宮崎駿監督は、新ルパン三世という企画そのものに反対だった。
「新ルパン」が始まるというときも「やらないか」という話があったんです。そのときの大塚さんから「新ルパン」をするかどうかの相談を受けたりもしたんですが、ぼくは「もうルパンでもないよ」などと返事をしていたんです。
それに、実際に放映された新ルパンを見て、怒りを感じた。
「どんなドタバタでも、何か思い入れのタネがどこかにかくされた核としてないと、やっちゃいけないことも平気でやりだしてしまう。銃で何でも始末をつけようとする男でも、こういうときには絶対撃たないんだということが、作る側にはっきりわかってないとただの機械みたいになってしまうんですね。
その後、映画「カリオストロの城」をやることになったとき、自分自身の実年齢の増加にあわせて、もう一度ルパン像を考え直し、ルパンの年齢も大幅に引き上げることにした。
更に声優の全交換まで提案したという。
さて、結局、宮崎監督は、新ルパンでは145話「死の翼アルバトロス」と、155話「さらば愛しきルパンよ」を監督することになるのだが、もともと新ルパンの企画を批判し、参加も断わった経緯もあるため、様々な思いがよぎり、自分の名前を使う気持ちになれなかった。
そのため、「宮崎駿」という名前すら出さず、会社のテレコムをもじり、照樹務というペンネームを使うことにした。
なぜ、自分の名前を使わなかったのか?
詳しくは、「ルパンは時代に取り残された」を参照してほしいが、そこでは、宮崎監督の様々な思いが書かれている。
「むかしのルパンは人殺しはしませんでした。ところがいまのルパンは目標がないから、人間がマトなんです。世の中といっしょになって複雑怪奇な殺戮をくり返していますよ。
「複雑怪奇な殺戮を繰り返し」ている「いまのルパン」を「ほんとうに好きならとうに描くのをやめるべき」というのが、新ルパンに対する宮崎監督の見解だったのである。
(注:最初のルパンシリーズでも前半は平気で人を殺す金持ちの遊び人だったのだが、宮崎監督は自分が製作に関わった後半でキャラ設定を大きく変更し、情熱的で人を殺さない貧乏人の(?)ルパン像というイメージに近づけようとした経緯があった)
そこで、宮崎監督は、自分が作ることになった新ルパン145話でも155話でも、自分の主張を取り込んだ。
そこでルパンがやろうとしているのは、戦争をはじめとする悲惨な現実において、世界の平和のために、誰も(敵も含め)殺すことなく徒手空拳で戦い続けることであった。
・敵は武器商人や軍需産業、国家権力などで原爆やロボット、戦車などを使おうとする=複雑怪奇な殺戮を繰り返す世の中の象徴
そのような「新しい」ルパン像をうちたてることで、悲惨で殺伐とした世の中にも、その世の中同様に殺戮を繰り返す新ルパンにも、立ち向かおうとしたのだ。(このテーマを象徴するのが、145話の題名「死の翼アルバトロス」であり、155話の原題「泥棒は平和を愛す」である。)
(参考:テーマを象徴するセリフ)
145話「ドロボーはウソはつかねぇ」
155話(戦車に対し)「つきあってらんねぇ」
また、後に宮崎駿監督はこうも言っている。
「もし、ルパンのシリーズの第3弾目をやるとしたら、僕は、徹底的に正義の味方として描きますね。正義の味方って言っても、今、世の中にひしめき始めているスケールの大きな犯罪を相手にする・・・。」
新ルパンにおける宮崎作品は、2作ともこの路線の先取りであることがわかるだろう。
とくに、155話「さらば愛しきルパンよ」においては、宮崎監督は自分のテーマを極限まで徹底させた。
・ロボット兵のラムダのほかに、国家権力側の戦車も出すことで、殺戮とした世の中を表現している。テーマを追求するため、本当はラムダを100匹出した映画版を作りたかったようだ。
・ルパンは、ワルサーも持たず、クルマに乗らないどころか、一般人と一緒に普通の満員電車に乗っている。
それに比較して、人間をマトにすることに躊躇しないニセルパン。
このニセルパンは、実は、単なるニセモノではなく、宮崎監督にとっては、これまでの、人を殺す新ルパンシリーズそのものだった。
「もうこれ以上、ルパンとかかわることはないだろうと思い、いままでのルパンは全部ニセモノだたというようなトッピな話にしたんですが、かえってヒンシュクを買ってしまいました。」(講演「ルパン三世とのかかわり」より抜粋)
つまり、「さらば愛しきルパンよ」のラストに込められていた意味は、これまでの新ルパン154話分は、全てニセモノで、本当のルパンは初めてここで登場したということだった!
