セフィーロートの木とアダム、カバラとエヴァンゲリオンについて。


よく知られているように、エヴァンゲリオンではユダヤ神秘主義(カバラ)からくる
「セフィーロートの木」というシンボルが現われます。 しかし、どうもエヴァンゲ
リオンのなかでの具体的な解釈が見当たらないようなので、少し述べてみたいと思い
ます。 なお、井筒俊彦先生の「意識と本質」(岩波文庫)を全面的に参考にしてい
ることを断わっておきます。

まず、カバラ(カッバーラー、Qabbalah)について。 これは、ユダヤ教の主流であ
る教条主義的な「ラビ(ユダヤ教における司祭)的ユダヤ教」に対する、ユダヤ教内
における一種の反抗運動であるとされます。 

十二世紀後半、フランスのランドック地方に起こり、十三世紀には南フランス、スペ
インを中心として精神主義的一大運動となって、現在にも続いています。「ラビ的ユ
ダヤ教」がトーラー(旧約聖書)から神話的なシンボル、象徴的なイメージを一掃し
ようとしたことが宗教としての神の存在を希薄としてしまったことに対する反発か
ら、
こういった合理主義に対して、神の神たる神秘的面を表すシンボルを尊重しようとす
る運動なわけです。

カバリストたちは神の生まれてくる仕組みを考えます。 神は絶対無限定的なエネル
ギーとされ、その存在エネルギーが「セフィーロート」という神の内的構造における
十個の凝集点(セフィーラー)を充溢していく過程をもって神の出現を説明します。
「セフィーロート」とは「セフィーラー」の複数型であり「数」を意味します。

この十個のセフィーラーの関係を動的に表したものが、「セフィーロートの木」なわ
けですが、性格としては密教のマンダラと同じものです。 これはエヴァンゲリオン
では至るところにみられます。 テレビのオープニング、ゲンドウの執務室、サード
インパクトの時にエヴァ初号機とエヴァシリーズで作られた形、レイがターミナルド
グマで浮かんでいるプール(?)の形。


具体的に、この十個のセフィーラーについて述べてみます。

第一のセフィーラー。「ケテル」。意味は「王冠」。存在流出の究極的始源であっ
て、
「旧約」(「出エジプト記」三章十四)の神言「我は在りて在るものなり」にあたる
純粋な「有」であり、仏教的に言うなら「空」のうちの「真空妙有」の「妙有」的側
面に当たります。

第二。「ホクマー」、「叡智」。神の自意識とされ、「太陽」、父に例えられます。
第三。「ビーナー」、「分別知」。神がみずからを映して眺める鏡に例えられ、そこ
に神の一者のなかに潜む多者を存在可能性としてみます。その意味で母に例えられ、
宇宙的「子宮」として形象化されます。仏教的には胎蔵。

第四。「ヘセド」、「慈悲」。神の創造性の肯定的面を表します。
第五。「ゲヴーラー」、「厳正」。神の否定的、抑止的原理を表し、別名「ディー
ン」
(審判)とも呼ばれます。

第六。「ティフエレト」、「美」。全体的融和と調和の美であり、セフィーロートの
中心点として各個のエネルギーがここに集まります。その意味で「神の心臓」にあた
ります。

第七。「ネーツァハ」、「把持」。永遠不断の持続性を表します。
第八。「ホード」、「栄光」。神の唯一絶対たる王者の性質を表します。
第九。「イェソード」、「根基」。宇宙に遍万する生殖力を表します。

第十。「マルクート」、「王国」。神の支配する王国の例えで、空間的に最下に位置
し、上位のすべてのエネルギーが一つになってここに流れ込んできます。 人界から
は神への入り口にあたると同時に、存在世界のあらゆるところに遍在し、臨在して、
そのもののなかで働く神の面をもちます。その意味で「シェキーナ」、「臨在」とも
呼ばれます。また、それは神自身の内面に働く根源的に女性的要素であり、イメージ
(形象)として、王妃、妻、母、娘、処女などといろいろに変貌します。

