――カバラ――
エヴァンゲリオンで印象的なもののひとつに「生命の木」があります。この概念は、そもそも旧約聖書にでてくるものですが、そこでは「知恵の木」の隣にならび、実を食べると永遠の命が得られるとされています。
 
ユダヤの宗教的伝統には「カバラ」というのものがあります。いわゆる正統的なラビによるユダヤ教とは違う、隠秘学的な要素の強いものです。カバラにおいては、生命の木は10個の円(セフィロトといいます)とそれをつなぐ線で表現され、それぞれの円や線にヘブライ語のアルファベットがあてられます。これを利用して、瞑想などを行うのです。

エヴァンゲリオンにおいても、生命の木はこの構図で描かれています。
オープニングの初めの絵をはじめ、映画26話での、エヴァンゲリオンによる儀式の時の構図などで登場します。また、Nervのゲンドウ執務室の天井にもかかれてますし、映画でレイが浸かるLCLの構図もこれに沿っています。
どんなものだったかお忘れの方に、とりあえず絵を描いてみるとこんな感じです。下手ですいませんが。


 

 

サードインパクトの儀式では、この円の位置にエヴァがそれぞれあてはめられ、生命の木を完成させました。

さて、旧約聖書は大変古いものです。しかし、文献として残っている限りでのカバラや、この10個の円を結ぶ「生命の木」という絵はそれほど古いわけではありません。イメージが初めて文章で表現されているのは、紀元2世紀〜5世紀の「創造の書(形成の書)」です。翻訳もいくつかありますので、興味ある方は読んで見てはいかがでしょうか(箱崎総一著「カバラ」など)。ただし、「創造の書」では、円(セフィロト)の個数や数についてはいろいろ書いてありますが、構成図は明確ではありません。必ずしも、上記のような生命の木の絵とは特定できない気がします。


 
多くのカバラ経典は、さらにずっと新しいものです。大体は中世のスペイン起源のものとなります。なんで舞台がいきなりスペインになるかというと、ローマによって国を追われたユダヤ人達は、おおまかにいって東ヨーロッパと西ヨーロッパに分離したのです。前者はおもにドイツやオランダにあたり、後者はスペインや南フランスなどです。
そして、いわゆるカバラの文化はスペインや南フランスを中心に栄えました。
特に13世紀には、多数のカバラ文献がスペインに登場しました。
その中心となったのが、ここジローナ(ヘローナ)です。

この町のことを私が知ったのは、「スペインを追われたユダヤ人」(小岸 昭著:ちくま文庫)を読んででした。ここでは、著者はカバラ発祥の地として、ジローナからスペイン系ユダヤ史跡めぐりの旅を始めます。
そして、500年ぶりに復元された地下シナゴーグ「盲人イサク」を訪ね、カバラにおける無意識の探求が、この地下へと降りていくシナゴーグを見ることで初めて実感できたと述べています(ちなみに、シナゴーグとは、ユダヤ教の教会堂のことです)。

「カバラは、口から耳に直接伝授された、師匠相承の「口伝」および「伝統」を意味している。これは、長い間厳格な参入儀礼を経た有資格の弟子にのみ教えられた、密教的な知識だった。それが世に知られるようになったのは、13世紀スペインのユダヤ人の手になる著作からである。我々が今辿り着いたシナゴーグ「盲者イサク」こそ、じつはスペイン・カバラ発祥の、まさに現場だったのである。

〜ヘローナの「地下」カバラ主義者の家は、私にとってひとつの発見であった。己の意識の深層におりて行き、神の内なる根源的無と相対して「元型」セフィロトの流出世界にひたすら思考を凝らすカバラ主義者の瞑想術が、このような「地下」シナゴーグ建築を実際見ることによってはじめて理解されたように思われた。

右のような神認識の「地下」構造は、地上のいかなる権力や暴力によっても破壊することのできない、おそらくユダヤ人にとっては最後のものであったに違いない。」(「スペインを追われたユダヤ人」より)

 

これを読んで以来、スペインに来たら必ずジローナを訪れようと思っていました。
 
しかし、ジローナといっても、名所はカバラの史跡ではなく、大聖堂に保存されている「天地創造のタペストリー」です。こちらは、いろいろなガイドブックに取り上げられています。
ところが、カバラ発祥の地とも言うべき、地下シナゴーグは、どんなガイドブックを見てものっていません。もっとも、本物はスペインからユダヤ人が追放されたさい(500年前)に破壊されてしまい、現在のものはあくまでも復元したものなのですが。
前述の本によると、大聖堂の近くのようです。ぐるぐると探すと、「Issac el Cec」という矢印があります。案外簡単に見つかったものだな、と思いながら道に沿っていったのですが、それらしいものが見当たりません。前述の本によると、細い路地を入ると書いてあったので、適当に見当つけて曲がってみましたが,見当たりません。いろいろ探しているうちに、いつの間にか出発点の矢印に戻ってしまいました。中世そのものといった街なので、道が入り組んでいてわかりづらいのです。

 

