はじめに


舞台 第二次大戦のドイツ

主人公はヒトラーユーゲントに所属する少年。

ユダヤ人は血が汚く、世界を破滅に導く悪魔だと教育されている。その教育のままに、いつも積極的にユダヤ人のアジトをあばき、収容所に追いこんでいる。


ある日、一人の少女と出会う。彼は彼女と仲良くなり、恋をする。

しかし、やがて彼女はユダヤ人であることがわかる。

彼は、ユダヤ人であることが本当に悪なのか、わからなくなる。

そして仲間や上官達と共にユダヤ人狩りにでかけたさい、彼女を見つける。

彼は、上官の命令のもと、強制収容所行きを拒否する彼女を、銃殺する。

だが、彼は自分のしたことが正しいことだったのか確信が持てず、悩み続ける。

そして、ナチスの教義が確信できなくなった彼は、一切の、ナチズムに基づく行動を拒絶することを決意する。

次のユダヤ人狩りの日、彼は上官の命令にそむいて参加をやめる。

上官は、彼を軟弱者と罵るが、何が正しいかわからなくなった彼は、唯一誠実な態度として、何もしないことを選ぶ。

やがて、ドイツは負け、戦争犯罪人が処刑されていくなか、彼は、ユダヤ人達からリンチをうけ、処刑されることとなる。

殺される直前、人間に絶望した彼の脳裏をよぎったのは、自分のようにナチズムを信じていた人間が、ユダヤ人である彼女を好きになれたこと、つまり、もしかして、憎しみ合っている人類にも、理解しあえる可能性は存在するのかもしれないということだった。

 


エヴァンゲリオンの物語とは、実はこのような観点でも理解ができる(もしくは、このような理解が必要な)物語でなかったのかというのが、以下の文章の趣旨です。


以下では、三つの問題を扱います。


@ シトは本当に人類の脅威だったのか。

Aシトの血はなぜ青いのか。

B 25、26話において、シンジはなぜ戦わなかったのか。


この、いっけんかけ離れた3つの例が、実は同じ一つの問題であること、そして、この点がエヴァンゲリオンを理解する上で、重要である可能性を示すのが、この文章の目的です。

 


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