エネルギーの流出過程は第一からはじまり、第十で終わり、そうして神が生まれる
(現われる)わけです。

このセフィーロートの木に特徴的なことは、最初のセフィーラー、ケテル「王冠」が
「エーン ソーフ」(無限)と呼ばれる存在可能性を秘めた 絶対無(「空」)から
生まれてくることであるということです。一神教的人格神をもつユダヤ教はこの意味
で真言密教にいう「本不生」と同じ性格をもちます(明、無明と同じことです)。
カバラでは、この無の有的側面(セフィーロートが動きだす前の存在)を「すべての
根の根」、「偉大な実在」と呼び、聖書的神「顕現せる神」に対して「隠れた神」
「無の谷間の神」と呼びます。

つまり、神の内的構造の太源として無があるわけで、その点に帰れば、

神も人もすべての生命が死をもって一つになる。

ことも可能なわけです。また、それは単なる無ではなく、無限の存在の可能性を秘め
たものであるわけで、そこに帰ることは

通過儀式なのだ。

ともいえるわけです。 

セフィーロートが神(存在世界)を生み出すエネルギー流出の内面的仕組みであるこ
とを考えれば、順過程では、ケテルからはじまり、マルクートを経て神があらわれ、
そして世界が創造されることになります。もし、逆の過程が可能であれば、世界は神
とともに無に帰ることになります。

さて、エヴァ初号機とエヴァシリーズ(計、十機)によってセフィーロートの木が作
られ、サードインパクトが起こりました。 この時のセフィーロートの木をよく見て
みましょう。 セフィーロートの木が逆さまになっています。(テレビのオープニン
グと比べて下さい)。 本来なら空間的に最下位にあるはずのマルクートが最上位に
位置しています。 これは、過程が逆になっていることを示しています。 つまり、
創造ではなく、無に帰る過程です。

アンチATフィールドか。

分子間引力がこれ以上維持できません。

つぎに初号機の位置は、第六セフィーラー、ティフエレトにあります。 すでに述べ
たように、これは神の心臓であり、すべてのエネルギーが集まる場所です。

ロンギヌスの槍を失ったいま、リリスによる補完はできない。
唯一リリスの分身たるエヴァ初号機による遂行を願うぞ。

私たち人間はね。アダムと同じ、リリスと呼ばれる生命体の源から生まれたものなの
よ。

つまり、セフィーロートの木の心臓に当たる部分には、神である生命体の源から作ら
れたものが必要であり、それがエヴァ初号機だったわけです。もちろん(神を殺す力
をもつロンギヌスの槍があれば)リリスそしてアダムでも可能であったでしょう。

逆過程では、神の「臨在」を表すマルクート「王国」が現われ、「無」に還る過程を
経ると考えられます。 そして、エヴァンゲリオンではリリスの一部であるレイが現
われ、人々をLCLに還していきます。

つまり、レイはセフィーロートではマルクートにあたると考えられます。 こう考え
る理由は他にもあります。 まず、ターミナルドグマで(不完全な形ですが)セ
フィー
ロートの木状のプールに浮かんでいるレイ。 その位置は、マルクート。

また、セフィーラー間の関係をエヴァンゲリオンの人間関係において考えると、
ちょっ
と面白いことが分かります。 カバラでは個々のセフィーラーにそれを体現する理想
的人間像をあてはめることがおこなわれます。 例えば、第四「慈悲」にはアブラハ
ム、そして第五「厳正」にはイサクという風に。

シンジの乗ったエヴァが神の心臓に当たるティフエレト(第六「美」)に位置するこ
とから、シンジをティフエレトとします。 理由はレイとの関係にもあります。 カ
バラでは第二ホクマー「叡智」を父とし、第三ビーマー「分別知」を母とする「結
婚」
によって、エネルギーの流出とは違う形で、第六ティフエレト「美」という息子が生
まれるとします。 そして、第十マルクート「王国」は同じ「結婚」から生まれる娘
であり、第六とは兄妹です。

