エヴァンゲリオンと新約、旧約、死海文書そしてグノーシス

 

前回まではカバラ、リリスを中心にエヴァンゲリオンの中での解釈を試みてみました。

初めに、ユダヤ、キリスト教の中でのどんな書物が、エヴァの中で引用されていると考えられるか述べてみます。

前回までのものも含めて、次のようなリストが浮かび上がります。

1。新約(特に、黙示録)。

2。旧約(特に、創世紀)。

3。ユダヤの伝承、ハガダ。タルムードその他。

4。ユダヤカバラ(ゾーハル、ルーリアニック)。

5。グノーシス派キリスト教。

6。死海文書(Community ruleWar Scroll)

7。Hermetic Kabbalahおよびグノーシスから派生したギリシャカバラ。

8。エノク書(ユダヤ教偽典)。

9。カバラから派生した占星術。

 

まだあるかも知れませんが、気付いたものではまずここまでです。(しかし、ちょっと恐ろしくなりますね。)

 

今回は、前回までカバーしなかった福音(Evangelion)を中心にキリスト教成立をめぐる宗教歴史事情を絡めて考察してみます。

 

 

1。ゼーレの計画。

 

設定では、ゼーレは、エッセネと呼ばれる死海文書を残したユダヤ教のなかでも極めて厳格で孤立的な教団(の末裔)とされています。

 

この教団があったとされる150BCから70ADはユダヤ教にとって、アレキサンダー大王以後、ヘレニズムの支配(ギリシャ、ローマ)が強くなったきた時代で、特に167BCには公式にユダヤ教の撤廃が叫ばれ、エルサレムのユダヤ神殿にギリシャ神ゼウスが祭られるという事態まで起りました。 ローマの統治下では信仰の自由は認められましたが(ローマ帝国の中で唯一の例外でキリスト教も381ADに皇帝が教徒になるまで弾圧されます)、都市部ではユダヤ人自身が宗教的に堕落します。 ローマ帝国はユダヤ人のことを無心論者と考えていた節がありますし、キリストの時代ヘロド王がユダヤの慣習を破っていたこと、キリストのユダヤ神殿での行為(John:2:13-16)はそれを反映しています。 このなかで、エッセネは厳格にトーラ(モーゼ五書)に従い、来るべき救世主(Sons of the Light)とともに敵(Sons of the Darkness)と最後の決戦(黙示録、Apocalypse)を戦うことを目的として教団を死海を望むクムランと呼ばれる地に作ったわけです。

 

教団は十二人の長老を最高幹部として構成され(Community rule)、来るべき戦いに備えて綿密な計画書(War Rule Scroll)を作り上げます。これは実に計画書というべきもので、たとえば、「残りの二十九年間の間に戦いは分割されておこなわれる。

最初の一年には、彼等はAram-Naharaimに対して、二年目にはLudの息子達に対して、三年目には残ったアラムの息子達に対して、、」というように計画されます。

 

ちなみに、死海文書は1947年に発見された後、1991年までに断片を含めて公式にはすべて公表されています。文書はヒブル、アラム語で大部分、一部ギリシャ語で記述されています。(英訳本は多数あります。)

 

次にゼーレのシンボルである七色の七つの目をもつ逆三角型の顔ですが、これはまず、新約の黙示録(A book of revelation, およそAD100)からとられたものでしょう。

 

黙示録の中では7という数字が至る所に現れます(7Churchs, 7Sealsなど)。この黙示録の中で、天上のキリスト(Christ,ギリシャ語でChristos=anointed、オイル(香油)を塗ることの意味で「救世主」の意味。Jesus(イエス)は名前ですがChrist(キリスト)はタイトルです。)は七つの目と七つの角をもつ虐殺された傷をもつ神の子羊の姿で現れます(子羊は「救世主」のシンボル)。ちなみに、7という数字は3+4で構成されると言われます。

 

この黙示録ですが、ハルマゲドン(Armageddon=Har Meggidon、メギドの丘。)の言葉が有名なため終末思想と考えられがちですが、読めば判りますが、これはユダヤ人とキリストに従うものにとっては救済であり、新たな世界の始まりです。

 

ここまでで、ゼーレがエッセネのように「救世主」=Christと共に(というよりは、を使い)、黙示録的な魂(Zeele)の救済を求め(死海文書の)計画通りに戦いを始めるという設定が理解できるかと思います。

 

 

2。人造人間エヴァンゲリオン。

 

