「エヴァンゲリオン」私的概略





1.メインテーマ

  基本的にエヴァのテーマは「少年の成長」だと思います。
 もう少し具体的に言うと「居心地の良い空間からの旅立ち(別れ)」です。
 ではシンジは何から旅立つ必要があったのでしょう。
 私はシンジは以下のものから旅立つ必要があったと思っています。

 ・ミサト :同居人、保護者、私にはミサトはシンジの擬似母として設定されて
       いるように見えます。
       少年は母を捨て飛び立たねばなりません。
 ・ネルフ :シンジに心地良い居場所を与えてくれる組織
       しかし実態は偽装、欺瞞を得意とする閉鎖的集団。
 ・エヴァ :無条件にシンジに居心地の良い居場所を保障してくれるもの。
       エヴァに乗ることでミサト、ネルフに誉めてもらえる。

 シンジにその意思を押し付け、シンジを取り込もうとするもの達です。
 全てシンジが成長するためには手を切らねばならないものなのですが、「エヴァ」は
 ただ単純にこれらを否定、批判をしているわけでは無いようです。
 
 ここが「エヴァ」をわかり難くしています。

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2.TVシリーズ概略

・1話〜4話
 シンジとミサト、ネルフ、エヴァとの出会い。

・5話〜14話
 シンジがミサト、ネルフ、エヴァのプラス面にふれ、取り込まれながら成長する過程。

 この期間、シンジはミサト、ネルフ、エヴァに居場所を与えられ、ミサト、ネルフ、エヴァ
 の保護下で成長を続けます。
 この時点でミサト、ネルフ、エヴァは手を切るべき存在では有りません。

・15話〜16話
 暗転の始まり

・17話〜20話
 シンジがネルフのマイナス面にもふれながらも離脱できず、意味もわからずに目的を共有し
 完全に取り込まれるまでの過程。

・21話〜24話
 シンジがネルフ、ミサトに疑問、不信感を募らせる過程。

 ネルフ、ミサトに従った結果、仲間(アスカ、綾波)は傷つき、新しい友達(カヲル)も
 失います。
 シンジは自分のしていること(エヴァに乗ること)の意味、善悪を考えはじめます。
 前半のミサト、ネルフ、エヴァの保護下での成長が無ければ発生しなかった疑問です。
 シンジが成長したことではじめてミサト、ネルフ、エヴァの醜悪な部分に気が付くように
 なったのです。
 もうミサト、ネルフ、エヴァと別れなければならない時期です。

 第弐拾四話、最後の台詞「つめたいね、ミサトさん」はこのパートを象徴する言葉。
 ミサト(母)が自分とは違う存在であることを初めて実感した瞬間。


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3.劇場版概略

・「ミサトさんだって他人のくせに」
 エレベータ前でのミサトとの対決(別れ)の際の言葉です。
 ミサトは使徒殲滅への妄執・虚妄にかられシンジを「道具」として使う決心をしたようです。
 なりふりかまわず、どんなことをしてでも「壊れた道具」を動かす。
 この時点のミサトはシンジの母では有りません。
 シンジは、虚妄を押し付け、従わせようとするミサト、ネルフを拒絶します。
 
・「私は人形じゃない、私はあなたじゃないもの」
 セントラルドグマでレイがゲンドウに言った言葉です。
 「ミサトさんだって他人のくせに」と同じ言葉です。
 「ミサトvsシンジ」「ゲンドウvsレイ」が同じ構造だったことが明示されていると思います。

 エヴァ全体を貫く、ミサトとシンジ、ゲンドウとレイのこの関係が、エヴァが「取り込む者と
 取り込まれる者の物語」だったことを示しています。
 ミサト、ゲンドウはその心情の善悪によらず、ともに意思を押し付け、従わせようとする者です。
 「ミサトvsシンジ」が擬似母子なら「ゲンドウvsレイ」は擬似父娘でしょうか。
 
 上記の二つの言葉はその後の「見失った自分は自分の力で取り戻すしかないのよ。」
 この言葉に集束されていきます。

 シンジにとってのミサト、レイにとってのゲンドウは本来憎い相手では有りません。
 憎もうとしても憎めない、かつて自分を保護し、愛情をそそぎ、成長させてくれた存在です。

 ≪それでもなお捨てて飛び立て≫このせつない残酷な別れ、これがエヴァのテーマだと思います。

 劇場版の最初からシンジは別れの決心を固めていたように見えます。
 居場所を失う、愛してくれる者を失う、でも、もうここにはいられない。
 「死にたい」ぐらい言っても不思議ではありません。


