−ビールについて−

 

ミサトは、冷蔵庫に大量のヱビスビール(YEBISU)をおいております(バージョンによっては、YEBICHUビール。たしか、テレビ局の意向による)。

ビールは様々な銘柄が発売されているにも関わらず、なぜ、ミサトはYEBISUビールに対してここまでこだわっているのでしょうか。

 

「美味しんぼ」の中に、こんな話があります。

第二次大戦中、ドイツで日本人男性とユダヤ人女性が恋に落ち、結婚します。しかし、ユダヤ人である彼女を日本に連れて行くわけにも行かず、結局彼女はアメリカへ、彼は日本へと戻ります。そのさい、自分の大好物のビールとソーセージを、彼女と会えるまで2度と食べませんという誓いをします。

戦後、無事再開できるのですが、幸せを失うのが怖くて、彼はビールは飲まないことにします。そして、それから50年がたち、金婚式になって、ようやく、彼は、大好物のビールを飲む気になります。

ところが、日本のビアガーデンで飲んだビールは、自分がイメージしていたビールとは全く味が違い、思わず、「これは、本当にビールですか」という質問を発します。そして、自分が思い出の中でビールを美化していたんだと考え、いっそのこと飲まなければよかったとショックを受けます。(16巻)

 

結局この話は、主原料が麦芽100%であるドイツビールと、日本で主流になっている、必ずしも麦芽100%ではないビールとの違いが問題になるわけですが、山岡士郎は、「日本でもドイツと同じ麦芽100%のビールが飲めますよ」といって、ヱビスビールを紹介し、この夫婦はようやく幸せをかみしめられる、という話です。

つまり、ドイツで50年前に飲んだビールの味が忘れられなくて、日本のビールがビールとは思えなかったということです。

 

さて、この話は、なぜミサトがヱビスビールにこだわるかという問題についても鍵となりそうです。

ミサトは、日本に配属される前、ドイツで勤務していたことが明らかになっています。おそらく、そこでドイツビールのファンになり、それ以外はビールではないという、前述の「美味しんぼ」の老人と同じような気持ちになっていたのでしょう。それで、日本に帰ってからも、麦芽100%のビールに対してこだわっていたのだと思えます。

 

しかしながら、麦芽100%のビールは必ずしもヱビスビールだけではありません。ヱビスビールはサッポロビールの製品ですが、サントリーのモルツ、キリンのビール職人など、今では各社から出ております。

それでもあえてミサトがヱビスビールにこだわるのはなぜでしょうか。

 

やはり、答えはドイツ滞在にありそうです。

 

ビールは主原料の他に、調味料のようなものとして、ホップが加えられます。ヱビスビールの特徴として挙げられるのは、メーカーであるサッポロビールの宣伝によると熟成期間が通常のビールの2倍であること、ドイツのバイエルン地方産出のアロマホップを使用していることです。

 

おそらく、バイエルン地方の高級ホップを使用していることが、ドイツ帰りのミサトにとって決め手だったのでしょう。

 

この写真は、バイエルン旅行の時のもので、有名なノイシュバインシュタイン城です。ヨーロッパ旅行のカタログには、これを表紙にしているものが多数あります。

この城は、ヨーロッパでも最も美しい王として名高かった狂王ルートヴィッヒ2世によるものです。彼の悲劇的な生涯は、やはりヨーロッパで最も美しい姫君として有名だった、いとこのエリザベトの悲劇と共に伝説になっています。例えばビスコンティの映画「ルードビッヒ−神々のたそがれ」など。

彼が狂人として監禁され、謎の死を遂げたのが1886年。

ちなみにヱビスビールの誕生は翌1887年です。

 

さて、ドイツ旅行のガイドブックを見ていると、ドイツのビールはおいしい、といっている人と、日本や米国の方がおいしい、といっている人がいるのに気づくでしょう。

この記述の違いも、どうやら、麦芽100%でなければビールとはみなさないドイツ人と、濃厚なものよりも軽い味を好む日本人や米国人の好みの違いが出ているようです。

 

前述の「美味しんぼ」では、別な話の中で、麦芽を薄くして刺激を強めたドライビールが好きな日本人は、ビールの味がわかっていないという指摘があります(18巻「ドライビールの秘密」)。

 

そのあたりは好みの問題かとは思いますが、ビール文化の問題もあるでしょう。

 

私もバイエルンに旅行したさいには、せっかくだからということでビールを飲んだのですが、普通の店でもメニューが膨大なのには驚きました。様々な銘柄のほか、炭酸割やコーラ割などありとあらゆる飲み方がされているようでした。日本とはビール文化が根本的に違う気がしたものです。