エッセネは死海文書のWar ScrollXI)に記述されるようにゴリアテ(Samuelに記されているDavidにより倒される巨人)を闘いに使う計画をたてます。それと同じように、ゼーレはその戦いを始めるあたってアダム(あるいはリリス)よりエヴァンゲリオンを作ります。

 

ゴリアテに代表される巨人の由来は、創世紀6:2-5に記されています。

「神の子たち(Angels)は人間の娘を良きものと見て、選んだものすべてを妻として連れ去った。エホバはいった。『私の霊(Spirit, Angels)は二度と人間と交わってはいけない。なぜなら彼等も肉体をもつものだが、その命は百二十年である。』

(ここの所、英訳のversionによって違っています)。 ネフリム(巨人、堕落したものたち=Fallen ones)は、その時代そして後の世にも地上にいた。神の子たちが人間の娘たちのもとに来て、そして彼女らに子を生ませて以来。その子たち(巨人)は古き時代より名をなした英雄たちである。」(筆者訳)

 

ユダヤ教の偽典、エノク書(A book of Enoch)にその由来がもう少し詳しく述べられています。この書は死海文書と同時期に書かれたもので、その内容などは新約にも影響を与えているといわれます(「Dream Vision」の章は明らかに黙示録に引用されています)。完全本はエチオピア語の翻訳しかありませんが、オリジナルと思われるアラム語の断片は死海文書から見つかっています。エノクは旧約に現れる人物(ノアの祖父にあたります)ですが、神に連れ去られたといわれ(創世紀5:22)、その人物が描いたものというのがエノク書です。

 

この書(6:1-7:6)では、サマエル(Semajazaと記されています)を中心とする二百の天使が人間の娘を連れ去り、妻とします。そして、人間と天使から生まれてきたものが巨人です。その性質は狂暴で、地上のものを食い尽くしたあと、人間をそしてお互いを食いあうと書かれています。そして、この忌むべき存在に怒った神は、洪水を起してノアの家族を除いて人間と共に滅ぼそうと試みます。

 

もうお分かりと思いますが、エヴァンゲリオンの由来はこの巨人そのままです。使徒(Angel)と人間の融合によって作られるわけです。コントロールを離れて「暴走」すると、この書に記述されているように狂暴になりますが、その力は無比。 第弐話で暴走を始めた初号機に冬月が確信を込めて言います。「勝ったな」。 その力を抑え込むために拘束具も使用されます。しかし、それは同時に「忌むべき存在」でもあるわけです。

 

ローマ帝国がキリスト教を弾圧した大きな理由は、ここにあります。皇帝の権威はローマの神々(ギリシャ神話の神々をそっくり受け継いだもの。例えばジュピターはゼウス)によって正統化されていたわけですが、その神々はティターン族(巨人)です。

彼等キリスト教信者は、この堕天使によって生まれ、堕落したものを皇帝の名のもとに崇拝することを断固拒否したわけです。その拒絶はしかし、ローマ皇帝の権威を拒否するこを意味するものであったため、その他すべてを良き市民として従うと言っても、容赦なく弾圧されました。

 

使徒(Angels)は人と99.89%同一です。そして、エノク書では「人は天使とまったく同じように作られたので....」と述べられています。蛇足ですが、使徒に性別があるかというと染色体地図には明らかに一つのX染色体があります。もう一つがYならば男性型でXならば(完全な)女性型ですが、この部分は巧妙にも隠れていて判りません。

Angelsには性別がないことになっています(この単語は女性型だから女性であるという議論もありますが)。そうするとXO(人間でいえばターナー症候群、表現型は女性)なのかもしれません。

 

ところで、これら堕天使たちは、どういう罪で罰せられたかというと、人に天使の智恵「インクや紙」など文明を教えたためとエノク書では述べられています。このモチーフはエヴァのなかでも「人は闇を恐れ、火を使い生きてきたわ。 だから使徒は襲ってくるのかな。」として現れています。

 

 

3。人間には時間がもうないのだ。 お父さんを理解しようとしたの。

 

エヴァンゲリオンの起動実験をきっかけに、使徒は智恵の木(リリス)の存在を知るとともに、人間が生命の木の秘密を得る前に阻止しようとネルフに襲いかかります。

ゲンドウは確実にどの時期に使徒が再び現れるか知っていたと思われます。それはミサトが作戦部長としてネルフに来た時期、シンジがファクスで「予備」として呼び出された時期が、第三の使徒の出現の直前であったことから分かります。 第拾四話で模擬体を経由してゼロ号機のATフィールドに使徒が反応を示したように、失敗に終わった(リリスから作られた)ゼロ号機の起動実験に反応して使徒が再び現れたわけです。

