第一章

第一章

<生きること、死ぬこと>エヴァにおける2項対立

まずは、エヴァにおける2項対立を抽出し、エヴァにおける世界観がどのような基本的背景、枠組に準拠しているのかを見つけます。


1.シトとヒト
1話から24話までの基本的なエヴァの物語は、
永遠の命をもつシト    VS      限りある命のヒト
という構図をもつ、生存競争となっております。

シトは、生命の木を守護し、無限に近い生命力を持っています。
ヒトは、知恵の実を食べた結果として、出産することと、死ぬことが義務づけられています。

全てのシトが倒されたあと、生命の木は現れます。一方、シトを倒そうとするヒト、つまりネルフのマークはイチジクの葉です。これは、知恵の実を食べて自分たちが裸なのに気づき、イチジクの葉であわてて身体を隠したことに由来します。つまり、生命の実より知恵の実を選び、その結果知恵とともに死を獲得したヒトというものを象徴しています。

生命の実(S2機関などで象徴される) 知恵の実(ネルフマークなどで象徴される)


ここで、生命と死という、エヴァの2項対立は、肉体的なものだけでなく、精神的なものにも関連することを思い出してください。つまり、生への意思(リビドー)と死への意思(デストルドーまたはタナトス)です。

リビドー               デストルドー

ヒトが自己の形成を失っていく際には、デストルドー(死への本能)が、逆に形成されていくさいにはリビドー(生の本能)が認められます。20話、26話など。

これらの単語は、精神分析の用語ですが、あくまでも、生と死へ向かう力として、つまり、エヴァの2項対立的世界の枠組みとして、用いられていることに注意してください。

 


2.子育てする女と、キャリアに生きる女
シンジは時に死を願います。この死を願うという心は、シンジのみならず多くの人物にとって、語られます。


シンジ「もうやだ。死にたい。何もしたくない。」
アスカ「私が生きていく理由もないわ。」
リツコ「私を殺したいのなら、そうして。いえ、そうしてくれるとうれしい。」

挫折感の強いときに、生きることが苦痛になるのは、一般の人間としては、ごく当たり前のことでしょう。

しかし、どんな状況であれ、生まれること、生きることを賛美する人物がいます。

ユイ
「生きていこうとさえ思えば、どこだって天国になるわ。だって、生きているんですもの」
「ヒトはこの星でしか生きられません。でも、エヴァは無限に生きていられます。」
「たった一人でも生きて行けたら、とてもさびしいけど生きていけるなら」


ユイは、将来を期待されながらも、家庭に入ることも考えています。
「(キャリアを追うのではなく)家庭に入ろうかとも思ってるんですよ。いい人がいればの話ですけど。」

研究を続けたのも、シンジのためだったのかもしれません。最も重要な実験の時には、シンジを研究所へ連れてきます。
21話「この子には、明るい未来をみせておきたかったんです。」


そして、これとは対照的に、キャリア一筋の女研究者達がいます。

21話赤木ナオコ「ごめんなさい。ずっと放任していたものね。いやね。都合のいい時だけ母親面するのは」
赤木リツコ「私は、母親にはなれそうもないから」
22話アスカの父「彼女(アスカの母キョウコ・ラングレー)は、自分なりに責任を感じているのでしょう。研究ばかりの毎日で、娘をかまってやる余裕もありませんでしたから。」

ユイの登場シーンの多くは、シンジが一緒です。一方、リツコ、キョウコ、ナオコは、子供よりも仕事が中心の人生であることがはっきり説明されています。

子供を顧みずにキャリアや恋を追う母親および、母親になることを拒否している女性たちに必ず待っているのは、自殺(心中未遂含む)です。

まるで、生命を生むこと、育てることに情熱のない人間には、自分自身生きる資格はないかのようです。
それに対して、ユイは、永遠に生き続けます。

つまり、生きること、生命を生み育てることへの賛美と、それらを拒否すること、死を願うことが、きれいに対比させられているのです。

このような観点からすると、出産を嫌悪していたアスカが、自暴自棄になるように生命の危機に近づき、また、母を身近に感じることで生命への意思を取り戻す24〜25話は象徴的です。

母になることの否定
「子供なんて絶対いらないのに」
→シンクロ率低下
「もう私がいる理由もないわ。誰も私を見てくれないもの。パパも、ママも、誰も。私が生きていく理由もないわ。」

* 子供の拒否から生の否定への流れは、先ほどあげた女性たち(リツコ・ナオコ・キョウコ)と同じです。しかし、この流れは、アスカが母親を感じることで逆転します。

母への共感
「ママ、ここにいたのね」
「私を護ってくれてる。私を見てくれてる。ずっとずっと、一緒だったのね、ママ」
→シンクロ率上昇
「負けてらんないのよ、あんた達に」

この、生と死の対比、生命を育むことを肯定するか、それを拒否するかというのは、エヴァにおいて様々な次元で現れます。

この対立を端的に現しているのが、ユイとゼーレの対比でしょう。
ユイが、生命を産み、育むことに情熱をかける若い女性であるのに対し、年とった男達からなるゼーレは「老人たち」と呼ばれています。
生と死の対比が明瞭に見て取れます。

 


3.文化の極み(歌)
夏エヴァのテーマソングはタナトスでした。これは、デストルドーと同様に死への本能を表します。同じように解釈できるのが「魂のルフラン」です。これも、「私に帰りなさい。生まれる前へ」という、無への誘いを含みます。一方、ルフラン(繰り返し)というくらいですから、生と死の両方を含むともいえます。
「FLY ME TO THE MOON」は、タナトス同様に、一貫して死の世界を願っています。エヴァにおいては「月」がガフの部屋として、つまりは生まれる前を象徴していることに注意してください(黒き月、白き月など)。

