海岸に作られたみごとな砂の城

少年は、跡形も無く蹴り壊す

あさりよしとお

  例え話をするならば、海岸に作られたみごとな砂の城。完成を前に日没を迎え、どうするのかと見守るギャラリーの目の前で少年は跡形も無くそれを蹴り壊してしまう。「もったいない」「ひどいことをするな」と騒ぐ野次馬に向かい、少年は一言・・・・・・「ボクが楽しくて作っていたんだ。キミたちだってもう充分楽しんだだろう?壊すのは作ったボクの勝手。誰か困る事があるのかい?なんで黙って見ていただけのキミたちにそんなこと言われなきゃならないのさ?」 と、いうわけでTVアニメ『エヴァンゲリオン』全26話が終了した。完結はしなかったが・・・。

  『あの』最終回について、いろいろ思う人間はいたと思うが、前ふりで書いた通りTVが相手では、内容に対し怒ったりするのは筋違いというもの。もともとTVは垂れ流しの、無責任なメディアなのだから。客が『金返せ!』と言えるのは、それなりの対価を払った物に対してだけであり、TVのごとき『情報メディア』においては、受け取ったものの取捨選択、価値の設定などは受け手側の責任において成されるべき物であり、頭っから『正しいもの』が放映されているなどと思い込むのは大間違いで、危険な錯覚である。

  その辺を確認した上でもう一度、エヴァの最終回を見直してみよう。24話を境に断ち切られた連続性。ひたすら主人公がつぶやき続けた末、何も起こらずに口先で解決を宣言して終わるラストシーン。多くの人間はそこで『期待外れ』と文句を言ったが、バッドエンドも、期待外れも、選んで描くのは作者の『自由』。見る側がそこへ踏み込んでどうこうできる権利などないのだ。 どんな醜悪な内容も、台無しな結末も、作品世界の神である作者の意志ひとつ。全ては制作者の裁量権のうちなのである。

  で、エヴァの最終回は結局どうなのかと言うと、どうでもない。要するにあれは作品などではなかったのである。『ここがクライマックス』とか、『ハッピーエンド』と言うだけで済むなら、プロの物書きなんぞいらんわ! あらゆるクリエイターは、その手掛けるメディアを駆使して客に『語ら』なければならない。『描く』ことで関わらなければならない。その結果がどう転ぼうと、それが『金をもらって』『作品を作る』『プロフェッショナル』の『最低限』の『仕事』なのだから。ところがエヴァは最後の最後でそれを放棄した。 

  どんな内容であれ、『商業作品』としてやるからには最初から周到に獲物を誘導し、罠に誘い込む・・・そうしなければならないのだ。動かない獲物を引きずって言って罠に放り込んだのでは『罠』が成功したことにはならない。 つまり、描かれた内容が問題なのではない、描いていない事が問題なのだ。

  個人的な感想を言えば、最悪でもつまらない作品で終わってほしかった。つまらないのは、まともに『作品』である証拠。状況、体調、精神状態、全てが最悪でも、そこへうっちゃるのがプロってもの。前衛を気取って投げ出して名を廃らせて、挙句の果てに狙った効果もないと来ては、いい事一つも無し。作品の評価は、『言いたかったこと』では無く、あくまで『結果』に対して下るもの。泣いても笑ってもこの事実は曲がらない。

  とは言うものの、ここ数年間のましなTVアニメでさえ、ボーダーライン越えのエピソードの率は2割強(4〜5話に1話)。エヴァの場合は最終的に7割オーバー。エヴァが今、ぼろくそに言われていることを考えると、他のTVアニメって一体何なのでしょうね?

 

「自分で自分を抱きしめてあげる」ことができたラストシーン

緒方恵美

  TVシリーズの「エヴァンゲリオン」は最終回を迎えましたが、私自身は「終わった」という実感はあまりないです。 ラストでシンジは「僕はここにいてもいいんだ」と自分なりの答えを見つけることができましたが、これが彼の本当の「終わり」ではないはず。なぜなら、それえ彼が本当に救われたかというと、そうではないから・・・・・・残酷なようですが、人間、そんなに簡単に変われはしない。愚かな生き物ですからね。繰り返しちゃうんです。コンピュータのように、1度インプットしたらあとはバッチリ、というわけにはいかない。みっともなく、のたうちまわりながら生きていく。だからこそ面白いんですよ。楽しいんです、生きていくことって。そのために「気づく」ことが必要なんです。 

  シンジは今回ひとつ、気づくことができた。それはとても大切で、幸せなことでしたね。これからも彼は、行きすぎたり戻っちゃったりしながら進んでいくことでしょうし、そういう意味でもあれは「継続の中の区切り」、人が生きていく上での大切な通過地点のひとつだという感じがしました。

  最後にシンジはみんなからおめでとうと言ってもらえました。額面通り、たくさんの人に囲まれながら一問一答を繰り返したと、とらえてもいいと思いますが、私はあれは、シンジの自問自答のシーンだと受けとめています。彼はそれまでのみんなとの接触の中から、一番シンプルに答えを導き出せる自分の「鏡」の部分を抜き出し、かみしめて・・・・・・そしてようやく、自分で自分を抱きしめられた。もちろん、シンジ自身そんな強力な裏技が使えるハズもなく、そこはアニメの技、創造主様(監督)のお力以外の何物でもないのですが(笑)。

  あのラストを見て幸せな気持ちになれた皆さんの中には、自分のことを抱きしめてあげる感覚を、初めて疑似体験できた人も多いのではないかと思います。シンジに、そして全ての同じ気持ちを持った人に、私からも伝えたいです。「おめでとう」。

 


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