智恵の木と生命の木の両方を手にいれ、神と等しきものをめざして、使徒(生命の木をもつもの)と人間(智恵の木をもつもの)の熾烈な戦いとなります。 使徒は地下に眠るリリス(アダムと思わせていた)を目指して、そしてゼーレはアダムの復活を目指して。 手に入れたものが「滅びの時を免れ、未来を与えられる生命体は一つしか選ばれないんだ。」になる訳です。 そして使徒は人間との接触をきっかけに徐々に智恵をつけ始めます。「使徒は智恵を身につけ始めています。 われわれに残された時間は。 あとわずかということか。」

 

シンジはなにも知らずに親子の対話を求めてやって来ます。が、ゲンドウは冷たく拒否します。 ここで「お父さん」を理解することにします。

 

黙示録に記されるような最後の決戦に際し、エッセネは戦闘のために教団のメンバーを厳選し、すべての時間をそのために振り向けるため、家族、社会活動を犠牲にしました。

 

「神の王国は近い; The Kingdom of God is at hand」という救世主であるキリストも、同じようにこう述べます。

Luke14:26 「もし、誰かがわたしの所に来ても、その人が父親、母親、妻、子供、兄弟姉妹、そしてそう、その人自身の命を厭うのでなければ、その人は私の弟子となることはできない。」

 

この教えは既存の家族、社会を破壊する結果になるという危惧に対して、大胆にもこう言い切ります。

Luke12:49-53「私は、地上に(犠牲のための)火を投げ込みにきた。そしてその火はすでに付いている。あなたたちは私が地上に平和を与えにきたと考えているのか?

 

ちがう。わたしは、あなたたちに言うが、むしろ仲違いを与えにきたのだ。これより先、一つの家は五つにわかれ、3つが2つに、2つが3つに対抗する。かれらは仲違いをする。父は息子に、息子は父に対して、母は娘に、娘は母に対して、義母は嫁に、嫁は義母に対して。」

 

この教えはMarkの中で、イエスその人が自分の母と兄弟を拒否した話(Mark3:33-35)にも表われていますが、この過激とも思われるトーンは教会がローマの庇護のもとその地位を確立し、普通の人々を対象に広める時期には徐々に薄れていきます。

 

 

4。三人の救世主(Christ)

 

ゼーレの計画には、死海文書に記されているように救世主の存在が不可欠です。死海文書にはMessiah of David Messiah of Aaron、そして預言者の3人が救世主として現われます。

エヴァンゲリオンの中で、救世主(キリスト)は誰でしょうか。

 

シンジの名前はYasuakiさんも述べているように、神児(The Son of God)と解釈できますし、第26話の中でもまさにキリストの処刑の形を取りますので、彼が救世主であるのは容易にわかります。

 

リリス(アダムと思われていた)は十字架に張り付けられ、その上に神の子羊の面がつけられています。その上、ロンギヌスの槍(いろいろ言われていますが、ロンギヌスはギリシャ語そのものでlogche nusso (ロンゲィヌス)= spear pierced「刺さった槍」(John19:34)。ですから「ロンギヌスの槍」は「ガフの部屋」と同じく同義反復です)が刺さっていることから、リリスが救世主であることもこれでわかります。

 

そのリリスの魂が入ったレイの姿は一見、アルビノ(白い髪と赤い瞳)の姿を取っています。レイがユイの単なるクローンであれば、アルビノの姿を取るはずがありませんので、これはリリスの魂が入ったためと考えられます。なぜ、アルビノなのでしょうか。これは、黙示録に記されている神の姿をとったキリストです。

Revelation1:14 「彼の髪は綿の如く雪のように白く、そして、両目は炎の如く(赤い)」

 

また、前回までにレイはマルクートを象徴すると書きましたが、マルクートは「わが主」(ヒブルではAdonai、英語ではMy Load)で、これはキリスト教ではキリストを意味します。

 

そして、もう一人のアルビノが第弐拾四話に現れます。アダムの魂をもつカヲルです。

 

このエピソードの英語のタイトルは、「The Beginning and the End, or"Knockin'on heaven's door"」。最初のThe Beginning and the End は黙示録の中でキリストが自分を示す言葉、「I am Alpha and Omega, the beginning and the end」そのままです。

 

"Knockin' on heaven's door"は、Bob Dylan の曲(映画「Pat Garrett andBilliyThe Kid」に使われ、後にGuns and Rosesたちによってカバー)のタイトルですが、「Heaven's door」これも「キリストへの道」を示しますし(I am the door(John10:9) 他)、曲の歌詞を読めば分かるとおり(最後に付録としてあげておきます)、これは「死」を意味するものです(「最後の死者(使者)、渚」)。