 

「中世の星の下で」(阿部勤也著 ちくま文庫)によると、12世紀から15世紀は都市の比較的富裕な住人達は自宅でビールを醸造していたようです。そして、貧乏人や、農民は、不十分な設備で薄いビールしか作れませんでした。つまり、自宅にしっかりした醸造用の釜があることは金持ちのステイタスだったわけです。

また、救護院のようなところでも、年金所持者は濃い上等のビール、貧乏人は薄く苦いビール、とはっきり分けられていました。そして、都市の自治の中で、ビールの品質は市民が自分たちで徹底的に管理し、できによって輸出に使ったり、貧乏人用に使ったりしたわけです。

こういう歴史が、濃厚な(麦芽100%)ビールしかビールと認めない伝統を生み出したのかもしれません。

 

それから、中世においては、ビールは単なる飲み物ではなくビール粥になったり、煮るのに使われたりもしています。このへんが、今でも様々なビールのカクテルが常飲されている理由かもしれません。

 

かつては地方によって存在した、結婚式のあと花嫁の父がビールを乾杯し、のこりを花嫁が父の頭からふっかけるという風習、葬式で死人に頭からビールをかけ、出席者は飲めば飲むほど死者への功徳となるという習慣、各種祭礼のさいに、飲めば若返るといわれていた慣習など、ドイツ人におけるビールは、明治になってはじめてビールと出会い、薬として販売していた日本人とは比較にならないものがあるようです。

 

 

話は変わりますが、恵比寿という駅名や地名は、ヱビスビールの工場がかつてそこにあったことからきております。恵比寿で作られたからヱビスビールというわけではなく、逆です。今では、この工場は船橋に移転しております(サッポロビール千葉工場)。ここに一度行ったことがあるのですが、ここでは、シアターで「ビール歴史紀行」というムービーを放映しておりました。

 

この映画によるとシュメール人の楔形文字にもビールの話題が記載されているそうです。また、昔のビールは修道院などで、ブルートと呼ばれる薬草で作ったようで、ホップと麦という組み合わせは、ビール5000年の歴史の中でもたかだか5百年に過ぎないようです。

 

私は、こういう、薬草ビールなどという話を聞くと、むしょうに興味がわくたちなので、是非飲んでみたいものだと思いました。中世ではどんな薬草を組み合わせるかが、各都市の秘伝になっていたそうです(もっとも、ホップを使ったほうがおいしいからこそ、現在はそれに統一されたわけですが)。

歴史の中で、長い間ビールとして扱われてきたのは全く違う味なのかもしれません。シュメール人やエジプト人は、パンを発酵させてビールを作っていたようです。そこまではいいませんが、薬草ビールくらいは飲んでみたいものです。

しかし、残念ながら、これを飲める場所が見つかりませんでした。いわゆるヨーロッパの修道院ビールというのも、実際は現代的な方法で作っているようでした。

もし、薬草で作ったビールが飲めるところを知っていたら、是非教えてください。

 

 

話は変わりますが、「サッポロビール千葉工場」での説明によると、ビールは当日飲む分だけを、朝からじっくり冷やしておいたほうが、おいしく飲めるそうです。ミサトは全てのビールを冷蔵庫に保管していましたが、飲まない分は風通しのよい涼しいところにおいておくべきでしょう。

もちろん、ズボラな彼女にこんな点まで注意するのは余計なお世話かもしれませんが、

「やっぱ人生、このときのために生きてるようなもんよね」

とまで言いきっている以上、是非教えてあげたい気になります。ついでに言うと、缶からではなくグラスから飲むべきで、さらに、グラスは使用30分くらい前から冷やし、斜めではなく垂直にして注いだ方がよいとのことです。このあたりは泡立ちの関係のようです。

 

また、背筋を伸ばして豪快に飲むのが良いそうですが、これはミサトならバッチリです。

もっとも、彼女のように朝起きがけにビールを飲む人は、いつ冷やし始めるべきかという難問は、残念ながら聞き忘れました。

 

 

さて、ゼーレとドイツが切っても切り離せない関係であるのは、確かでしょう(キール・ローレンツはドイツ人、ゼーレやネルフもドイツ語、エヴァ2号機やアスカもドイツ産、ミサトやカジのドイツ勤務など)。

 

また、ドイツのバイエルンといえば、先ほどもあげたノイシュバインシュタイン城のほか、ビールの本場ミュンヘンなどがあるところでもあります。そして、ここのビアホールで、ヒットラーによるナチスの旗揚げも行われました。

 

ゼーレとナチスの関連を論じる人もおりますが、その場合には、是非ビールの事も忘れないで欲しいものです。


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