Zガンダム論

 
序.刻(とき)とは何か

Zガンダムは、複雑な勢力争いと裏切り(心変わり)に彩られた物語である。地球連邦、ティターンズ、エゥーゴ、アクシズ、カラバ、ジュピトリス。
では、一体何が物語りのテーマなのか。
ニュータイプ?重力に引かれた人々?強化人間?それともガンダムの続編という意義?たとえば、サイコガンダムの迫力や変形するZガンダム?それとも、アムロやシャアという人間の後日談?

これらの錯綜した関係の中で、作品の本質へのヒントを与えてくれかもしれないのは、主題歌である「Z、刻を超えて」や、予告編に毎回流れる「君は、刻の涙を見る」という言葉である。

なぜ、作品の登場キャラでも思想でもマシンでもない「刻」という言葉が、これほど強く押し出されているのだろうか?

ここで、「刻」という言葉をベースにして作品を見直してみよう。何が見えるだろうか。

まずは、前作から7年という時間がたったことがあげられる。この7年という時間が、人々と、世界を様々に変容させている。
彼らにとっては、この7年という刻はとても大きなものに違いない。
次に、もっと長い目で見れば、「重力に魂を縛られた人々」ようするに地球に固執する人々が、「宇宙に移住した人々」になっていく過程での争いを、刻という言葉は指しているとも考えられる。つまり、歴史の変動期にあたることを、「刻」という言葉で言い表しているとも思える。
もっと端的に言えば、人々がオールドタイプからニュータイプに変わっていく過程での、悲劇の時代ともいえるだろう。
さらに、Zガンダムにおいて重要なのは、過去の記憶であることにも注意しよう。とくに、記憶を奪われた強化人間にとっては、刻という言葉の意味はまた全く異なる意味を持つ。
最後に、作中何度も使われていた「子供」もしくは「大人」という言葉がある。子供から大人への過程という意味も、「刻」には含まれるかもしれない。

@前作からの7年の変化
A人類史における変化(地球から宇宙へ、そしてオールドタイプからニュータイプへ)
B個人史における過去(記憶)と現在・未来
C子供から大人への変化

以上4点が、「刻」という言葉にはこめられていると考えられる。

それでは、「刻を超えて」とは、そして「刻の涙を見る」とはどういうことだろうか。
そして、Zガンダムは結局何と戦ったのだろうか。

以下、「刻」をキーワードにZガンダムを見ていく。

まずは、第一章では、Zガンダムとサイコガンダムの違いを確認する。

 


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