サモトラケのニケ
24話冒頭において、湖の中に首のない天使像が建っております。そして、その上には最後のシト渚カヲルがベートーベンの第九を口ずさみながら座っております。
さて、24話ラストにおいて、エヴァ初号機を操縦するシンジは、たった一人の友達であるカヲルの事を、自らの手で握り殺し、首をねじ切ります。
そして、次に映し出されるシーンは、湖畔の天使像の、首の付け根のところに鮮血がしたたる映像です。
この関連から、最後のシトであるダフリス(渚カヲル)と、この天使像との関係を想像してみるのも一興でしょう。
さて、首のない天使像といえば、ルーブル美術館にある「サモトラケのニケ」という女神像が有名です。サモトラケというのは、この彫像が発見されたエーゲ海の島の名前で、かつては神秘的な宗教儀式が栄えたところです。あの、アレクサンダー大王の両親は、ここでの密儀で知り合ったといいます(プルターク英雄伝による)。アレクサンダーの母は、サモトラケで、身体に蛇を巻き付け、巫女のようなことをやっていたようです。
ちなみに、この彫像自体は、この島ではなくてロードス島で作られたそうです。
ニケというのは勝利の女神です。アテネでは、女神アテネと同一視されていました。
ようするに、サモトラケのニケとは、サモトラケ島で発見された、勝利の女神像ということです。
この彫像には、頭と両腕が欠けているため、いろいろな想像をかきたてます。完成した姿のまま保たれているよりも、おそらく迫力ある存在になったといってもいいでしょう。
ミロのヴィーナスに腕がないのと同じといいましょうか、むしろ、「THE END OF EVANGELION」公開前のエヴァといった方がいいでしょうか。
私が初めてルーブル美術館に行ったのは、もうエヴァの24話を見た後でしたので、カヲルのイメージも引きずりつつ、せっかくだから見ておこうか、という気持ちでした。
しかし、実際に見てみると、その壮大さと美しさに圧倒されました。
おそらく鑑賞者を圧倒することを計算にいれてでしょう、二階へとあがる中間フロアに配置されており、一階からきた人は上方に見上げるような形となるのです。
あまりにインパクトが強くて、同じ美術館にあるミロのヴィーナスやダビンチのモナリザ以上の位置を私の中では占めることになりました。
しかし、きれいな顔があっただろうに、なぜ失われてしまったのだろうかという残念な気持ちと、美しい天使像を作っておきながら、醜く変えてしまった人類としての、ある種の申し訳ないように罪悪感のようなものも、少々感じたような気もします。
さて、私は、エヴァ製作者もルーブルで圧倒されて、24話における首のない天使像が生まれたのではないかと一瞬思いました。
しかし実際は、おそらくエヴァ24話の首のない天使像は、「新デビルマン」の1エピソードが元になっていると思われます。
「新デビルマン」とは、名作「デビルマン」(マンガ版)の外伝的作品で、不動明と飛鳥了が世界各国各時代を巡りながらデーモン族と戦う姿を描いています。
その中の1話にサモトラケのニケというのがあります。
ここでは、不動明と飛鳥了は、古代ローマの兵として戦争に参加します。敵側には、デーモン一族のサモトラケのニケがついており、2000年後の兵器(マシンガンなど)を使わせて自軍を勝利に導いているのですが(^^)、ここで不動明と彼女は運命的な出会いを果たします。
というのも、デビルマンが、かつて、デーモン族の勇者アモンであった頃の恋人が、他ならぬニケだったのです!!
人間である不動明と合体したために、過去を十分に思い出せないデビルマンに、ニケは涙で訴えます。
「アモン、私のことを忘れたの?いいえ、忘れていない証拠に、あなたは人間と合体した後でも、私とそっくりな人間の女性を愛しているときいています」
相手の言っていることが理解できずに、ニケの腕を切り落とすデビルマン。しかし、ニケの涙を見て、過去の記憶が甦ります。
ニケこそ、自分の本当の恋人だったのではないか、という思いが心の中に広がって行き、デビルマンは攻撃をやめます。
そして、デビルマンが自分のことを思い出したのを見て、逃げるのをやめて近くに寄るニケ。ついに、二人は抱き合おうとします。
しかし、その瞬間、背後にいた飛鳥了が、「だまされるな!そいつはデーモンだ!」といい、デビルマンの目の前で、かつての恋人の首を切り落とします。
彼女は自分の本当の恋人だったのではないか、疑問を持ちながらも、今となってはどうしようもなく、ニケの首を抱きかかえたまま言葉を失って立ちすくむデビルマン・・
さて、以上の物語は、そのまま、「あいつは使徒よ。殺しなさい。」と言われ、自らの手でカヲルの首をねじ切ったシンジにオーバーラップします。
「ぼくは、カヲル君を殺してしまった。一番大切なひとだったのに。」
「ぼくより、ずっといいひとだったに。」
「生き残るなら、彼が生き残るべきだったんだ。」
「もう、やだ、もう何もしたくない。死にたい。」
あいつは敵だ、という大義名分に踊らされ、自分にとって本当に大切なものが何であるかを見失ってしまう悲しみ。
首を切断された美しい天使像は、人に、自分にとってこの上なく大事なものを失ってしまった悲しみと、それを防げなかった事に対する罪悪感とを感じさせるものなのかもしれません。