 

彼等がキリストの姿をしているもう一つ意味は、キリストの出生を考えれば、その類似性からわかります。キリストは人である(肉体をもつ)マリアと聖霊(The HolySpirit、これがAngel と同義かは議論のあるところと思いますが)との結合で生まれたわけです。かれらも同様、人の肉体と使徒(Angel)の霊魂(Spirit?)の結合から生まれてきます。そして、人の肉体と使徒の肉体(遺伝子配列と言ってもいいでしょう)の結合から生まれたのが、人造人間エヴァンゲリオンです。(ここの所は第弐拾三話のリツコの台詞「人は神様を拾ったので、、、」と合わせて理解してください。)

 

カヲルは冒頭にシンジに向かってこう言います。「君と同じ仕組まれた子供さ。」

つまり、ゼーレは救世主を待つのではなく、作り上げることを計画したわけです。それが「仕組まれた子供」です。 

 

ところで、ナザレのイエスがキリストとして生まれ変わるのは、John the Baptistがヨルダン川でイエスに洗礼を施してからです(Mark1:9,Matthew3:16, Luke3:21,John1:33) そしてキリストを「作り上げた」John the Baptistは一説ではエッセネのメンバーであった言われています。

 

「仕組まれた子供」であるカヲルは、ゼーレからアダムに戻ることを要請され、「アダムに生まれしものはアダムに帰らねばならないのか。ヒトを滅ぼしてまで」(これ自体がゼーレによる偽慢であることは前回述べました)とヘブンズ ドアを開けます。

 地下に存在したものがアダムではなく、リリスと気付いたとき、ゼーレが自分に仕掛けた罠に気がつきます。 それにも関わらず、神であるキリスト同様永遠の命をもつはずのカヲルはシンジ達人間が生き残るようにと、リリスとの融合により「破滅を導く」ことなく、(キリスト同様)殺される道を選びます。

 

シンジはここでイスカリオテのユダ(Juda Iscariot)の役を演じることになります。

主客は転倒していますが、「裏切ったな。」(betrayed)という台詞が、おそらくこの場合もっとも適切な表現「騙したな」のかわりに使われていることは、暗示的です。

 

イエスを売ったユダは深い後悔にとらわれ、価の銀を置き去り、自ら首を括ります(Matthew27:3-5)。シンジはカヲルを殺したのち深刻な後悔に災なわれ、戦うことなく、ゼーレの「初号機による遂行」の計画に参与します。もう少し詳しく説明すると、初号機を奪おうと試みるゼーレにとって、唯一のパイロットであるシンジがそれを拒んで戦うことは避けたく、深い「デストルドー」の状態にして置きたかったと考えます。

 

ここでシンジが、Yasuakiさんが指摘しているように666をもつ存在(6月6日生)だとすると、彼がどう「仕組まれた子供」なのか興味深い構図が浮かび上がってきます。

 

まず、666から説明してみます。Revalation13:18 「ここに一つの智恵がある。判るものにその獣(The beast)の(持つ)数字を数えさせよう、なぜなら、それはその男の数字であるからだ。彼の数字は666。」(筆者訳)。 難解ですが、ここのところ(Revelation13:1-18)を説明しますと、まず海から最初の獣(The beast)が現れますが、これはAnti-Christ(サタン、キリストに逆らう者)と理解されています。

この獣が深い傷を受けたのち、新たな獣(The beast)が現れ、最初の獣の権威を受け継ぎ人々を支配し、右腕または額にしるし(彫り物)をつけます(この時代オリエントの国々で行われた風習で、信じる神を表わす)。 その名前の顕わす数字(この時代のギリシャ語およびヒブルには独立した数詞がなく、アルファベットが数詞を兼ねています。従って単語は数字になり、数字は単語になります)が666であるという意味です。よく見かける解説書では名前をヒブルで書いて、「ネロ カエサル、NeroCaesar 」(多数のキリスト教信者を虐殺したローマ皇帝) がそうだとしています。 

 

このThe beastですが、第弐話の英語のタイトルが「THE BEAST」です。そして初号機はルシファー(サタン、サマエル)がもつ十二枚の羽を持ちます(「エヴァ初号機、まさに悪魔か」)。 つまり、エヴァ初号機とシンジはAnti-Christとしてエヴァの中では位置付けられていると考えられます。そうすると、本来の救世主(Christ)はカヲルであった(「正統なる継承者たる、、、」)のですが、Anti-Christであるシンジは殺すように「仕組まれて」いた、あるいはその運命にあったと考えられます。

