結局

色々な謎があり、でもそういうことは良く分からない(あるいは自分ではこう思うけど人とは違う)でも、「エヴァが好きだ」それで良いですよね。

 

レイのところで受け皿的、などと表現しましたが、広い意味での「自分の心、自分の世界」の内の何かを、エヴァの中に見出すこと、これが一番大切なはずです。謎解きが判っても判らなくてもいいです。例えば「エヴァのこの辺の彼って、まるで自分のようだ」「この場面の彼女はあの時の彼女のようだ」それだけで良いです。

 

よく人に何かを相談すると言いますが、実際には、相手の知恵も借りて具体的な解決方法を見出すというよりも、ただ「ハナシを聞いてもらう」ことそのものが大切で、実はただそれだけでいい、ただハナシを聞いてもらえさえすれば救われるものなんだ、というのはよく言われることです。又、キリスト教で行われる懺悔も同じであろうと思われます。自分の心の奥にしまい込んで人には中々見せられないありのままのものを見てもらう、聞いてもらう、それだけで救われる… そしてフロイトなどもその治療法いついては「煙突掃除」という別名がある通り、ただ無意識に押し込めた自分のありのままの心を自分が「自覚するだけ」それだけで症状が治る、救われる… 

だから、ただエヴァの中に自分の心の中の何かを見出し、「それをストーリーとして作ってくれた、自分のような人間を知ってくれている人がいる、そして沢山の人がそれを見ている」それが何より大切だと思うのです。映画、小説、アニメ等々…すべての「作品」にとって一番大切なものは、そこから何かを見出すとか学ぶとかいうことよりもまず、「自分の心の何かがそこに投射されていることによって、自分が救われること」だと思うのです。

 

なんだかんだと書かせていただいた私が、最後にこのようなことを言うのは無責任のようですが、とにかく「エヴァが好きだ」という気持ちを何よりも大切にしたいのです。それを分かち合えればと思っています。おしまい。


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