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4.エレベータ前でのミサト

 少しミサトについて補足します。
 この時ミサトを突き動かしていたのは「カジの遺志を継ぐ」だったのか「父への想い」だったのか
 わかりませんが、いずれにせよミサトがミサトであるためのやむにやまれぬ決断だと思います。
  ミサトは自分の罪(シンジを「道具」として見る)を自覚していたと思います。
 「自分で決めて、その責任は自分で取りなさい。」シンジに言いながらが自分自身にも言っています。
 その後のミサトの爆死は、全て承知の上でミサトが引き受けた罰のように思えます。

 「結局、シンジ君のお母さんにはなれなかったわね。」、キッチンでの再会時の台詞です。
 エレベータ前でのミサトがシンジの母(シンジを想う者)でなかったことを言っていると思います。

 ミサトの過酷な過去とカジの死は、最終局面でシンジへの裏切りを行わせるためにセットされた
 導火線です。この時の為にミサトは「過酷な過去」と「カジの死」を背負わされたんだと思います。
 この導火線(カジ、父への想い)に火がつけられたらミサトは絶対に逆らうことができません。
 たとえそれがシンジへの裏切りだったとしても。

 自分で決め、自分で責任をとる覚悟でシンジを裏切り、実際「罰」を受けたミサトを私達は安易に
 批判するべきではないでしょう。
 
 ・この場面DVDチャプタータイトル「代理人の進入」
  カジ、または父の代理としてミサトがシンジの心に土足で進入する。と解きます。
  カジも父もそれを望んでいないと思いますが。

 個人的には、エレベータ前のミサトの心を占めていたはカジのみであって欲しいと思います。
 それはミサトがようやく父と別れることができたことを意味するからです。

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5.ふたたびキッチンについて

 エヴァ全体の中でいまいち不明だった「キッチン」の意味が全体解釈を終えて少し見えてきました。 
 キッチンでのアスカはシンジに意思を押し付け、流し込もうとさえする者です。
 「ミサトvsシンジ」「ゲンドウvsレイ」を圧縮し、意思を押し付けることの愚かさを端的に表現した
 のかな?と思っています。
 

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6.邪推編

 「エヴァ」の原イメージは、新生、誕生、母体からの脱出だと思います。
 でも「エヴァ」が言われるようにカントク自身を刻印したものなら、もう少し具体的なイメージも
 有った筈です。

 私はある邪推をしています。
 
 若かりし庵野監督が、おたく集団に所属します。先輩を尊敬し、同輩に刺激を受け、いままで味わった
 ことのない一体感、充実感、幸福感を体験します。
 しかし、庵野監督が腕を上げるに従い、集団は変質していきます。
 嫉妬の嵐、ドロドロした人間関係、もちろん庵野監督は嫉妬を受ける側です。
 その後、けんか別れ。
 庵野監督は捨てて飛び立ったのです。
 でも、あの時味わった一体感は忘れられない、忘れたくない。

 多分こんな簡単な事ではないと思いますが、私の中のエヴァのイメージにはピタリとはまります。
 エヴァは捨てて飛び立てと言いながら、捨てる者への愛着を強く感じさせます。

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7.私的解釈を終えて

 私は上記のように「エヴァ」を受け取っているわけですが、劇場版で最も表面的に強く表現されているのは
 「おたく批判」であることは否定できません。
 劇場版単体で見るならば「おたく批判」をメインテーマと取らざる得ないかもしれません。
 しかし、私は「おたく批判」は劇場版での混入物としか受け取る気は有りません。
 ただ単調で強烈に繰り返し表現されるだけで、物語としての流れ、うねり、高いレベルへの展開がないからです。
 「おたく批判」は「エヴァ」全体でのテーマとは考えません。

 漫画版の第1巻に、当時「エヴァ」前半部を作成中だった庵野監督のあとがきがあり「エヴァ」が
 シンジとミサトの物語であることが明言されています。
 劇場版では「混入物」の関係で「シンジとミサトの関係」は傍流になってしまった感がありますが、
 設定当初の本来のメインテーマは「母子の別れ」と見るべきだと思います。

 オープニングで「裏切るなら」の歌詞にあわせ印象的に顔を上げるミサト。
 多分、擬似母子が別れるための対立、決裂の口火が「ミサトによるシンジへの裏切り」であることが、
 オープニング作成時にすでに決定していたのだろうと思います。

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8.最後に

劇場版タイトル「まごころを君に」
 エレベータ前でのミサト、キッチンでのアスカがシンジに、セントラルドグマでのゲンドウがレイに
 偽りのないホンネ(まごころ)を押し付ける。と解きます。
 「まごころ」は皮肉をこめた表現です。

 ……多分「カントクの偽りのないホンネ(おたく批判)をおたく達に」、とも掛けてるんでしょ−ネェ。



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