 

Anti-Christ が救世主になる、あるいはLilithが救世主になる。前稿でも少し述べたグノーシスを詳しく述べてみましょう。

 

 

5。使徒と呼ばれ、天使の名を冠するぼくらの敵。

 

少し長くなりますが、キリスト教成立当時の歴史から。

 

キリスト教は、エッセネのような「救世主」を待ち望む中、ユダヤ人ナザレのイエスの口伝を受け継いできたユダヤ人たちから生まれました。イエスの処刑が27-30AD頃で、パウロの手紙が5AD頃、福音は仮に"Q"と呼ばれている原本を元に70AD(ローマに対する戦争とユダヤ第二神殿の破壊)から110ADまでに、Mark, Matthew, Luka,Johnの順に書かれたと言われます。

 

キリスト教がもともとはユダヤ人によってユダヤ人のために生まれてきたものにも関わらず、大多数のユダヤ教を信奉するユダヤ人に無視され、キリスト教ユダヤ人はシナゴーグからも排除されました。そしてパウロが信者はユダヤ教に改宗しなくてもよい(ユダヤの慣習に従わなくてもよい)としてから、信者は非ユダヤ人(Gentile)が圧倒的に多くなります。 彼等、伝道者が同胞であるユダヤ人から受けた苦い思いは、福音の書かれた過程に如実に表われていて、キリストを殺したものを示唆するものがローマ人からユダヤ教の長老、そして最後のヨハネでは、ユダヤの民衆と記されるに至ります。

 

AD100以降、キリスト教はローマの政治組織をモデルとして教会組織を強化しますが、この間にその後のキリスト教徒のモラルコードになるThe Letter of Barnabas(パウロの仲間)などが書かれます。聖書そしてこれらの教えに記されたユダヤ人をSatanとする見方が、その後2000年のユダヤ人圧迫(anti-Semetism)の遠因になります。

 

天使Satanはもともと旧約の中では、人間が神の意図に背いた行動をとろうとしたときにその行動を「妨げる」(Satan の意味)という役目しかなかったのですが、キリスト教のなかでは重要な役目を負います。キリストが真に救世主であり神の子ならばなぜ処刑され殺されたのか。この疑問に答えるため、キリストの行動を「妨げる」ものが単なる人間ではなくそれ以上のものであったとする必要がありました。この役目を負ったのがSatanであったわけです。この伝統(?)はイスラムにも伝わり、現在でも湾岸戦争でお互いをサタンと罵りあうように続いています。

 

この初期の教会の力が弱かった頃、(後世から見れば)さまざまな分派がキリスト教の中に現れ、旧約に現れる神(ヤハヴェ)は偽の神であるという考えまで生まれてきました。これら分派の総称が、グノーシス(Gnosis=叡知、智恵)と呼ばれます。

このキリスト教グノーシス派の流れは、異端として多数派の教会から攻撃を受けながらも脅威となるほど影響が大きくなります。が、4世紀末にキリスト教教会がローマ帝国の庇護を受けると同時に徹底的に文書も残っていないほど一掃させらます。

 

その全貌は、死海文書発見の2年前、1945年にエジプトから聖典群が見つかり、紆余曲折を経て1970年代に初めて明らかになりました。このNag Hammadi libraryと呼ばれる書物は1500年前のエジプトの言葉Copticで書かれていますが、ギリシャ語の断片などは1800年代に見つかっています。

 

グノーシス派キリスト教はオーソドックス(真直ぐな)、カトリック(普遍的な)教会の一枚岩の教条と違い、自由な精神の発露とキリストに関する解釈を許すことを信条にしていたため、その考え方はさまざまです。 この点は仏教とまったく同じで、仏教では内証智、心にブッダの真理が現れること、を得れば解釈を変えることができます。ですから仏教には異端はなく、またすべての仏典は真偽の意味では「偽典」と考えてもいいのです。

 

一致している考え方を述べれば、個々人が、教会からの教えからではなく自分で内面の智恵(自身を知ること=gnosis)を深め、その霊性を高めることで本当の神を知り、キリストと同等になることができる、というものです。この考えが異端とされた大きな理由は、教会組織の権威とその正統性(特にローマ教会の)を損なうものであったこと、そしてキリストの死と(肉体を持ったものとしての)復活を否定したこととされています。

 