シンジとレイが(ある意味で)兄妹であるというと驚くかもしれませんが、第弐拾話
でのゲンドウとユイの会話、

きめてくれた?
男だったらシンジ。女だったらレイと名付ける。

を考えれば意外でもありません。 つまり、ここでもレイはマルクートで、シンジは
ティフエレトとして当てはまります。

そしてなによりも、レイ自身がマルクートとしての性質を備えています。 前にも述
べましたが、マルクートは神の臨在であるとともに、(ゲンドウにとっては)妻、娘
であり、(シンジにとっては)母、そして処女ともなる変貌する存在であるわけで、
これはレイそのものです。

さらに、カバラではセフィーラー相互間のエネルギー流通の原理に従って、第六の兄
と第十の妹は性的結合関係に入るとされます。 エヴァンゲリオンでは、もちろんこ
れはLCLの海のなかでシンジと結合しているレイです。 しかも、それが空間的に第
六(男性)が上になり第十(女性)が下になる形、Missionary position(正常位)
ではなく、反対になっている(騎乗位)ことが、これが逆過程であることを暗示して
います。

ここまでくると偶然ではないように思えますが、そうすると、第二「叡智」がゲンド
ウで、第三「分別知」がユイとなるでしょう。 こう考えると、いろいろと暗示的に
示されているものが見えてくるように思えますが(ユイが宇宙的「子宮」となって地
球から離れていくことなど)、ここでは省略します。


最後にセフィーロートの木とアダムの関係について述べます。

この木の構造を宇宙的に巨大な人間の身体として、想像することがカバラの伝統とし
てあります。 精神存在のエネルギーの凝集点を、身体的に位置付けようとすること
で、この点においてタントラのcakra(チャクラ)と非常に近いものになります。 

中央の柱は脊椎、「王冠」は頭頂、「叡智」と「分別知」は頭の右半分と左半分。
「慈悲」と「厳正」は右手と左手で、中央の「美」は心臓で全身の生命の中心点。
「把持」と「栄光」は右脚と左脚、「根基」は生殖器であり、「王国」は足です。 

こうしてでき上がる身体を「原初的人間」(adam)といい、地上的人間の「原型」と
いう意味があります。 つまり、アダムは、セフィーロートの木全体を体現したもの
なのです。

エヴァ初号機とエヴァシリーズによってセフィーロートの木が現われた時に、マヤが
こう言います。

すべての現象が十五年前と酷似している。 じゃあ、これってやっぱりサードインパ
クトの前兆なの。

セカンドインパクトのときにはエヴァシリーズなどなかったはずなのに、セフィー
ロー
トの木の逆過程のエネルギー流という現象が現われた理由。 それは、アダムがセ
フィーロートの木自体であり、そしてその体内のセフィーロートの木のエネルギー流
を逆転させる事態が起きたからでしょう。

それによって、一定の範囲内のすべての生命体の消失となったわけです。 被害は予
定された時限式の爆発で最小限に食い止められました。 

カウントダウン進行中
槍を引き戻せ。

逆流のきっかけは、おそらく異種の生命体の源(リリス)から生まれた人間の遺伝子
との融合の際使われた、ロンギヌスの槍を深く、あるいは長く突き刺し過ぎたためで
あったと推測されます。




以上でこの稿を終えますが、最後に井筒俊彦先生の哲学思想について述べておきま
す。
彼はイスラーム哲学の大家として知られていますが、この天才の晩年の夢はギリ
シャ、
イスラーム、ユダヤ、インド、中国そして日本を含む宗教哲学思想を東洋哲学として
まとめ上げるものでした。上にあげた本の中でもその片鱗が見えますが、「意識の形
而上学。大乗起信論の哲学」を最後にお亡くなりになりました。残念なことです。













 

 


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