―――――――天使――――――――――

映画の26話で、儀式が始まったあと、ロンギヌスの槍が宇宙から飛来し、エヴァに融合していきます。

その後、槍には目が発生し、エヴァ初号機にも発生します。最後には、エヴァは全身目だらけになります。

 

ここで表現したかったのは、エヴァが天使であるということでしょう。

この、目を全身に張り付かせる天使というのも、旧約聖書が出典です。オープニングの初めに出てくる、丸い頭をした天使の絵がありますが、あれもよくみると全身に小さな目が張り付いています。天使といい、生命の木といい、オープニングの最初に予告されていたものがラストになってあらわれたという感じです。

天使の名前は、聖書ではケルビムといいます。ただし、考え方(天使学)によっては、セラフィムとケルビムをたて、前者が目だらけであるという考えもあります。まあ、天使学自体、聖書の歴史に比較するとずっと後のことですし、基底となる精神もユダヤ教とは異なるうえに、かなりいいかげんに組み立てられたものなので、不整合は至るところにあります。細かいことは気にしないようにしましょう。

 

しかし、いわゆる日本で一般的にイメージされる天使(羽根が生えている、ラッパを吹いている赤ん坊)と、中世以前のキリスト教文化における天使というものには多大なるギャップがあります。聖書における天使というのは、言うまでも無く後者のイメージです。

 

 

このような天使のイメージの変化というのは数百年がかりで行われたもののようです。例えば、10世紀までの絵画では、天使は大体男性です。それが、じょじょに女性的な顔に変わっていき、ルネッサンスの頃には基本的に女性になります。

 

その後、赤ん坊にまでなる過程には、ひとつにはキリスト教ではなくてギリシャ神話およびギリシャ彫刻の影響があるでしょう。ルネッサンス以降、ギリシャ風の彫刻技法が探求されていきますが、その過程で、聖書の記述に従った怖いイメージよりも、ギリシャ彫刻風のかわいい雰囲気に置き換わったのかもしれません。

 

また、ユングが言うように、キリスト教の誕生がそもそもユダヤ教の厳しすぎる父性的な絶対神の緩和としての意味を持っていたと考えるなら、天使のイメージがより優しいものに変質するのも当然の流れなのかもしれません。

 

旧約聖書の天使は、どうみても優しい存在ではなく、人を威圧する存在だからです。

 

ようするに、エヴァンゲリオンに出てくる「天使=怪物」というイメージは、キリスト教というよりは、紀元前の旧約聖書的な雰囲気、もしくはバビロニアやアッシリアに源流を持ったものなのです。

いわゆるキリスト教美術のイメージからではなく、ずっと古代の表象を持ってきている点では、リリスも同じです。エヴァが、天使の闘いを描いた、ある意味よくあるストーリーであるにも関わらず、けた違いに独特な雰囲気をもつことに成功した一因はこのへんにもあるのでしょう。多くのファンタジーやアニメなら、「天使(神、もしくは、イイモノ)VS怪物(悪魔、もしくはワルモノ)」という、「いいものと悪者の闘い」というつまらない構図になりがちなところです。

 

さて、バルセロナには、カタローニャ美術館という、中世絵画の美術館があります。ここは昔の修道院の壁などをもってきて、そのまま美術館の中で復元している大変興味深いところです。ここには、スペイン中世のヨーロッパにおけるキリスト教のイメージがそのまま残っています。特に、名物は「全能のキリスト」という壁画です。ルネッサンス以降のキリスト像しかしらない人にとっては結構ギャップがあるのではないでしょうか。

 

私が行った時は夜だったのですが、週一回の夜間無料日にたまたまあたっていたため、運良くタダで入れました。時間が遅かったためか、観光客もおらず、学生と思われる人達が熱心にメモをとったりスケッチをしたりしていました。、

 

問題の天使ですが、多くの壁画に描かれています。もっとも、大抵は、大人の男性の足に小さな羽根がくっついているくらいのもので、天使だか聖者だかは一見したところわかりません。しかし、見間違えのないような天使もありました。

ちなみに、この写真を撮ったとき、フラッシュをたいたところ、係員のお兄さんに注意されてしまいました。フラッシュ厳禁だったようです。もし撮影することがあれば注意してください。係員の方は耳が悪いようでしたがやさしい方で、こちらが謝ると「わかればいいんだ」という雰囲気で大変満足そうでした。

 

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これは、聖書でいうと数ヶ所で記述されている天使像です。羽根にも手にも足にも、目がはりついているのがわかるでしょうか。

この天使は旧約聖書だと、先ほども言いましたようにケルビムとなっています。ケルビムは智天使とも呼ばれ、知恵の天使でもあります。一方、創世記によるとケルビムは生命の木を人間から守る役割も果たしています。

つまり、知恵の実を手にいれたヒトが、生命の実にふれるためには避けては通れない存在なのです。

 

ここには、天使が優しく美しい女性ではなく、無邪気な赤ん坊でもなく、ヒトを震え上がらせる多くの目を持つ化け物であった時代、人間にとって何よりも怖いのは悪魔でも怪物でもなく、神や天使であった時代の存在感が保たれています。

創世記で人が生命の木に近づき不死になるのを阻んだのが、残酷な天使であったように、エヴァンゲリオンにおいて人類補完計画を阻むのも、当然のことながら、残酷な天使です。

 

最後に生命の木が復活したさい、エヴァが全身目だらけの天使になった理由もこのへんにあるのでしょう。


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