グノーシスの要点(全部のグノーシス派に共通ではありませんが)をまとめてみますと、(前回の創世記の解釈と比べてみて下さい。)

 

1、創世の神は本当の神ではなく、「嫉妬の神」であった。

2、イブに目を開かせた蛇はキリストであった。

3、本当の神は無から生まれた光である。

4、人は肉と霊からなっているが、本質は霊性にある、なぜならそれは本当の神から生まれてきたものであるからである。

5、従って、肉体の死には意味がない。また、キリストの死はなく復活も幻にすぎなかった。(キリストは自分の処刑を実は笑って見ていた。)

6、救済は他者と社会から離れ、すべてを捨てて、自己を見つめ霊性を高めることでなされ、教会の教条的な教え、儀式さらには殉教には意味がない。それがキリストの道であり、キリストになりうる道である。

 

本質はかなり釈迦仏教に近いものです。従ってこの考え方が出てきた背景にはユダヤ教以外の要素、ゾロアスター教、プラトニズム、そして仏教(この時代にインドと通商があったことは確かで、エジプトの首都Alexandriaには伝僧もいた)があったとされています。グノーシス派キリスト教は滅びましたが、この「個人の自由と自由意思」の考えかたは、いわゆる「近代人的自我」として実存主義、さらに歴史的にはアメリカ政治の中でDeterminism (神学者ジョナサン エドワーズを旗手とする)とliberalismの対立のなかに今日まで影響を及ぼしています。

 

エヴァンゲリオンの中に、グノーシスの考え方をいれれば、智恵の木を顕わすところのサマエル(ルシファー、サタン)とリリス(前論考参考)の解釈が通常と正反対になります。(ここで注意して欲しいのですが、グノーシスは悪魔崇拝ではありません。

実際グノーシスの文献の一つでは、この偽の創世の神をサマエルとしています。)

 

そして、智恵の実をたべていないアダムと使徒は、偽の神(創世の神)の使者であるわけです。この天使の名は外典、偽典及びイスラムから取られているのですが、しかし、また「堕天使」の名ではありません。これには宗教的配慮もあるでしょうが(ガブリエル、ミカエルとするわけにはちょっといきませんね)、この天使と戦う、堕天使と同じ出自をもつエヴァンゲリオン(福音)が実は正典(Canon; Death編に使われたのがバッヘルベルのカノンでしたね)であると主張しているようにも思えます。

筆者には「残酷な天使」というのが、人間に知恵を与え、エヴァンゲリオンと同じ巨人を産みだした、「堕天使」と思われてなりません。

 

そして黙示録の666を持つanti-christThe beast)と考えられているものはそのままキリストになり得ると考えます。 「Testimony of the Truth」の中ではイブに知恵の実を食べさせた蛇はキリストであるとしていますし、「On the Origin of theWorld」ではこの蛇についてこう書います。「そして全ての生き物の中でもっとも知恵深いもの、『獣』(The beast)と呼ばれているものがやって来た。」

さらにギリシャカバラではGematriaという方法で666がイエスキリストを意味するとしています。Lucifer(Isaia12:12)の意味はmorning starですが、Revelation22:16でキリストは自身を morning starと述べています。

 

しかし、ゼーレ(あるいはゲンドウ)はこのグノーシスの考えに沿って計画を立てたのかというと、まったく違います。それは、計画が贖罪を行おうとしていること、そしてリリス(あるいはアダムによる)「強制サルベージ」であることから明らかです。

彼等は、エヴァンゲリオンそして「救世主」シンジを「道具として使う」ことを意図したわけです。 

 

作者の意図は最後にシンジをグノーシスのキリストとして、もう一つの救世主であるリリスとアダムを破壊した(「希望」にすがることを拒否した)ことに表われていると考えます。この点はテレビ版でもまったく同じです。しかし、映画版ではもう一つその上をいっています。それは最後の最後にシンジにアスカの首を絞めさせたことで、この道には(安易な)救いはなく、現世の修羅を生き抜かなければならないとしていることです。この点は実に大乗仏教的です。

 

 

6。三たびの報いの時を

 

ゼーレが魂の救済を求めて贖罪をする動機には原罪があり、この原罪(それがエヴァンゲリオンでは何を意味するかは、さておいて)を再びキリスト(救世主)の処刑で購おうとしたわけです。

 

「赤き土の禊をもって」。 禊は身をきれいにすることですから「赤き土」をもって「原罪」をなくそうというわけです。「赤き土」とはなにかというと、これは土から生まれてきたアダム、そしてリリスの伝承、エヴァンゲリオンのストーリーを考えればリリスでもある可能性があります。しかし、「赤き」とはアダムを指します。