このとき登場したホンモノのルパンは、他では2度と見られないほど厳しい表情をしている。これは、クラリスや小山田マキに対する優しい表情と表裏一体である。
つまり、新ルパンというニセルパンの物語ではなく、宮崎監督が考える「ホンモノのルパン」なのである。
3年間にわたり、視聴者を楽しませた新ルパンは実は全てニセモノであった・・殺伐とした現代における本当のルパンは、平和を愛し、ワルサーも使わず、人殺しもしない・・
宮崎駿監督が、最後にしかけた、ルパン最大のトリックである。
そして、同時に、これが、宮崎監督が愛したルパンへの訣別宣言でもあった。
最終回の「さらば愛しきルパンよ」という題名には、「ほんとうに好きならとうに描くのをやめるべき」という宮崎監督の愛情と意志が込 められている。
もっとも、このような形で新ルパン三世を全否定したことにについては、後に激しく後悔したようだ。
「ルパン達だけでやれたと思うんです。ホントに・・。ニセルパン出さなくても、できたんです。でも、なんか、今までやってきて・・こう・・『クソーッ』って思ってた部分がね、それでつい、ああいう馬鹿な事やってしまったんです。よくなかったと思ってる」(LUPIN THE THIRD VOL2より抜粋)
これ以降、宮崎監督がルパンを作ることは2度となかった。
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Re: 新ルパン三世最終回における宮崎駿監督最大のトリックについて
(通りすがり, 2019/10/23 0:59)
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自分は世代的には2nd世代。確かにルパンが一番時代とシンクロしてたのは60年代終わりから70年代初めくらいだと思うし、1stシリーズに名作が多いのも理解できる。だからといって、2ndシリーズ以降の作品を全否定するのはいかがなものか?
ある作品が長い生命を獲得するということは、結局、オリジナルの創作者の手を段々離れていくということで、そうでなければ作品が同時代性を保つのは不可能だろう。宮崎ルパンの造型だって大隅ルパンの置き換えな訳で、結局、宮さんのコメントは年寄りの繰り言に過ぎないように思う(さらば愛しきルパンが2ndシリーズの中で群を抜いて面白いエピソードであることは否定しないが)。
ただ、TVスペシャル以降のルパンが(個人的には)余り面白くないのは事実なんで、「誰がやってももう面白いものはできないんだから(なぜなら終わった企画だから)、もうやめてしまえ」という宮さんの気持ちはわからんでもない。それをひっくり返すような若い世代の演出家・クリエーターの出現に期待している。
そもそもアルセーヌルパンは社会的弱者の庇護者という一面も持つ怪盗紳士
その三代目を騙る一山いくらのチンケな子悪党が三代目を名乗るに相応しい本物に仕事でも叩きのめされる…
という形で宮崎駿は作品そのものでアルセーヌルパンの末裔というパンチ先生のルパンをも飲み込んで見せたわけです
これが気に入らないならパンチ先生のルパンの方こそアルセーヌルパンの三代目を返上すべきでだったのでしょう
カリオストロは名作だと思っているが、宮崎のルパン像には賛同できない。ルパンは所詮泥棒。泥棒を正義のヒーローとすることに無理がある。
また、原作者のモンキーパンチは、ルパンを裏世界の帝王、ルパン帝国のトップとして、時に人殺しも持さない非情な人間と描いている。
ルパン三世が宮崎のオリジナルキャラなら彼の言い分は正しいが、モンキーパンチが作ったキャラである。ならば原作こそがあるべき姿であり、原作に反する設定こそが偽物である。
っていうか、ルパンが2シリーズで人殺ししたのは、『本当に自分(ルパン達)を殺そうとしてきた人』のみである。よって、宮崎が言ってるのはおかしい。
っていうかさあ、ルパン三世はモンキーパンチの作品なのに、何勝手に自分の作品みたいにしてるのかよくわからない、宮崎はそーゆーところがバカだよね〜。
あと、宮崎って、『女性は上から下まで1色統一の服しか着てない』ってイメージでもあるのかな?クラリスはまだわかるけど、不二子に至っては迷彩服とか、『さらば愛しきルパンよ』では、黄色1色でバイクに乗ってるから、そこんとこおかしいよねー。
あと、作画崩壊してるシーンあるけど、知ってる?ルパンが『さらば〜』でニセルパンの本拠地に乗り込んだ時、ルパンの顔がものすごく気持ち悪くなってた。セル画の枚数スゲー描いて、作画崩壊には気づかないってナニソレ?
『カリオストロの城』で山田康雄さんは、宮崎が描くのは義賊ではないって理解してやってたけど、『死の翼アルバトロス』と『さらば愛しきルパンよ』は完全に義賊だよね?山田康雄さんにとってはどう見えたのが一番気になる〜。
よーするに、宮崎の『ルパン三世』に対する気持ちは、ただの自己満足。
でも、その後宮崎さんも『死の翼〜』と『さらば〜』の二作品に対するクソな気持ちは反省したらしいし、バカにするのはよしておく。
か
当時は別に年寄りでもない
宮崎駿は若い頃から頑固者ですよ
だからワガママというのは当たっているかも知れない
依怙地な年寄りとか勝手にレッテルを貼らなきゃ会話できない依怙地な人間が増えた
ネットの言説がつまらない理由がよく分かりますね
成程、宮崎ルパンがつまらない理由がこれでわかった。
勝手にキャラ像を歪曲して、それを正義にしてしまう
いこじな年寄りの我儘で作ったものなら、あの程度だろう