1.兵器としての使徒から、天使としての、そしてヒトの可能性としてのシトまで
<企画会議・・・単独兵器としてのシト>
人類以前に存在した二つの先史文明。最初の文明(第一始祖民族)はエヴァを造ったが、それが原因で滅ぶ。次の文明(第二始祖民族)はロンギヌスの槍を造り、エヴァの封じ込めに成功。後に何者かがエヴァを復活させたときの対抗策として世界各地に使徒を眠らせた。
つまり、企画の段階においては、使徒とは、エヴァの覚醒に備えて眠っている人造兵器なのです。
<企画書・・・天使としてのシト>
企画書において、使徒は「世界各地に残された第一始祖民族による遺物」と表現されています。
第2始祖民族から第一始祖民族に製作者が変わっており、また、エヴァは第一始祖民族により作られたのではなく、最初の使徒アダムをもとに人間が作成したことになるなど、大きな設定の変更が見られます。
そして、使徒の目的もエヴァを倒すためというよりは、人類補完計画をつぶすためです。この段階における人類補完計画は複雑なものではなく、ヒトが生命の実を手に入れ不死になることを目指すものです。ということは、使徒は、ヒトが生命の樹に近づくのを阻むという、旧約聖書創世記におけるケルビム(天使)の役割を持っているということです。
つまり、この段階で、生命の樹に近づこうとするヒトを攻撃するという、天使の役割を、使徒は持ちます。
しかしながら、使徒=古代人の残した兵器という設定は変わっておりません。
<脚本〜テレビ・・兵器とヒトの間としてのシト>
脚本においては、
1話ゲンドウ「そうでなければ単独兵器として役に立たんよ」
5話リツコ「構成物質の違いがあっても信号の配置と座標は人間のそれと酷似してるわ。99.89%ね。」
17話ゲンドウ「使徒は知恵を身につけ始めています。」
脚本版21話ミサト「使徒は第一先住民族の残しただの戦闘兵器でないことはわかっているわ。」
24話カヲル「僕はこのまま死ぬこともできる。生と死は等価値なんだ。自らの死、それが唯一の絶対的自由なんだよ」
「アダムに生まれしものはアダムにかえらねばならないのか。ヒトを滅ぼしてまで」
という台詞があります。
始祖民族が先住民族という名称に変わっておりますが、これは単なる名称上の問題です。人類の直接の先祖ではなく、地球に先住していた民族が使徒を造ったというニュアンスの変更だけです。
ここで重要なのは、「単なる戦闘兵器ではない」とされていることです。
ここにおいて、使徒は古代人の残した兵器から、それ以外の要素を身につけることになります。
一つは、遺伝子がヒトとほぼ同じになったこと。
もう一つは、アダム(使徒にとっての母)に帰ることが目的となったことです。この結果として、ヒトが滅びる可能性が語られています。
つまり、ここまで、使徒はまず兵器であったのですが、ここでは、兵器としての位置づけを保ちながらも、より人間に近い、遺伝子がほとんど同じで生存競争するかのようなイメージを持ち始めます。しかし一方で、カヲルの台詞は、兵器としての運命を語っているようにも思えます(生と死は等価値、死が唯一の絶対的自由など)。
<映画25話・・・ヒトとしてのシト>
ミサト「私たち人間もね、アダムと同じリリスと呼ばれる生命体の源から生まれた18番目の使徒なのよ。」
「他のシト達は別の可能性だったの。ヒトの形を捨てた人類の。」
「ただ、お互いを拒絶するしかなかった悲しい存在だったけどね。」
ここにおいて、シトは兵器というよりは、ヒトと同様の存在となります。
<まとめ>
当初、エヴァをしとめるための単独兵器でしかなかった使徒は、設定が深まるにつれ、徐々にヒトに近づき、最終的にはヒトが使徒への歩み寄りも見せたため、ヒトと区別のつかないものとなりました。
エヴァの物語のなかで、一方では兵器として語られ、一方ではヒトの可能性として語られるシーンがあるのはこのような設定の変移に基づきます。
2.使徒の動力源
<企画書・・単独兵器としてのシト>
陽電子機関を動力源としております。
<脚本>
脚本版第5話リツコ「間違いないわ。動力炉は予想通り陽電子機関ね。」
以上、使徒の動力源は陽電子機関でした。企画書では、エヴァ初号機に使徒から奪った陽電子機関を取り入れ大改造する話もあります。
しかしながら、脚本の中にはS2機関も登場しております。
<テレビ・・ヒトとしてのシト>
陽電子機関は完全になくなり、S2機関こそ使徒の動力の源となります。エヴァ初号機が手に入れるのもS2機関です。S2とはスーパーソレノイドであり、遺伝子関係の言葉です。スーパーソレノイド理論の詳細はわかりませんが、生物的な響きをもつことは間違いないでしょう。シトは、ヒトにさらに近い存在になったわけです。
<まとめ>
この、陽電子機関→S2機関とういう流れは、上述した、使徒=「兵器」から、使徒=「ヒトと同じ遺伝子をもつ、可能性の一つ」という設定の変更に対応したものだと思われます。
3.シトとヒト
旧約聖書創世記によれば、ヒトが生命の樹に到達できないように、神はケルビムという化け物(天使)を配置し、ヒトを邪魔します。これを倒さねばヒトは生命の樹には到達できません。
ゲンドウやゼーレが、全ての使徒を倒した後、生命の樹に到達した過程は、この旧約聖書の設定からきております。旧約聖書のバリエーションである死海文書をもとにゼーレが動いていることもこのことを確証します。
なお、旧約聖書には、このケルビムという天使がどのような由来を持つものかは何も書かれていません。
しかし、
ミサト
「他のシト達は別の可能性だったの。ヒトの形を捨てた人類の。」
映画バンプ「知恵ゆえにヒトは栄え、知恵ゆえに滅ぶのか。一方、この時、生命の実を手にしたヒトも在った。使徒だ。それは未来を賭けて争う別の可能性。」
ヒト=知恵の実を食べた存在。結果として、科学と、死を手に入れた。
使徒=生命の実を食べた存在。無限の生命力であるS2機関をもつ。
ということがわかります。
使徒の動力源が、陽電子機関から、S2機関へと変わったのも、この設定にそったものでしょう。
4.シトの最終的な設定
要約しますと、
企画会議=単独兵器としてのシト
企画書=残酷な天使としてのシト
脚本版=ヒトとしてのシト
以上のようにシトは3つの要素を備え、映画版においては、ヒトとシトの区別がつけられない所まできました。
つまり、生命の実を食べたヒトであるシトが、同時に生命の樹の守護をかね、知恵の実と生命の実を両方手にいれようとする人類を攻撃する、というのが使徒の最終的な設定の骨子であることがわかります。
それゆえ、使徒はある面でみると、自動的に目覚める単独兵器(生命の樹の番人である天使)であり、別な面でみると、ヒトと遺伝しを共有する仲間であったわけです。