Adamとはヒブル語では赤い、赤くなることの単語そのままです。ですから、この意味は原罪のないアダムを用いて原罪のない状態に戻ろうという、ゼーレのオリジナルの補完計画が曲がりなりにも(リリスとアダムの融合という形で)なされることを意味すると考えます。

 

贖罪の完成にエヴァ初号機は生命の樹に還元しました。黙示録では贖罪の完成に、神の国が現われ、人々は門をくぐって再び現われた生命の樹を手にすることができる(Revelation22:14)としています。

 

さて、原罪をここまで重要視しているのには、司教(後に聖者)Augustine (4世紀後半から5世紀前半)が唱えた考えがもとになっています。 上で「教会の一枚岩の教条」によってグノーシスが異端とされたといいましたが、この段階では、実は教会は「原罪」の考えにそれほど重きを置かず、むしろ、「自由」と「自由意思」を尊重する立場を取っていました。ただ、それが個々人に主体をおいていたことがグノーシスが異端(ギリシャ語の原意はchoiceです)とされた理由であったわけです。この時代はキリスト教徒であるというだけでローマ帝国の圧迫のもと殺されたわけで、教会が組織を分派なきものとして強化して置きたかったことは十分理解できます。 そして圧迫の中で、キリスト教徒が唱えたスローガンは一致して「自由」と「自由意思」の尊重であったわけです。 ところが、ローマ帝国がキリスト教の庇護者となると事情が変ってきました。もはや、「自由」を訴えるべき相手がいなくなったわけです。

 

教会は信者が増えると同時に、その対象を内に向けました。

 

Augustineは(皮肉なことに)グノーシスの影響を強くうけたマニ教から改宗し、キリスト教徒になりました。グノーシスでは人間の(肉としての)存在を偽の神に作られたため悪としていますが、かれはこの考えをアダムの原罪に置き換え、さらに普遍化しました。つまり、人間の死、痛み、病気、不幸、その他もろもろの不完全であるところをすべて、アダムの原罪によるものとしたわけです。 それは人間が精子からセックス(これも原罪から生まれてきたもの)を通じて生まれて来ている以上、アダムの罪は避けられないというわけです。 唯一キリストを除いて。 なぜならばキリストは精子からセックスを通じて生まれてきたのではないからです。 彼はそして、教会はもともと不完全である人間を正すためには、強制力(ローマ帝国の力を借りて)を行使してもよいと言います。

 

この考えはキリスト教の「自由」を信じてきた人達と争いになりますが、彼の死後、教会はその考えを正統と認め、それ以後異端に対する態度は御承知の通りですし、彼の原罪の考えは実に今に至るまで続いています。

 

 

7。月をめぐる象徴。(今回の主題からは離れますがまとめて述べます。)

 

1、黒き月、リリス。

ジオフロントは「黒き月、リリスの卵」としてあらわれました。

黒き月、リリス(Black moon Lilith)というのは占星術(Astology)のなかでは、他のリリス、Asteroid lilith, 火星と木星のあいだにある小惑星群, Dark moon lilith,太陽を挟んで地球の向こう側にあるであろうとする(見えないという意味で想像上の)月と並んで述べられます。

 

黒き月、リリスというのは天体ではなく、幾何学上の点とされます。月が地球を回る軌道は完全な円ではなく楕円であり、焦点の一つが地球の中心で、もう一つの焦点が黒き月、リリスです。楕円軌道はそれほど円軌道とずれていないため、この点は地球の中、地下にあります。そして、月と地球は実はお互いに二つの重心点の回り(この点は地球のなかにあります)を回っているので、黒き月の位置は複雑にその位置を変えます。

 

この点を別にすれば、地下ターミナルドグマにリリスを持つジオフロントを「黒き月」としてリリスに関係づけているのは、みごとな設定です。

アダムの「白き月」はあるかというと、どうも見つけられません。これは「黒き月」に対応して作り上げたものであると考えます。

 

2、血の塊と化したリリスの月。

このイメージはおそらく、黙示録6:12「そして私(John)は彼(キリスト)が六番目の封印をあけるのをみた。見よ、大地震がおこり、太陽は毛皮のごとく黒くなり、月は血となった。」から取られていると考えます。

 

