check 32check 33check 331check 332check 34test50 ガンダムには何故顔がついているのか(魔人としてのガンダム)

ガンダムには何故顔がついているのか(魔人としてのガンダム)

2013/2/22 0:13 投稿者:  yasuaki

「逆襲のシャア」のラストにおいて、νガンダムは、アムロと共に、
燃え尽きながらも隕石を押しとどめ、地球を守ります。
このとき、明らかに限界を超えたパワーを出すνガンダムに対し、アムロは「νガンダムは、これができるマシンだー!」と絶叫します。

なぜ、νガンダムには、明らかに限界を超えたパワーを出すことが可能なのでしょうか?
そして、νガンダムにはできて、他のモビルスーツには不可能な理由はなんでしょうか?

この問いに答えるには、遠回りですが、ロボットアニメの全史を追う必要があります。

まず、巨大ロボットアニメというジャンルを確立したのは「マジンガーZ」です。
祖父がマジンガーZというマシンを作り、主人公がそれにのり、

毎回異なるデザインの謎の敵が現れては日本にある秘密基地に襲ってくるのを撃退します。
マジンガーという名前は「魔神」と「マシン」をかけたものだと思われます。
そして、敵はブロッケン伯爵やらアシュラ男爵やらで、全て神話的な引用により名前がつけられていました。

主要キャラは全て日本人、舞台も日本です。

つまり、このアニメの目指したものは、日本の一少年が、祖父の思いを感じながら、無敵の力を駆使する魔神に合一し、
人類の命運をかけた神話的な戦いの鍵を握ることにより、視聴者の、現実的弱者である子供達が最大限感情移入して
興奮できるようにすることでした。

だからこそ、巨大ロボットは、常に人型で、人間同様の顔を持った魔神であり、敵は妖怪変化のような奇妙な化け物ばかりでした。
ある意味、昔話における、勇者と魔物の戦いであったといってもいいでしょう。

この後も、巨大ロボットアニメは、ほぼ同じものを目指していきます。例えば、
勇者ライディーン、鋼鉄ジーグ、闘将ダイモス…と、多くの名前は神話からとられ、
無敵の巨大ロボット=神にのる少年が人類のために戦います。

こういう状況を崩したのがガンダムでした。
ガンダムでは、主人公はいわゆる日本人ではなく、舞台は日本ではない。基本的に全てのマシンは量産が前提である。
敵は同じ人間であり、戦うだけの政治的理由をもっている。何よりも、ガンダムは神ではなく、
RX-78という型番をもった兵器にすぎない・・。

ガンダムは巨大ロボットアニメのお約束ごとを完全に破壊しきった上に、全く異なる世界を作り上げました。

しかし、一方、ガンダムは巨大ロボットアニメである意味はあるのでしょうか。
例えば、ガンダムに人型の顔がついている意味はあるのでしょうか。
実際、途中からは、モビルアーマーという人型でない兵器がでてきますし、特にエルメスとララァを見ていると、
人型のデザインは本当に不要だと感じさられます。
最後に出てくるジオングも、未完成で足はついてないのですが、足は「飾り」で機能とは無関係と明言されています。

つまり、ガンダムという作品は、リアルな戦争ものである反面、人型のロボット物である意味を、本当は、
失っていたのです。それでも「人型」にこだわりつづけたのは、プラモデル販売を主要な財政源とする
ロボットアニメ製作の事情からでしょう。
(このへんの経緯は、後に、赤ん坊とνガンダムの共振を、やはりスポンサー意向でやめた経緯を感じさせます)

ガンダムの世界観であれば、兵器が強力なら人型でなくても、顔や足がなくてもいいし、操縦者は有能なら誰でもいいわけです。

なぜなら、「伝説の巨人や勇者」ではなく「戦争」だからです。

別な言い方でまとめると、少年が神話になる物語であった巨大ロボット物というジャンルを、
戦争に巻き込まれた少年兵士の物語としたのがガンダムだったのです。

「機動戦士ガンダム」以降、「Zガンダム」にしろ「ZZガンダム」にしろ、この流れは変わりません。
戦争に巻き込まれた少年が、ガンダムという単なる兵器にのって戦う話でした。

ガンダムは、戦争に巻き込まれた少年がたまたま乗ってしまった優れた兵器でしかないのです。

さて、前置きが長くなりましたが、ようやく、本題の「逆襲のシャア」に話が進みます。

主人公アムロが、ガンダムと自分を犠牲にして、シャアの隕石落としから地球を守ろうとしたとき、
あきらかにパワー的に不可能なはずでした。

ところが、アムロは叫びます。「νガンダムは、それができるマシンだ!」

ガンダムの世界観においては、マシンは単なる兵器ですから、特定のマシンだからといって、数の論理を超えることはできないはずです。

しかし、アムロは、手伝いに来た他のマシンにもいいます。「犠牲になるのは自分だけでいい!」

理由は・・言いません。原作では、地球の赤ん坊達の力を取り込むからですが、映画では何も明かされません。

とにかく、アムロは、「νガンダム」というマシンそのものに、不可能を可能にするパワーを認め、
νガンダムはそれに答えます。

そして、実際、νガンダムは限界を超えた力を発揮し、自らを犠牲にすることで、地球を守ります。

たった1機で、地球全人類の命運をかけ、無限の力を発揮するロボット。

これは、「機動戦士ガンダム」という物語が破壊した、魔神としての巨大ロボットの伝統そのものでした。

この時、初めて、ガンダムは、単なる兵器ではなく、魔神となり、つまり、
顔を持った人型のロボットである意味を発揮したのでした。

よく言えば、単なる兵器にすぎないガンダムがいつまでも人型の顔を持ち続けた意義をようやく発揮したといえるし、
悪く言えば、古典的な巨大ロボットアニメの世界観に逆戻りした面があったとも言えます。

いずれにせよ、ガンダムが、あくまで顔を失わなかったことと、単なる戦争の道具ではなく、
地球を守るためにいざとなれば無限の力で人類を守るロボットであったことは、密着に結びついていたのです。

ガンダムは、「機動戦士ガンダム」が破壊した神話的世界観に、「逆襲のシャア」で戻り、顔を持つ魔神という、
古くからの神話的ロボットものの伝統に還ったといえます。

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