「ポセイドン・アドベンチャー」という映画がありました。いわゆるパニック映画というカテゴリを開拓した映画として、今でもその価値が認められている映画だと思います。この映画が無ければひょっとして最近話題になった「タイタニック」も無かったかも知れませんね。内容的にも素晴らしいものがあると思うのですが、とりあえずそれは置いておいて、この映画の原作者ポール・ギャリコが書いた小説で「ジェニイ」というのがあります。もしも猫好きなのにまだこの本を読んでいない方がいればぜひオススメします。絶対に読んで損はありません、私が請け負います。「ホワッツマイケル」ですらこの本のパクリではないかと思わせる程です。
で、そのあらすじですが、ある日交通事故に遭った少年が気が付くとノラ猫になっていて、他のノラ猫との生活の中で次第に大人に成長してゆくという「大人のための童話」という感じのハナシです(エヴァと同じ大人のための童話ですから、すごい読みやすい本ですよ)。で、それが私の頭の中で、エヴァのTV版のラストとダブッたりするのです。どうしてなのかはもっと詳しくあらすじを説明させていただかないと分かり辛いでしょうが、もしこれから読んでいただける方がいるとしたら、つまんなくなってしまうので…。
最後の最後にアスカがシンジの幼馴染で…と設定した世界のシーンがありました。これを大胆にも「現実の世界」と考えるてみるのです。そうするとサードインパクトのあったエヴァの世界は? というと、これはシンジが現実から逃避しようと彼の頭の中で創り上げた空想の世界であると…。ゲンドウの読んでいた新聞の日付は2015年で、その記事の中に「南極の昭和基地に見学隊が行った」というのがあるのは、めざといエヴァファンの方はお気づきだろうと思います。ということは、当たり前ですが、2015年の時点で昭和基地が存在しているのですから、この世界においてはサードインパクトなど無かったということになります。さらにはこの世界における第三新都市…でしたっけ、これについても、シンジと二人で学校へ向かう途中のアスカの口を借りて説明がされていました。
しかしこれらは勿論、私のこの仮説みたいなものを裏付ける必然となり得るものだなんてゼンゼン思ってません。この仮説みたいなものはゼンゼンいいかげんです。他にも全く関連付けられる必然性はありません。というか自分でも馬鹿馬鹿しくてあまり結び付けて考えていません。あえてなんとなく必然性といえば、これが最終回であることと、アスカが幼馴染である方の世界が空想だということで終わるとしたら、なんだか「マッチ売りの少女」のような気がして、それだとどうも寂しすぎるというか… でも、これってどーでしょう? これはこれで、なんか自分では妙に気に入ってるというのか安心できるというのか、そんな一つのエヴァの見方なのです。むしろその方が寂しいですか?
おまけのおまけ(サブタイトル 逃げちゃダメだ)
シンジを、少年時代に自我が確立してゆく際の庵野監督が投射されたものだと仮定します… 明るい笑顔で「こんな風に捉えることも出来るんだ」と言ったシンジ、しかしそれは夢の中でそう思ったのであって、夢から覚めてみると、現実と合致した言葉ではなかった。その現実とはたった今目を覚ましたこの世界、幼馴染のアスカがそこにいる、こちらの方が現実の世界だったのだ。
しかし今日の目覚めは、シンジの人生のそれまでの目覚めとは違う、決定的に大きな目覚めだったのだ。遂にそこにたどり着いたのだ。もしくは、自分がひっくり返った末に、ここに帰ってきたのだ。それまでは暗く厳しいと思っていた現実の世界、そこから逃避したくてエヴァの世界を頭の中で作り上げたシンジ、本来逃避をしてエヴァの世界に来たにも関わらず、その世界の中では最後まで戦い続けたので、良い方向へと成長することができてしまった。それはもう他に逃げるところが無かったからなのかも知れない。
そして人間の創造力は、それをどんどん追究し推し進めてゆかなければ気が済まないところがあり(いや、そこにこそ分かれ道があるのかも知れない、推し進めてゆく人、いかない人…)結局その先にあるものは真実なのだろう。それはジェニイの方も同じなのだろう。そこから逃避したくなるような暗く厳しいと感じていた現実の世界を、あんなに明るい笑顔で捉えることができるようになったことが、成長したということなのだ。その切り替えの直前に明るく感じたものとは、実はごく普通のありふれた現実の世界なのである。
つまり変わったのはシンジなのだ。そう感じることが出来るようになったということが、直後の成長したシンジなのである。庵野監督にしてもポール・ギャリコにしても、あのような創造力の強い人達の自我が確立し、人間的に成長する過程というのは同じなのかも知れない。人並みはずれた創造力を持つ人、その「人並みはずれた」、ということが、凡人の中でうまく人間関係を持てないことにつながってゆくのかも知れない。それが先天的な才能なら、少年時分から既にその傾向を持っているのだろう。そんな中で、まだ未熟で弱い少年はその創造力の強さ故、とてつもない世界を頭の中に作ってまずそこに逃げ込み、そしてもうそこ以外逃げるところはないのだから、その中で戦い、苦しみ、悩み、とことん突き詰めていくとそれは真実へとつながり、そうして成長して、ぐるっと一回りして遂に最後は現実の世界(真実の世界)を受け入れることができるようになるという、そんな共通した流れを経るものなのかも知れない。