3、レイと月。

レイのバックには月がよく現れます。月が彼女を象徴していることはオープニングからエンディングのシーンまではっきりとしています。これはリリスと関係づけられます。

カバラでは物質世界(Asiyah)のセフィーロートに悪魔が位置付けられると前に書きましたが、同時にセフィーロートの木に天体も位置付けられ、リリスは月とされます次に、レイ(そしてリリス)がセフィーロートに位置付けられると、前に論じたマルクート「王国」が象徴するものの一つが、月です。これはマルクートの女性型としての受動的な性格(他のセフィーラから、そして太陽から光を受けるもの)から来るものです。

 

さらにマルクートは他にプール、あるいは池など、水の溜まったものも象徴し、エンディングはFly me to the moonとともに、 レイ、プール、月、 すべてマルクートを象徴しています。(筆者がこれに気付いたときは、ちょっと唖然としました。)

 

 

 

最後に。

筆者はキリスト教の教義に疎いため、解釈などに誤りがある可能性があることを十分に承知しています(聖書は文章として読んでいます)。 お気づきの点がありましたら、御批判のほどよろしくお願い致します。 

 

エヴァンゲリオンのストーリーの原点の一つは死海文書、創世紀、黙示録にあるといってもいいかと思いますが、表面的に象徴を取っているというより、はるかに深く宗教的に解釈されたものであると考えます。 それで台詞の意味を理解するのが困難になっているところもあります。しかし、その部分を理解しますと、登場人物の苦悩とシンクロさせて語られていて信じ難いほどの出来映えであることが分かります。

Evangelionとは「福音」=Good News ですが、福音はそれが書かれ始めたときより、Goodでしかも New ( News の語源は俗説にあるN.E.W.S.ではなく単にNewの複数型です)であるように書かれてきました。その意味でこの物語はEvangelionの名に値するものと思っています。

 

筆者としては謎の大部分はほぼ解明できたと考えていますので、おそらくこれが最後の論考になると思っています。読者のみなさん、そしてYasuakiさん、ありがとうございました。

 

 

参考文献。

THE GNOSTIC GOSPELS. By ELAINE PAGEL.

ADAM, EVE and SERPENT. By ELAINE PAGEL.

THE ORIGIN OF SATAN. By ELAINE PAGEL.

どれもVINTAGE 出版。

この三冊は著名な宗教歴史学者(プリンストン大学教授)によって一般向けに書かれた本ですが、実に面白く一週間ほどで読み終えました。邦訳がありましたらぜひお勧めします。キリスト教成立時の歴史事情についての解説はこれらの本を元にしました。

 

THE OTHER BIBLE. Edited by Willis Barnstone. HarperSanFrancisco 出版。

The Dead Sea Scrolls in ENGLISH. By G. VERMES. A PENGIN BOOK 出版。

Dead Sea Scrolls Uncovered. By R. Eisenman & M. Wise. Barns & Noble 出版。

From JESUS to CHRIST. PBSで放映されたFRONTLINETVプログラム。Web siteもあります(www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/religion/story/)

Online Bible ver 2.9. (インターネットでDownloadできます。King James Version,Young's Literal Translation, American Standard Version他、Easton's Bible Dictionary, Greek, Hebrewの対訳、検索などが自由にできます。)

 

参考したWeb-site (前回までのも含めて)

Lilithに関して。

www.hist.upenn.edu/humm/Topics/Lilith/

www.lilithmag.com/resourses/

www.lilitu.com/lilith/

www.mountainastorologer.com/hunter.html

カバラに関して。

kabbalah-web.org/engkab/

kheper.auz.com/topics/Kabbalah/

www.digital-brilliance.com/kab/nok/

www.acs/ucalgary.ca/~elsegal/

www.inner.virtual.co.il/sefirot/

members.tripod.com/~Coronzon/denudata.html

kavannah.org/kabbalah.html

ギリシャカバラに関して。

www.crcsite.org/GreekKabala1.html

グノーシスに関して。

www.gnosis.org/

天使、悪魔に関して。

www.shreve.net/~bprice/hierachy.html

members.tripod.com/~Coronzon/lucifer.html

www.incyclopedia.org/ch71.html

homepages.iprolink.ch/~avi/kult/archons.html

 

付録。

 

KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR Word and music by Bob Dylan

 

Mama, take this badge off of me

I can't use it anymore.

It's gettin' dark, too dark for me to see

I feel like I'm knockin' on heaven's door.

 

*Knock, knock, knockin' on heaven's door

Knock, knock, knockin' on heaven's door

Knock, knock, knockin' on heaven's door

Knock, knock, knockin' on heaven's door

 

Mama, put my guns in the ground

I can't shoot them anymore.

That long black cloud is comin' down

I feel like I'm knockin' on heaven's door

 

*(繰り返し)

 


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