一方、「残酷な天使のテーゼ」は、過去への退行に魅力を感じながらも、最終的には生への意思を訴えているのがわかります。これについては、また後でふれます。



4.人類補完計画
ゼーレの考えていた人類補完計画とは、無への(より正確に言えば、始源への)回帰です。このために、強力なデストルドーが必要とされたのです。
また、永遠の命をもつシトを、全て殲滅することが人類補完計画への手段でした。
結果として、自我は消滅し、魂の安らぎを得るはずでした。

一方、永遠の命を持つシトを利用し、ヒトを永遠の生命体とすることが、ユイの目的でした。なによりも、生きることが重要なのです。

ユイの補完計画(一人でも永遠に生きる)  ゼーレの補完計画(死でひとつになる) 


それぞれの計画を背景に、エヴァ製造の目的自体が正反対であることに注意してください。
ユイにとってシトとヒトの融合であるエヴァは、あくまでもヒトが永遠に生きるためですが、ゼーレにとってのエヴァは、シトを全滅させるとともに、儀式により全てを無に返すためのものなのです。

エヴァ製造の理由:
ヒトとシトの融合により永遠に生きる     シトとヒトの無への回帰


5.こころ
人類補完計画とは、ゼーレにとっても、ゲンドウにとっても、心の平安であるという点で一致しています。
キール「それは、魂の平安でもある」
ゲンドウ「ヒトは、一人では生きていけないからだ」
    「全ての心が一つとなり、永遠の安らぎを得る」

それに対し、ユイはこういいます。

ユイ「生きていこうとさえ思えば、どこだって天国になるわ。だって、生きているんですもの」
「たった一人でも生きて行けたら、とてもサビシイけど生きていけるなら」
不幸であっても、生きてさえいれば、幸せにつながる道は必ず存在するというのが、ユイの考えなのです。


心はどうあるべきか:
生きていれば幸せになるチャンスはある      魂の平安なしでは生きられない

ユイは、たとえ不幸なことがあろうとも生きることを選ぶのです。魂の不安定さは、全くおそれていません。

 


6.生と死の2項対立の図式化
以上、適当に見てきましたように、エヴァにおける世界の枠組みは、様々なところまで、基本的に2項対立で現せます。

<生きること>            <死ぬこと>
ユイ(子育てに情熱をかける若い女性) ゼーレ(老人たち)
生命を愛する母(ユイ)        自殺する母(リツコ、ナオコ、キョウコ)
ユイの補完計画(一人でも永遠に生きる)ゼーレの補完計画(死でひとつになる) 
永遠に生きるためのエヴァ       全てを無へ回帰させるためのエヴァ
生きていれば幸せになるチャンスはある 魂の平安なしには生きられない
リビドー(生への欲動)        デストルドー(死への欲動)
残酷な天使のテーゼ(未来への羽根)  タナトス(無への願望)



エヴァのストーリーをこの観点からまとめると、
永遠に生きるもの(シト)      死すべきもの(ヒト)
という対立があり、この状況を打破しようとするユイとゼーレがいます。
対立するシトとヒトを融合したエヴァを製造することで、永遠に生きようとしたのがユイであり、両者を等しく無に返そうとしたのがゼーレです。

どちらにとっても、最初のステップは、シトの力を持つヒト、エヴァを作成することであったわけです。

結局のところ、エヴァの世界の枠組みは、ユイとゼーレによって規定されているといってもいいでしょう。




7.対立する2項を調停する第3項
<心の動き>
主人公であるシンジは、逃げることと回帰することを繰り返します。
とくに、そのうちの何回かは、自我をなくすこと(あるいは、死ぬこと)と、生きる決意をすることとの往復です。16話、20話、25話、26話など。

<戦いの進行>
ストーリーは、基本的には、永遠の命をもつシトと、限りある命であるヒトとの戦いという形態をとります。その役割を担うのが、シトとヒトの中間であるエヴァです。

<政治の動き>
物語の謎は、人類補完計画を軸に動いていきます。これは、ひとりでも永遠の生を目指すユイと、みんなで無を目指すゼーレという2大原理の中で、両方を継ぎ足したゲンドウの補完計画(融合はしたいが、死ぬ気はない)を軸に展開します。


以上見ましたように、物語は、2項対立という静的関係をゆるがす3番目のファクターによって動いているのです。

まとめると、
(内面的なレベル)
@死を願うこと                      新生すること
                    シンジ

(宗教的・戦闘的なレベル)
A死すべきもの(ヒト)                  永遠に生きるもの(シト)
             両者の融合であるエヴァンゲリオン

(政治的なレベル)
B死と融合(始源への回帰)を目指すゼーレ         生を目指すユイ             
                生と融合を目指すゲンドウ

物語の枠組みである2項対立の間に立つ、第三項によって物語は進行していきます。
しかしながら、第三項は、本来的に、どっちつかずの不安定さを抱えています。最後は、どこかで動きをやめることになるはずです。


8.まとめ
<2項対立による世界の枠組み>
エヴァの世界は、生に向かう動きと、死に向かう動きがあり、衒学趣味といわれた様々な用語も、それらにのっとって使用されています。それは、種の対立にも(シトとヒト)、社会の動きにも(人類補完計画)、登場人物の内面にも(シンジの心)、運命にも(2タイプの母親たち)関与していますし、歌にまで通じています。
この二つの方向を具現化し、物語の枠組みを決めているのが、ユイとゼーレです。

<物語を動かす3項目>
この、生と死の2項対立の中で、不安定な位置を占めている第三項が、物語を動かしているゲンドウやシンジやエヴァです。これら第三項の位置に決着がついて、動くことをやめたとき、物語は終わらざるをえないでしょう。




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