ジローナは中世の雰囲気を残す街としても一流です。ユダヤのゲットーの保存状態としては、ヨーロッパでも最大のものと言われているそうです。
話は変わりますが、ゲットーに限らず私がいったことのある範囲で、中世の街っぽい雰囲気を出しているところとすれば、このジローナのほかには、
* バルセロナのゴシック地区
* トレド
* シエナ
といったところでしょうか。この中でも、特にシエナは今でも中世そのものの雰囲気を感じさせ、好きです。
トレドは、中世の残骸の街といったところでしょうか。
 
自分がいったことのないところでは
* アッシジ
* プラハ
といったところが中世的で人気が高いようです。これらの街について、また、これら以外にお奨めの中世の街があれば、是非教えてください。
 
それはともかく、いくら探しても「盲人イサクの地下シナゴーグ」が見つかりません。しかたなく決心して、通り掛かりの人に、下手な英語で場所を聞こうとしたのですが、7人ぐらいに聞いたのに誰も知りませんでした。きっと、私の英語があまりに下手で、関わり合いになりたくなかったのでしょう。
あきらめて帰ろうとした時、偶然ガラス張りの地下室があるのが見えました。これに違いないと思ったのですが、入るには一度坂をのぼって受付を経由する必要があることがわかりました。よく見てみると、何のことはない、最初の矢印通りにあとほんの少し歩いていればついたはずの場所です。わずかな距離を耐えられなかったために大幅な時間を無駄にしたことに、人生を感じました。
 
受付では、ユダヤ人(?)のお姉さんがいて、喜んで迎えてくれました。誰も見学者がいなくてヒマだったのでしょう。一応、日本語のパンフも置いてありました。正式な名称は「ユダヤ歴史研究所」とかなんとかいうものでした。

中に入ってみると、最近のユダヤ人芸術家の作品がいくつか展示されていました。階段を降りると、地下室になります。もっとも、最近復元されたものなので、さっぱりとしていて、あまり歴史的な雰囲気はありませんでした。昔はこういうシナゴーグが存在したんだなーという感じです。カバラの内的探求とリンクしていると言われれば、そんな気もする、という雰囲気でした。


もっとも、「スペインを追われたユダヤ人」の著者のように、雨の日とか夜間に訪れれば、けっこう独特な、怖くなるような雰囲気があったかもしれません。興味ある人は、この本のカバーの写真を見てみてください。 私が行った日は、これ以上ない快晴で、しかも地下室はガラス張りの面から日光がはいってくる構造なので、あまり内面的な方向に気分が向きませんでした。

 
さて、カバラ文献の中でも最大の「ゾーハル」も、やはり13世紀にスペインで生み出されました。この成立過程や内容の問題はG・ショーレム著「ユダヤ神秘主義」に、また、文章そのもののごく一部の翻訳は箱崎総一著「カバラ」を見てもらえばいいので、ここではエヴァ関連で気になったことを書きます。

ひとつは、ゾーハル(G・ショーレムが言うには後世に付け加えられた部分)の考え方の中には、知恵の木の時代と生命の木の時代があり、現在は知恵の木の時代であり、命令と禁止の時代であるが、やがて生命の木の時代となると、それらからは解放されるというものがありました。
してみると、ゼーレが生命の木の復活を願ったのは、このプロセスを進めることだったような気がします。ゼーレの背景探しというのも面白いテーマですが、やはり基本的にはカバラ思想があるようです。

もうひとつは、生命の木を形作る10個の円(セフィロト)は、どれも、神の流出であると共に、人が神に接触できる場でもあるという考えです。
この考えに基づくと、量産エヴァを円(セフィロト)に見たてて、生命の木を作ることの理念がわかるような気もします。つまり、エヴァは人と神との仲介でもあるからです。
特に初号機は、ユイが融合しており、シンジが搭乗しており、まさに人が神になる過程でもあります。
だからこそ、エヴァはセフィロトを演じ、生命の木を復活させる役割をこなせたのでしょう。結局、人が神になる(ヒトの持つ知恵の実と、シトの持つ生命の実との合一)過程であるエヴァシリーズの役割とは、カバラ思想に基づき、神とヒトが接触する場であるセフィロトとなることだったような気がします。


 
難解なカバラ思想はさておき、生命の木の歴史をざっと眺めますと、紀元前の旧約聖書などにのった伝説が、紀元2〜500年の瞑想家には10個の円としてイメージされ、その1000年後にはジローナなどのスペイン諸都市でいわゆる「生命の木」の思想として完成し、ユダヤ人がスペインを追放された時代以降ヨーロッパに広まって、近世以降のオカルト結社にも瞑想の道具として最重要なイメージとして使用され、20世紀末の日本のアニメでオープニングとエンディングを飾ることになったというところでしょうか。
 
このような変遷をたどるとは、さすがに、1500年前の瞑想者にも、800年前のここジローナのカバラ学者にも、想像もできなかったでしょう。
「生命の木」の生命は、まだまだ続くでしょう。今から1000年後に、まだ人類がいるとすれば、どのような花を咲かせることになるのか、残念ながら20世紀末の人間でしかない我々には想像もつきません。
 
 
 
 



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