にある」という見解である。

「彼らは思う。もはやこの世にオリジナルなんて存在しないのだと。…センスさえあれば、コピー以上のコピーにする事も可能ではないのか?彼らがかける一点がそこだった。未果てぬオリジナルの幻想を追うよりそのほうが現実的だし、何よりも楽しいではないか。…そもそも彼らは究極のコピーバンドとしてデビューしていた」(竹熊健太郎「スキゾ・エヴァンゲリオン」)

「先人達にとっては、無謀とも思える冒険だった。新しい表現技法や作品テーマというリソースを自在に継ぎ合わせて華麗な作品を作り上げてきた。オタク文化へのリミックス、あるいは古典へのオマージュで構成された、壮大なる引用の大伽藍」(永瀬唯「スタジオヴォイス1997年3月号」) 

「おそらく個々の引用は強い思想にもとづいてなされたものではない。だが、それが一定の量を越えると、作者の意図とは関係なく、過剰な意味作用を引き起こすのだ。つまり、たとえ思想が浅いものであっても(実際、そうなのだが)、膨大な引用によって事後的に奥行きが発生する。それがあたかも最初から存在していたかのように。…思想が一貫していないがために、引用による意味の隙間は多い。だが、それは副次的な言説と物語を生成させるのには、かえって好都合である。なぜなら、こうした隙間を後で勝手に結びあわせて、幾つもの言説と物語が紡がれるからだ。エヴァは常に過剰な情報量をもちながら、何か決定的な情報が欠如している」(五十嵐太郎「エヴァンゲリオンスタイル」)

 

 つまり、エヴァの本質とは、過去の名作や、様々なジャンルの知識を、秀逸にリミックスすることに成功した点であり、エヴァにオリジナルな点があるとすれば、そのようなリミックスを徹底的にやったこと、手腕が優れていたことなのではないかという考えである。

 しかしながら、これらの論点に疑問が残るのも事実である。

例えば、庵野監督の他作品においても、引用、パロディなどは豊富に用いられていた。確かにエヴァの方が徹底的に、かつ優れたセンスで扱ったとは思うが、その、相対的な程度の差が、他作品とEVAとを分ける本質的な違いなのだろうか。 

むしろ、同監督のそれまでの作品とは決定的に異なる何かが、EVAにはあったのではないだろうか。そして、それこそが、エヴァンゲリオンにとって、本質的な魂だったのではないだろうか。

 

 以下、つづく

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2.オリジナリティという問題

3.エヴァの方法論の功罪 

4. 「僕には何もない」〜コピーが魂を獲得する時 


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